コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

旧松本邸(重要文化財)・~福岡県北九州市戸畑区一枝

2020-03-16 05:41:22 | 洋館

2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県

旧松本邸(西日本工業倶楽部) 重要文化

福岡県北九州市戸畑区一枝

松本健次郎が明治41年から45年にかけて住居と迎賓館を兼ねて建てたもので、洋館と日本館から成る典型的な貴紳住宅。洋館の設計は東京駅、日本銀行本店など数多くの建築を残した辰野金吾が主宰する辰野・片岡事務所外観及び室内意匠、家具とも、19世紀末欧州で起ったアールヌーボー様式を取り入れており、しかもそのデザイン、建築技術とも優れているのが特色。日本館の設計は明治専門学校の建物監督をした久田小三郎で、数寄屋造りの中央書院と書院造りの大敷が雁行するように配置されている。

戸畑駅からタクシーで旧松本邸に向かう。到着すると建物内から係員が外に出てきた。出迎えてくれたのかと思ったが、「予約のない方は、門から中へ入れません」と冷たいお言葉!門の外からの撮影はOKとのことでした・・・・

残念無念 事前調査の深堀りが足りなかった。

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戸畑(福岡県北九州市戸畑区)の町並み

2020-03-15 06:06:28 | 町並み

2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県

戸畑(福岡県北九州市戸畑区)の町並み

1889(明治22)年に戸畑村と中原村が合併して「戸畑村」になり、さらに1899(明治32)年に「戸畑町」、1924(大正13)年に「戸畑市」となり、次第にまちは発展して行きました。工業の発展とともに洞海湾を出入りする船や若戸渡船の利用者が増え続け限界に達していたため、1962(昭和37)年に当時のつり橋としては東洋一の若戸大橋が完成しました。

先ずは旧松本邸(重要文化財)へ

▼旧松本邸(重要文化財)

▼戸畑図書館(旧戸畑市役所)

臨海地区(洞海湾)へ

▲若戸大橋

戸畑区と若松区を結ぶ、長さ627mの吊り橋。1962年の開通

▲対岸は若松

▼ニッスイ戸畑ビル(北九州市都市景観賞)

戸畑駅へ戻る

▼ビジネスホテル藤之家 北九州市戸畑区南鳥旗町

戸畑で一番古い宿らしい

▲歴史を感じるタイル

▲戸畑駅前

▲戸畑駅(鹿児島本線) 福岡県北九州市戸畑区汐井町

▲安いね!!

▼ホームから

☆☆

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▼クハ411

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旧伊藤伝右衛門邸・~福岡県飯塚市幸袋

2020-03-14 05:59:51 | 建築物(洋館以外)

2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県

旧伊藤伝右衛門邸

福岡県飯塚市幸袋

旧伊藤伝右衛門邸は、筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門と歌人柳原白蓮が過ごした邸宅です。
アールヌーヴォー調のマントルピース、イギリス製のひし形のステンドグラスのある応接間、一畳たたみを敷き詰めた長い廊下等様々な芸術的技法を取り入れ、伊藤伝右衛門が妻白蓮の為にと改築を続けた歴史的建造物です。

伊藤伝右衛門が大正時代中期から昭和初期にかけて自身の本邸として造営したものである。門は福岡市天神の赤銅御殿から移築されたもの。飯塚市の有形文化財に指定されている。 

▼白蓮館

柳原白蓮に関する貴重な資料等が展示されている。

白蓮(柳原白蓮)

25歳年上で九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門と見合いし、翌年、後妻として嫁ぐ。年齢・身分・教養のいずれも不釣り合いな、伯爵家と炭鉱王の政略結婚として世間を騒がせた。執筆家(和歌、小説)

㊟上記白蓮の写真はウィキペディアから転写

▼庭園

「旧伊藤傳右エ門氏庭園」として国の名勝に指定

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嘉穂劇場(歌舞伎劇場)・~福岡県飯塚市飯塚

2020-03-13 05:59:22 | 芝居小屋

2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県

嘉穂劇場

福岡県飯塚市飯塚

1931年に開場。日本劇場建築の特徴ともいえる両花道とマス席を持った木造二階建ての歌舞伎劇場で、現在もそのままの姿で利用されている全国唯一のもの。

DSC_0177_R

スズラン灯

▼二階席

▼奈落

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飯塚(福岡県飯塚市)にて

2020-03-12 05:39:32 | 旅行

2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県

飯塚(福岡県飯塚市)にて

飯塚:明治時代に入ると筑豊地域では石炭産業が栄え、日本のエネルギー源として発展しました。明治30年頃から機械化が徐々に進み、炭鉱夫も増えて、石炭も大量に掘られ、運送方法も、船から鉄道に変わりました。北九州から鉄道を延ばし汽車で運ぶようになったのです。人口は多いときで12万人を超えるほども集まって、いろんな文化も発展しました。たとえば炭坑節は、炭坑で作業する人達が歌ってた歌です。

