コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

弘前市仲町(重要伝統的建造物群保存地区)~青森県弘前市

2016-04-15 05:40:33 | 重要伝統的建造物群保存地区

2016年4月9日 青森県

弘前市仲町 重要伝統的建造物群保存地区

青森県弘前市

弘前城の城下町は、南北に長く東西に短いほぼ矩形の弘前城を、自然地形を活かしながら四方から取り囲むように配置された。今は搦手門となっている北門(亀甲門)が当初の弘前城の大手門であり、その北側に亀甲町と呼ばれる一筋の町人町をはさんで、数か町の侍町が配置された。この侍町を仲町と呼んでいるが、保存地区はこの地域のほぼ3分の2、面積約10.6ヘクタールの区域である。保存地区は往時の地割りをよく踏襲しているほか、道路沿いに連続するサワラの生垣、点在する門や板塀、前庭の樹木が独特の景観を生みだし、前庭の奥に建つ木造真壁造の主屋とともに城下町の雰囲気を残している。近年、多くの伝統的な町並みが大きく変ぼうしているなかにあって、江戸時代の武家屋敷街の景観を今に伝える地区として重要である。 弘前市ホームページより

 

 ▼旧岩田家

江戸中期の武家住宅。伝統的建造物群保存地内の武家屋敷

 

    

 ▼旧笹森家住宅

この建物は、建築当初は伝建地区内の東部にありましたが、平成7年に前所有者から市へ主屋と門が寄贈されました。市では部材を解体保存し、平成24年に現在地に移築復元しましたものです。宝暦6年(1756)の文献に記載があることから、弘前市の伝建地区内に現存する最古の武家住宅と確認されました。主要部分の間取りが建築当初から変わらず、建築当初の部材も多く残っています。

   

  

▼旧岩田家

敷地約700m2、間口16.25m、奥行43.0m、平面積131m2、茅葺屋根である。建築後約190年を経過しているが、主要部分は当所のままである。畳敷きは5部屋、ほかに玄関、台所、つきにわ、三方に縁が廻っている。岩田家は200石~500石の中流武士だが、質素な生活ぶりがうかがわれる。10代目平吉は、箱館戦争の津軽部隊参謀を務めている。 
   

 ▼旧梅田家

江戸時代末期に建てられた武士の屋敷。昭和57(1982)年に弘前市が梅田家から譲り受け、移築復元した。

      

▼石場家住宅

弘前藩出入りの商家で、おもに藁工品を扱っていた。 正面全体に「こみせ」が付属し、 つの座敷のついた大規模な住宅である。 木柄が太く、とくに土間などの梁組は豪壮である。 かなり改造を受けてはいるが、この地方の数少い商家の遺例として貴重である。
     

2016-04-15 05:40:33

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安房崎灯台~神奈川県三浦市

2016-04-14 05:37:20 | 灯台

2015年5月3日 神奈川県

安房崎灯台

神奈川県三浦市

初点灯 昭和37年2月(1962年) 詳細不明

 

   

  

▼馬の背洞門

赤羽根海岸の湾岸にある海蝕奇岩。断崖が風や波で浸食され、天然の洞門のようになっているもので、自然が造りだしたダイナミックな景観を見せている。

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城ヶ島灯台~神奈川県三浦市三崎町城ヶ島

2016-04-13 06:05:46 | 灯台

2015年5月3日 神奈川県

城ヶ島灯台

神奈川県三浦市三崎町城ヶ島

城ヶ島には江戸時代より烽火(のろし)台が設置され、灯台としての役割を果たしていた。幕末を迎え鎖国が解かれると浦賀水道の出入路に近いことから西洋式灯台の建設地に選ばれ、明治3年に初点灯。その後関東地震で倒壊するが再建され、白色円筒形の現在の姿となった。 初点灯:1870年(明治3年)9月8日 Wikipediaより

   

  

三浦市旧城ヶ島分校海の資料館

昭和45年3月まで分校として使用されていた。現在は海の資料館として利用されている

 

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剱崎(つるぎさき)灯台~神奈川県三浦市南下浦町松輪

2016-04-12 05:24:17 | 灯台

2015年5月3日 神奈川県

剱崎(つるぎさき)灯台

 神奈川県三浦市南下浦町松輪

剱埼灯台(つるぎさきとうだい)は、神奈川県三浦市東部、剱崎突端に立つ白亜塔形の大型灯台である。1866年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(江戸条約)によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の一つ。設計は「灯台の父」と呼ばれるお雇い外国人リチャード・ブラントンが担当し、当初は石造であった。現在使用されている灯台はコンクリート造で、関東地震(関東大震災)の後に再建された2代目のもの。三浦半島南東端に位置しており、浦賀水道・相模灘を照らす。剱崎から南南東に位置する館山市洲崎(洲埼灯台)までを結ぶ線が浦賀水道(東京湾)と太平洋の境界となっている。周辺は岩礁が発達し、対岸に房総半島を望む風光明媚な地である。Wikipedia

