雀の手箱

折々の記録と墨彩画

秋の訪れ

2016年10月19日 | 塵界茫々
「目にはさやかに見えねども」風の気配に秋の訪れを感じたいにしへのうた人が詠んだのは今頃の季節なのでしょう。
 ただ今年の自然界は異常のようです。我が家の荒れた庭でも、柿の実が今年は数えるほどの生りで、造園業者も長年見てきて、裏年とはいえはじめてのことと驚いています。
 ホトトギスの傍ではツワブキが盛りの黄色ですし、金木犀も高い香を放っています。例年は刈り取るほどの水引草が、夏の炎暑で枯れて、細々とひっそり赤い粒をつけています。10月半ばを過ぎても、半袖でも暑い日があるかと思えば、雨の後などは長袖のカーデガンが必要な日もあります。颱風もいつまでも発生し続けているようです。

 やっと「平常」が戻った老い二人だけの暮らしは、言葉も少なく、早くも「秋深みかも」の様相を呈しています。












秋の空

2016年09月26日 | 塵界茫々





 やっと台風の余波も解消して、秋空が顔を覗かせ始めています。
 今日は造園業者が、雨が上がったのでと庭の手入れに来てくれました。気が付いておいでですかと、柿の実のつきが極端に少ないことを告げました。自分が手入れに来るようになって初めての事です。数えてみて10個しか生っていません。と、驚いていました。
 私の居室の前の富有柿は3個だけ落ちずに残っていたのですが、台風が連れてきた雨に叩かれて地上で崩れていました。まるで晩秋のような疎らな木の葉の間から秋空が望めます。
 柿もですが、とにかく植物の状態がすべて異常のような気がしています。
 今年は千両がたわわに実をつけてお正月のお花に、お世話になるご近所にもお分けしようとたのしみにしていたのに、夏の暑さで三分の一を残して枯れてしまいましたし、彼岸花も2週間も早く咲きだしていました。柑橘類は今のところ異常はないようです。馬酔木の花芽は狂い咲きを予想させる着きようです。
 我が家だけの現象なのかどうなのかわかりませんが、颱風の頻繁な訪れも異常のような気がしています。
 
 このところ体調がすぐれない夫のこともあり、きれいに草が取り除かれてすっきりした庭を眺めながら感慨にふけっています。
 




相思華

2016年09月18日 | 塵界茫々
「葉は花を想い、花は葉を想う」互いに相見ることのない花と葉。名前の持つ悲しみを抱くロマンに惹かれますが、ご存知の彼岸花の事です。
 この花は多くの異名を持っていますが、私は曼珠沙華が一番ふさわしい名前のような気がします。
 お墓や田んぼの畦に多く見られるので、不気味な名前もあるようです。花にも茎にもそして球根にも猛毒を持っているのだそうです。華やぐ姿に悲しみを感じさせるのはこうしたせいでしょうか。

 今年は、例年日を限っての律儀な訪問が、雨と日照りが厳しかったために体内時計が狂ったと見え、彼岸の入りよりも半月も早くから咲きだしていました。ただ群生ではなく花立ちもまばらのような気がします。柿の実も裏年とはいえ極端に少ないようです。

   つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子の好きな句のような紺碧の空とは程遠く、台風の余波で、曇り空のもとで咲く彼岸の入りです。




仙人草

2016年09月14日 | 塵界茫々








 自宅への坂の登り口の大きな家は、人が住まなくなって4年、庭の手入れはされているようですが、片隅の物置小屋の屋根には仙人草がいっぱいに蔓を広げ、乳白色の花をつけて、白い屋根となって、この季節はかすかな芳香を放っています。
 坂の上り下りの時、なんという名前を持っているのかと、花の季節には気にしていながら、仙人草の名前にたどり着くまでだいぶ時間がかかった古い記憶があります。