多くの人がいたので娯楽として、映画館や劇場もたくさんでき、映画館は15館もあり、嘉穂劇場は、今でも全国的に有名です。
嘉穂劇場は、大正時代からある歌舞伎劇場で、現在でも営業を続けているのは全国でもこの劇場だけです。

炭坑時代の名残として、ボタ山があります。これは、石炭と一緒に掘り出された石や土を積み上げてできた人工の山です。

▲ボタ山

地元のからの話では、以前は沢山あったが、今残っているのはこのボタ山だけだそうです。今は樹木がはえ普通の山と変わらない姿となっています。

▼嘉穂劇場

▼旧伊藤伝右衛門邸

▼飯塚駅(JR九州)筑豊本線(福北ゆたか線) 福岡県飯塚市菰田西

▲駅ホームからもボタ山が見える

☆☆

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▼813系 DENCHA

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料亭金鍋(国登録文化財)・~福岡県北九州市若松区本町

2020-03-11 05:53:52 | 建築物(洋館以外)

2020年1月29日 【小倉・門司・下関】 福岡県

料亭金鍋 国登録文化財 

福岡県北九州市若松区本町

明治28年に創業した老舗の料亭である。創業当初の建物は被災したため、明治末から大正初めにかけて現在の建物に再建され、現在も料亭として使用されている。本館の重厚な黒漆喰の外観と丸太材を使用した表門は、再建当時の若松の繁栄を今に伝える建築

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火野葦平旧宅「河伯洞」・~福岡県北九州市若松区白山

2020-03-10 05:45:35 | 建築物(洋館以外)

2020年1月29日 【小倉・門司・下関】 福岡県

火野葦平旧宅「河伯洞(かはくどう」

福岡県北九州市若松区白山

河伯洞は、本市出身の芥川賞作家火野葦平(本名玉井勝則、明治39年=1906生)が昭和15年(1940)からその生涯を終えた同35年(1960)までの大半を過ごした建物である。建物は、和風の主屋と書斎を含む洋風部分とで構成されている。

河伯洞の名は葦平の河童好きに由来し、河童の住む家という意味で名付けられた。

▼ポスト

▼玄関上がり框の亀の彫刻

板の傷を隠すため施したものらしい

 

☆☆☆

月輪

2020年3月9日21時16分 南東 東京都大田区

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上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)本館・~福岡県北九州市若松区本町

2020-03-09 05:57:15 | 洋館

2020年1月29日 【小倉・門司・下関】 福岡県

上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)本館 登録有形文化財

福岡県北九州市若松区本町

若松港に面して建つ。煉瓦造三階建、建築面積四六五平方メートル、陸屋根である。左右対称の正面で、中央に玄関を突出する。縦長窓を規則的に配した重厚な外観に対して、内部は中央の吹き抜けを取り、鋳鉄製の柱やステンドグラスを用いて華やかに仕上げる。1913年

▼見所の吹き抜け部分

▼裏門?

▼上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)旧分析室  登録有形文化財

倉庫棟の北側に東面にして建つ。木造平屋建、建築面積一一九平方メートル、切妻造瓦葺である。煉瓦造の周囲の建物にあわせて大壁造とし、窓は縦長窓、腰壁はスクラッチタイル張とする。石炭の品質分析を行った、石炭会社の現地事務所を特徴づける建物である。1913年

㊟下記写真は「文化財オンライン」から転写いたしました。(撮影失敗のため)

▼上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)倉庫棟  登録有形文化財

本館の西側に東面して建つ。煉瓦造二階建、建築面積一九〇平方メートル、切妻造瓦葺、L字形の平面とし、東面に突出した妻に三菱の社標を掲げる。基礎や窓まわりに石材を用いるなど簡素ながらも確かなつくりで、当時の煉瓦造倉庫の技術的水準を示す。1913年

▼上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)門柱及び塀 登録有形文化財

敷地正面である南面の東寄りと、北面の東寄りと西寄りの三箇所に門を開き、南、東、北の三面に塀を廻らす。煉瓦造、塀は総長一一五メートル、正門の門柱は高さ二・三メートルを測る。建設当時の姿をよく残し、石炭会社の現地事務所の構えを伝える。1913年

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旧古河鉱業若松ビル(赤煉瓦)・~福岡県北九州市若松区本町

2020-03-08 05:40:36 | 洋館

2020年1月29日 【小倉・門司・下関】 福岡県

旧古河鉱業若松ビル

福岡県北九州市若松区本町

1919年に建てられた、若松南海岸に位置する煉瓦造2階健の建物。石炭積出港として繁栄した若松港の姿を伝える数少ない歴史的建築物として、国の有形文化財に指定されている。ルネサンス様式や、単純な幾何学模様などのデザインが大正時代の意匠を細部まで残す。 

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石炭会館(旧若松石炭商同業組合)・~福岡県北九州市若松区本町

2020-03-07 06:03:58 | 洋館

2020年1月29日 【小倉・門司・下関】 福岡県

石炭会館(旧若松石炭商同業組合)