1871年1月11日 初点灯
1923年9月1日  関東地震により倒壊
1925年7月4日  再建

  

 

この銘板は劣化していて記載内容が読めない部分も

---

剱崎灯台へは三浦海岸駅からバス

 

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天寧寺三重塔(重要文化財)~広島県尾道市東土堂町

2016-04-09 06:12:06 | 神社・仏閣・教会

2015年12月28日 広島県

天寧寺三重塔 重要文化財

広島県尾道市東土堂町

天寧寺は、1367年、京都五山の指導者普明国師を開山とし、室町幕府第2代将軍足利義詮の寄進で創建された禅寺。創建当時は東西3町(約330m)の寺域をもつ大寺院でしたが、室町幕府という後ろ盾がなくなったことや、1682年の火災で塔以外の全てを焼失したことにより衰退し、現在は、本堂などのある境内と、そこから少し山を登ったところにある三重塔とは、同じ敷地でなく別々になっています。三重塔は、1388年に建立された五重塔を、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したもの。このため三重塔にしては、いささか寸胴な外観になっています。

 

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千光寺ロープウェイ(千光寺など)~広島県尾道市

2016-04-08 05:48:06 | その他

2015年12月28日 広島県

千光寺ロープウェイ(千光寺など)

広島県尾道市

長江口にある山麓駅から千光寺山山頂の駅までは約3分で到着。ロープウェイからは風光明媚な尾道の街並や、瀬戸内の美しい多島美や天気のいい日には四国山地も一望できます。

千光寺ロープウェイで山頂へ

 山頂駅から文学のこみちを通り山を下ってみた

文学のこみち

千光寺山ロープウェイ山頂駅を降りるとすぐ木々に覆われた全長約1キロの遊歩道があります。これが「文学のこみち」です。ここには尾道ゆかりの林芙美子・志賀直哉・正岡子規などの作品等の一節が自然石などに刻まれた25の文学碑があります。散策中に見おろす尾道市街地・尾道水道は絶景です。

志賀直哉の文学碑

六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それがピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。(暗夜航路より)

 

鏡岩:いわれなどは不明

 ▲不明・・・・

▼千光寺

朱塗りの本堂「赤堂」や”残したい日本の音風景100選”に選定された「鐘楼」はこのお寺のシンボル的存在。初詣のスポットとしても知られ、例年多くの参拝客が訪れます。また境内には様々な形の巨石群があり、中でもこのお寺のシンボルとなっている「玉の岩」は、その昔、岩の頂に光る玉があり、このあたり一帯を照らしていたとの言い伝えがあります。そのことから尾道水道は別名「玉の浦」とも呼ばれています。境内からの展望は尾道を代表する風景のひとつです。

      

 

昭和8年(1933)暮れに病気療養のため尾道を訪れたアララギ派歌人中村憲吉終焉の家。

 ▼天寧寺三重塔(海雲塔) 重要文化財

嘉慶2年(1388)に五重塔として建立、元禄5年(1692)に上の2重を撤去して三重塔に改められた。和様に禅宗様式を取り入れた建築当初の姿をよく残しており、国の重要文化財に指定されている。高さは25m。 

  

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西国寺(重要文化財)~広島県尾道市西久保町

2016-04-07 05:44:00 | 神社・仏閣・教会

2015年12月28日 広島県

西国寺 重要文化財

広島県尾道市西久保町

西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山です。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。時は西暦729年のこととされています。1066年に本堂炎上、行基作の本尊薬師如来も焼滅しましたが、永保元(1081)年、平安朝白河天皇の勅命により再建今に至ります。 伽藍の規模は正に西国一という意味を込め、西國寺と名付けられました。西国寺ホームページより

 西国寺ホームページより転写

  

▼山門(仁王門)

室町時代末期の桜門形式の仁王門。元文5年(1740)尾道の豪商泉屋新助による大修理の棟札がある。また扁額「摩尼山」は小松宮彰仁親王の筆跡である。仁王像も山門と同時代と思われる。

  

山門である仁王門には室町末期作の2体の仁王像が安置されており、その健脚にあやかり2mを超える巨大な草履が奉納されています。

▲十王堂

▲鐘楼

▲英霊殿

▼ 金堂 重要文化財

金堂(こんどう)は、鎌倉末期の再建で、和様を基調としている。桁行(けたゆき)・梁間(はりま)各5間、一重、入母屋造り、本瓦葺きである。屋根に重量感があり、規模壮大で手法勇健といわれる。 ひろしま文化大百科

