2016年8月30日 兵庫県
平福陣屋門
兵庫県佐用町平福
cosmophantom
2016年8月30日 兵庫県
平福宿
兵庫県佐用町平福
わずか30年で城下町としての用を終えた平福は、その後、江戸時代には因幡街道最大の宿場町として栄えました。城下町から宿場町へ。当時を物語る古文書、遺構・遺物など伝承されてきた歴史の断片が、町並みや生活品などに残っています。
▲平福駅
▲山の頂上になにやら工作物のような物が見える。トリミングしてみた↓
弧を描く石垣のように見えるが・・・・なんでしょう
▼本陣跡
▼平福陣屋門
▼平福の町家群
▲金倉橋
▲金蔵の六地蔵
ここ金倉橋西の一帯は、平福町並みの南端に位置し松原と呼ばれており、江戸時代、平福藩刑場跡として伝えられているところから、この六地蔵は、その供養のために建てられたと考えることもできる。この路傍に立つ六地蔵は、所々欠けているが、気品のある美しさを漂わせる丸彫りの立像別石地蔵である。同所に元禄9年(1696)に建てられた南無阿弥陀仏の念仏碑があることから、同時期のものと想像される。 説明板
▲宮本武蔵 初決闘の場
剣豪武蔵は、天正12年(1584)に母・於政と死別、その後、父・無二斉が、利神城主・別所林治の娘よし子を後妻に迎えたので、武蔵はこの義母に育てられた。武蔵7歳の時、父が死去、義母は武蔵を残し平福に帰り、田住政久の後妻となった。武蔵は、義母の後を追い、その叔父正蓮庵の道林坊にあずけられ、薫陶をうけ、道林坊の弟・長九郎に武芸を学んだ。武蔵13歳の時、「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」という、新当流の達人・有馬喜兵衛の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる。
▼鋳物師瓜生原家
瓜生原家は、享保年間に、津山から移り住み、代々「吹屋(ふきや)」という屋号で、鋳物業を営み、昭和の初め頃まで、続いていたといいます。建てられたのは、文化7年(1810)、特徴は、大屋根の煙り出し切妻越しの屋根、潜(くぐ)り戸のついた、大戸雨戸を上下に開くと、天井と縁になる「ブッチョウ造り」出棺(しゅっかん)口、格子など町家の特色、をそなえています。 説明板
▼旧田住邸跡(現後藤邸)
2016-12-10 05:41:47
cosmophantom
2016年8月30日 岡山県
大原駅~智頭急行
岡山県美作市古町
このトンネルからホームにあがる
JR特急「スーパーはくと」
▲これは・・・除雪用車両ですよね
▲大原駅駅舎(ホームより)・・・ここから平福へ向かう
▲宮本武蔵駅にて(車窓より)
cosmophantom
2016年8月30日 岡山県
大原本陣(因幡街道)
岡山県美作市古町
☆cosmophantom
2016年8月30日 岡山県
大原宿~因幡街道
岡山県美作市古町
本陣、脇本陣がおかれ、江戸時代には因幡街道の宿場町として栄え賑わっていた。現存の建物は寛政年間に鳥取藩主の道中規模に合わせて整えたといわれ数寄屋風の野趣に富んだ建物である。道幅は街道当時のままといわれており、両脇の水路に山水が流れているのが往時から変わらない特徴。
▲三界萬霊の碑
▲みちしるべ 西これより右 津山道 北これより左播磨ひらふく道 元禄二己巳(1689年)
▼大原本陣
旧因幡街道大原宿の町並みに現存する、大原本陣は、因幡街道を往復する鳥取藩主・池田候が参勤交代の途中、宿泊する場所でした。数寄屋造りの御殿と御成門が今なおその姿をとどめ、約200年前の本陣の移行を今日まで残している数少ない本陣です。
▲大原町道路元標
▼脇本陣
脇本陣は大名や幕府の重臣が本陣に泊まる時、家老や奉公の宿舎にあてられました。主家・玄関・長屋門・池庭・土蔵を備えています。
▲吉野川
2016-12-06 05:46:41
cosmophantom
2016年8月30日 鳥取県
智頭(智頭宿)の町並み
鳥取県八頭郡智頭町
智頭宿は、上方へと向かう主要道であった「智頭往来」の宿場町。江戸時代には、参勤交代で江戸へと向かう鳥取藩の最初の止宿であり、藩主の宿泊や休憩の場となる御茶屋や奉行所、制札場が置かれていた要所です。往来に沿うまち並みには、宿場町として栄えていた往時を偲ばせる町屋の建物や道標が今も残っており、プチ・タイムトリップな散策を楽しむことができます。江戸時代に大庄屋を務めた旧家で、約3000坪という広大な敷地面積に40以上の部屋数を持つ邸宅と素晴らしい景勝の日本庭園を有する「石谷家住宅」(国指定重要文化財)をはじめ、智頭産の大木を使用した重厚な造りの「米原家住宅」(非公開)、明治30年代に建てられた和風建築「塩屋出店」、カエデの紅葉が見事な「諏訪神社」など、数々の見どころに出会えます。
JR智頭駅
アーチを描く屋根がキュートな智頭町総合案内所
▲嫁さんせんべい????