福岡県北九州市若松区本町

若松石炭会館は明治38(1905)年に洞海湾沿いに建てられました。若松区内に現存する洋風建築としては最も古い建造物で、建築当初は若松石炭商同業組合の事務所でした。

石炭積み出し港、若松の歴史を象徴する木造二階建ての建物で、外装は、モルタル塗りで、様式建築の規範に従って、左右対称の造りとなっており、一対の円柱がこの効果を高めています。

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若松(福岡県北九州市)の町並み

2020-03-06 06:00:31 | 町並み

2020年1月29日 【小倉・門司・下関】 福岡県

若松(福岡県北九州市)の町並み

明治に入ってからの港湾の整備、鉄道の開通などにより、若松港が筑豊の石炭を扱う日本一の石炭集積港となったことで最盛期を迎えました。 昭和30年代になると、石炭から石油へのエネルギー革命などによって経済力は急速に減退しました。

▼若松駅

▼SL9600型19633号 大正6年製造 (駅そば公園内)

▼若松南海岸通り(若松バンド)

正期の建物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも非常に優れた地域です。 バンドのオリジナルな景観を残す港湾都市は港湾機能を失った都市を除くと、日本ではここ若松だけです。

若戸大橋

▲対岸は戸畑

▼旧ごんぞう小屋

北九州では、沖の本船で石炭荷役をする仲士のことを ”ごんぞう”  と呼びました。かって明治時代、石炭積出港として隆盛を極めた若松には、そうした ”ごんぞう”  のエネルギッシュな姿がありました。「旧ごんぞう小屋」は、かつて当地にあった彼らの詰め所を 模して作られたレトロな休憩所。

▼弁財天

▼石炭会館(旧若松石炭商同業組合)

▼旧古河鉱業若松ビル

▼上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)本館

▼若戸大橋

▼若戸渡船乗り場

若松駅へ戻る

火野葦平旧居「河伯堂(かはくどう)」へ

▼火野葦平旧居「河伯堂(かはくどう)」

料亭金鍋本館 国登録文化財

▼若松駅前

▼若松駅

☆☆

九州の鉄道車両は楽しいゾ!

▼特急「ソニック」 883系

▼DENCHA

近郊形交流用蓄電池駆動電車BEC819系に付けられた愛称

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東大農学部3号館(東京都選定歴史的建造物)・~東大弥生本郷キャンパス

2020-03-05 06:02:18 | 洋館

2019年11月1日 東京都 【東大弥生本郷キャンパスの建築物】

東大農学部3号館 東京都選定歴史的建造物

東大弥生本郷キャンパス

1941年完成。設計は内田祥三

 

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東大弥生キャンパスの建築物~東京都文京区弥生

2020-03-04 06:08:06 | 洋館

2019年11月1日 東京都 【東大弥生本郷キャンパスの建築物】

東大弥生キャンパスの建築物

東京都文京区弥生

▼東大農学部1号館

▼東大農学部3号館 東京都選定歴史的建造物

 

 

▼農正門

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東大本郷キャンパスの建築物①

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修善寺温泉にて~静岡県伊豆市修善寺

2020-03-03 05:52:06 | 温泉街

2019年12月16日 静岡県

修善寺温泉にて

静岡県伊豆市修善寺

善寺の温泉街、ほぼ中心に位置する独鈷の湯。桂川の清流の中に湧くこの温泉は修善寺温泉の原点です。
大同2年(807年)に弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつかれた父の体を洗う少年を見つけました。その孝心に心を打たれた弘法大師は「川の水では冷たかろう」と手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、そこから霊泉を湧出させたといいます。
そして、大師が父子に温泉療法を教えたところ不思議なことに、父の十数年の固疾はたちまち平癒、その後この地には温泉療法が広まったと伝えられています。
これが修善寺温泉発祥の元になった独鈷の湯で、この温泉は伊豆最古ともいわれています。

▼修善寺

平安初期、大同二年(807年)、弘法大師が開創したと言われています。
爾来1200年、伊豆国禅院一千束と正史にも記され、山懐に抱かれた、ゆるやかな時の中で北条氏、源氏の興亡を見守った伊豆を代表する名刹。

▼独鈷の湯(修善寺温泉発祥の湯)

▼新井旅館

荘厳な趣の大浴場「天平大浴堂」、渡りの橋、文人墨客にゆかりのある客室など15棟が国の登録有形文化財。

青州楼 登録文化財

唐破風付きの城郭風建築で,六角塔屋をもち,「新井旅館」のシンボルとなっている。

▲独鈷の湯と新井旅館(青州楼)

▲筥湯(はこゆ)

富士山ビュースポット

静岡県沼津市西浦江梨付近

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起雲閣(熱海市指定有形文化財)・~静岡県熱海市昭和町

2020-03-02 06:02:13 | 建築物(洋館以外)

2019年12月15日 静岡県

起雲閣 熱海市指定有形文化財

静岡県熱海市昭和町

1919(大正8)年に別荘として築かれ、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣。1947(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多く宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。
市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる本館(和館)と離れ日本、中国、欧州などの装飾や様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館。

▼旅館部分の客室



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