  

 

 

三重塔 重要文化財

 一段と高所にそびえる三重塔は、方3間、本瓦葺きで、石製基壇の上に立つ純和様の復古建築である。この塔の建立については経緯を示す古文書が残っている。永享(えいきょう)元年(1429)3月日の宥尊塔婆勧進帳、足利義教と推定される「征夷将軍」をはじめとする室町幕府の要人が連署した建立寄進施主帳、山名一族の名がみえる再興寄附帳などがそれである。 ひろしま文化大百科

 

 

  

 

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西郷寺(重要文化財)~広島県尾道市東久保町

2016-04-06 05:32:38 | 神社・仏閣・教会

2015年12月28日 広島県

西郷寺 重要文化財

広島県尾道市東久保町

広島県尾道市、浄土寺山麓にある「西郷寺」です。本堂は時宗の本堂形式としては、他にたぐいまれみない名建築です。。鎌倉時代末期の正慶年間、遊行六代一鎮によって開かれたと伝えられています。当時は「西江寺」と称されていました。本堂は、文和2年(1353年)に発願され、時宗最古式の本堂として貴重なものです。堂内に「泣き龍天井」があり、手を打つと乾いた音が帰ってきます。鳴き龍天井、本堂は、山門と共に重要文化財です。

山門 重要文化財

山門は、棟門(むねもん)で本瓦葺きである。貞治(じょうじ)年中(1362~1368)の建築で、板・蛙股(かえるまた)・破風・懸魚(げぎょ)・軒など室町時代の様式がよく見られる。

▼本堂 重要文化財

本堂は、昭和39年(1964)から解体修理で創建当時の姿に復元されたが、桁行(けたゆき)七間、梁間(はりま)八間で、屋根は寄棟作りの本瓦葺きである。棟札によると文和(ぶんな)2年(1353)に、西郷寺2代目住持の託何の発願によって建立されたことが分かる。角柱に舟肘木(ふなひじき)を置くだけの簡素な形式であるが、方三間の内陣の周囲を外陣がめぐる形式の平面は、浄土教に特徴的で、時宗本堂最古の遺構として貴重である。堂内には、“鳴き龍天井”があり、手を打つと冴えた音がかえってくる。

非公開のようです

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浄土寺(重要文化財)~広島県尾道市東久保町

2016-04-05 05:27:42 | 神社・仏閣・教会

2015年12月28日 広島県

浄土寺 重要文化財

広島県尾道市東久保町

聖徳太子の創建と伝えられ、足利尊氏ゆかりの寺としても知られています。全国で2例しかない寺域全体が国宝指定された寺で、文化財の宝庫です。本堂・多宝塔は国宝、山門・阿弥陀堂は国の重要文化財となっており、このほかにも貴重な文化財が多数あり、宝物館には一見の価値のあるものが多数展示してあります。 ひろしま観光ナビ

 

 

▼山門 重要文化財

浄土寺の表門で,南北朝時代(1333~1392)に再建されたすぐれた建築である。本堂と同じ工匠の手になったのか,本堂向拝の軒の規矩と同じ規矩をもつことは,あまり時代の差がないことを示すと思われる。側面の妻の部分の板蟇股(かえるまた)に足利氏の家紋である「二引両」が表されている。

 

▼本堂 重要文化財

浄土寺は,鎌倉時代末期(14世紀初め)に炎上したが,尾道の人々によって,数年後には再建された。この本堂も尾道の人沙弥(しゃみ)道蓮(どうれん),比丘尼(びくに)道性(どうしょう)が発願して,鎌倉時代の嘉暦2年(1327)に大工藤原友国,同国貞により建築されたものである。前面二間通りを外陣とし,うしろを内陣とする密教式平面である。和様を基調としているが,桟唐戸(さんからど),花肘木(はなひじき),二斗などを用いたいわゆる折衷様式である。

 

▼阿弥陀堂 重要文化財

浄土寺本堂(国宝)の東隣に立つこの建物は,南北朝時代,康永4年(貞和元,1345)再建と伝えられる。本堂,多塔宝(国宝)が再建された後に建てられたものと思われる。優れた和様建築と評価されている。本尊は阿弥陀如来坐像(県重文)である。
浄土寺は尾道有数の古刹(こさつ)で,尾道水道東口付近に位置する。鎌倉時代(1192~1332)以後,西大寺流律宗寺院として特に信仰を集めた。

   