▲「杉の実 」(外務大臣賞受賞)をお土産としてお買い上げ!
▲手書きの屋号札がいいね~~
▲下町公民館 1914年建築
▼米原家 建築1883~1897年
▼塩屋出店
塩屋出店は石谷家の江戸時代の分家で、明治22年(1889)の火事で焼失しましたが、後の明治30年(1897)前後に再建されたといわれております。商家風町屋の伝統的建造物
▼智頭消防団本町分団屯所 建築1941年
▼石谷家 重要文化財
▲智頭駅
cosmophantom
2016年8月28日 鳥取県
智頭駅(西日本旅客鉄・道智頭急行)
鳥取県八頭郡智頭町
JR西日本の因美線と、智頭急行の智頭線が乗り入れ、接続駅
▼JR智頭駅
スーパーいなば
▼智頭急行智頭駅
2016-12-05 05:43:40
cosmophantom
2016年8月30日 鳥取県
石谷家 重要文化財
鳥取県八頭郡智頭町智頭
智頭往来に面する石谷家住宅は江戸時代に鳥取藩最大の宿場町として栄えた智頭宿のもっとも大きな建物です。広大な日本庭園を囲むように配された部屋は40もあり、土蔵だけでも7つあります。大正から10年にわたり改築され、様々な様式が調和した豪荘な邸宅は近代和風建築の傑作として国重要文化財に指定されています。現在7つの土蔵のうち4つは博物館、資料館として公開されています。
cosmophantom
2016年8月30日 鳥取県
智頭消防団本町分団屯所
鳥取県八頭郡智頭町大字智頭
智頭街道に面して建つ。木造,下見板張,総2階の切妻造,桟瓦葺洋館で,正面の屋根中央部を切妻破風に切り上げ,切妻造の火の見櫓をのせる。正面中央壁沿いの梯子段が切妻破風を貫通して櫓に至る特徴ある姿形は地区のランドマークとして親しまれている。建築1941年
cosmophantom
2016年8月30日 鳥取県
米原家
鳥取県八頭郡智頭町大字智頭字町ノ内
智頭往来と備前往来の交差する角地に建つ。桁行一二間梁間七間と大規模で、屋根は入母屋造桟瓦葺で四周に下屋を廻らす。外壁は黒漆喰塗、腰はモルタル洗出で破れ目地を切り、出格子を連続させる。良材を駆使した座敷を多数有し、近代豪商の主屋の特徴を示す。 建築1883~1897年
cosmophantom
2016年8月30日 鳥取県
下町公民館
鳥取県八頭郡智頭町大字智頭
当初は智頭町役場として建築されたが,昭和3年に現在地に移築され,町役場や電報電話局として用いられてきた。木造2階建,寄棟造・桟瓦葺,外壁下見板張で,正面に玄関ポーチを設けるが,全体に装飾はほとんどない。地方における洋風庁舎建築の一事例。 1914年建築
cosmophantom