▼多宝塔 国宝

鎌倉時代末期,嘉暦3年(1328)建立。大日如来及び脇侍(わきじ)(尾道市重要文化財)を安置し,内部には彩色が施され,壁面には真言宗の名僧を描いた真言八祖像がある。多宝塔としては,規模が大きい上に全体のつりあいがよく,高野山金剛三昧院や石山寺の多塔宝と並ぶすぐれた塔である。牡丹・唐草に蝶の透かし彫りをした蟇股(かえるまた)など,華麗な装飾に富み,その整った容姿および手法によって,鎌倉時代末期の代表的な建築とされる。昭和11年の解体修理で,屋根の上の相輪(そうりん)の中から経巻など多くの納入品が発見された。

 

 

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尾道市(広島県)の町並み②

2016-04-04 05:44:33 | 町並み

2015年12月28日 広島県

尾道市(広島県)の町並み②

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浄土寺

616年、聖徳太子の創建と伝えられるています。足利尊氏が九州平定や湊川の戦の際、戦勝祈願をした寺としても有名です。
「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。 おのなび

 

 

▼西郷寺

 鎌倉時代末期の正慶年間、遊行六代一鎮によって開かれたと伝えられています。当時は「西江寺」と称されていました。
本堂は文和2年(1353)に発願され、時宗最古式の本堂として貴重なものです。堂内に「泣き龍天井」があり、手を打つと乾いた音が帰ってきます。  おのなび

本堂・山門は重要文化財

   

▼久保小学校 1933年( 昭和8年)建築
       

 ▼西国寺

天平年中(729〜749)、行基菩薩創建と伝えられる真言宗醍醐派の大本山。山門である仁王門には室町末期作の2体の仁王像が安置されており、その健脚にあやかり2mを超える巨大な草履が奉納されています。その仁王門ほか金堂や足利六代将軍・義教の寄進と言われる三重塔など数多くの重要文化財を抱える尾道を代表するお寺のひとつです。 おのなび

 

    

▲千光寺ロープウェイ
 

  

--- 2015年12月29日---

 

 ▼ 尾道駅
     

 ※ 京都へ

関連記事:尾道市(広島県)の町並み①    

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尾道市(広島県)の町並み①

2016-04-03 05:45:57 | 町並み

2015年12月28日 広島県

尾道市(広島県)の町並み①

尾道市は、北に拡がる緑豊かな田園風景から尾道水道の沿岸部、南に拡がる瀬戸内の多島美まで多彩な表情を持つまちです。尾道水道を望む歴史・文化を凝縮した斜面市街地の町並み、橋と多島美とが見事に調和した景観と徒歩及び自転車でも渡ることが出来る特性を持つ瀬戸内しまなみ海道など見所も多いまちです。 広島県ホームページより

 

尾道駅

山の頂上に見えるのは尾道城。観光目的のもので歴史はない

駅前の様子 宿泊先のホテル

遠くに見えるのが「新尾道大橋」と「尾道大橋」
 

▲著名人の足型

▲大空真弓の足型

林芙美子像:尾道にゆかりがある(十三歳から高等女学校を出るまでの約六年間をこの地で過ごしました)
       

▲でべら・・・??

ガンゾウヒラメを素干しにしたもので、手の平(ひら)をひろげたような形をしているところから、「手平」の名があるといわれる。デビラともいう。

▲築姫小路

▲築姫稲荷
  

▲尾道ラーメンの人気店かな~

▼住吉神社

 

▲「新尾道大橋」と「尾道大橋」

▼おのみち映画資料館:尾道ゆかりの映画資料等を展示する博物館。

▼映画撮影用のカメラなのでしょう

 

 

▲胡神社
 

 関連記事:尾道市(広島県)の町並み②

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江戸城(北桔橋門~天守台~大手門)2016

2016-04-02 06:33:37 | 100名城

2016年3月29日 東京都

江戸城(北桔橋門~天守台~大手門)2016

スカイツリーが見える

 

 ▲天守台

 アマギヨシノ
 

 

▼汐見坂
  

 済寧館:皇宮警察の道場らしい。非公開
  

大手門

   

 桜とカラス・・・・・

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江戸城(皇居乾通りの春の一般公開・桜並木の通り抜け)2016

2016-04-01 05:50:26 | 100名城

2016年3月29日 東京都

江戸城(皇居乾通りの春の一般公開・桜並木の通り抜け)2016

坂下門 → 乾門

 

坂下門から皇居へ
  

▲富士見櫓

  

▲コブシと富士見多聞
 

 ▲局門

長屋門

▲富士見多聞

      

 ▲乾門

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番外編
 

▲東京駅

二重橋

入場前の手荷物検査

秋の皇居乾通り一般公開(2014年12月)  

 

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