 こうした形になるのは我が家も同じ運命と覚悟して眺めています。花はあるじを失っても毎年静かに咲いては地に帰って行きます。傍らの凌霄花の朱が目に沁みます。

 
 次々の台風の訪れで、すっきりした秋空は望むべくもなく、中秋の名月もどうやら無月らしいのですが、虫のすだきは暦通りです。

 
 つれずれの気晴らしに仙人草と凌霄花を描いてみました。










追悼の日

2016年08月15日 | 塵界茫々
 今年も71年前の8月15日と同じ晴れ渡る夏空でした。照りつける陽射の中、終戦の日がめぐってきました。
 正午にはテレビの戦没者追悼式の式典中継に合わせて、天皇とご一緒に、戦没者への黙祷を捧げました。
 今年は、北九州市の市民の戦争体験を採録する企画に参加して以来、市のDVD録画、二つのテレビ局からの取材や、ムーブでの講演と、次々にお呼びがかかりました。
 今日は、夕方5時から西日本テレビの”終戦71年女性の証言 花火に重ねる記憶とは“の放映でした。折からリオでのオリンピックの華やかな成果で、大分端折った内容になっていたようです。
 今日の朝日新聞の一面のトップ記事も「戦争体験 老いる語り部」でした。
 老残の姿を曝すのはやめにしようと決めて、同窓会の招きにもこの3年は欠席を続けてきましたが、次の80周年の戦争体験を語る企画には到底参加はありえないと思い、あえてお断りせずに応じてきました。これは戦争を知らない世代へ、戦争を体験し生き残った者が、なすべき責務のようなものだと考えたからです。
 私の体験などは、広島や長崎で原爆を体験した方々や地上戦を体験した沖縄の方たちに比べれば微々たるものです。その上、すでに記憶も曖昧になってはいますが、小倉造兵廠で風船爆弾の紙張りをした16歳の日々や、八幡大空襲の翌日の焼け野が原を目にし、黒焦げの屍を呆然と見つめてさまよった記憶、頭上の空中戦で体当たりした飛行機の部品が空を舞うのを防空壕から目の当たりにした鮮烈な記憶の切れ端は70年の歳月を経ても消えることはありません。

 どうかこの国の豊かな美しい自然が戦禍で壊滅するような日が再び来ることがないよう叡智を集結して守り続けてください。地震や大雨といった自然災害は人の力で食い止めることは難しいでしょうが、人が起こす戦争は人の力で何とか防ぎとめることが可能なはずです。










このごろ

2016年08月09日 | 塵界茫々
 連日35度を超える暑さに、買い物にも出かけないので、冷蔵庫のストックが片付いています。娘の帰省で家事一切を任せての休息で、時間はたっぷりあるのに気が緩んだのでしょうか、何をする意欲もなく、ブログの更新も滞ったままで、絵筆も動いていません。
 今日は勧められて、伸び放題だった髪を切りに出かけ気分も少しすっきりしました。

 私の八月は祈りの月です。六日の広島への原爆投下、そして八日は生まれ育った北九州は八幡が大空襲で焼け野が原と化した日。今日九日は長崎への原爆投下で10万人を超える犠牲者が出た日と続いて、やがてお盆を迎えます。
 いくさで命を絶たれた多くの御霊に安らかなれと祈りを捧げます。

 戦争を体験した者として、請われるままに、終戦から71年の時を経て初めて自分の体験を語りました。これは戦争を知らない世代へ語り伝えるのは、生き残った者の責務だと思ったからです。人前に老残を曝すことはやめようと決めていましたが、見苦しくともあえて曝すことが時間の重みだろうと考え直し、小倉造兵廠への動員の日々や、八幡大空襲の惨状も語りました。そうすることが、私の死者への鎮魂でした。

 今年はブラジル、リオでのオリンピックの開催と重なり、かつて暮したこともある土地だけに懐かしさもあり、友人たちからも毎日送信されるメールや動画で盛況を見ていますが、今一つ夢中になれません。これを夏バテというのでしょうか。
 下の三枚の習作は、こうした日々の中でのものです。やはりどこか気合が抜けています。


 







夏祭りの季節

2016年07月17日 | 塵界茫々
 毎年恒例のテレビで見物の博多祇園の追い山も盛況のうちに終了し、「太鼓の祇園」と呼ばれる小倉祇園も今日の据え打ちの競演会で終わりとなります。後は昔から喧嘩祇園といわれた黒崎の祇園の山と、勇壮な中にも幻想的な戸畑の提灯山が控えています。
総じて、夏祭りはやはり男衆が肩に担ぐ山車がわたしには好みです。掛け声も勢いのよいのが好きです。上品な京都の祇園山も、歴史絵巻と観賞しました。
 地元の子供たちが曳く小さな飾り山がお囃子の音を響かせて遠く聞こえています。

「もののあはれ」の物語以来、夏祭りの記事は、限りもなく、お祭り好きの跳ねっ返りぶりが記されていますが、今はもう出かけることもかなわず、またその気にもなれない自分の変貌に驚いています。

 3連休でもヘルパーさんたちには休みもなく、きちんと訪問して仕事をこなして行かれます。汗びっしょりのお仕事に、せめてものお礼に、辞退されるのを無理強いして,赤紫蘇の手作りジュースを差し上げると皆さん大喜びされます。

 処理能力全般が著しく低下してしまっていている私は、雨漏りの後片付けもまだで、梅雨が明けていないからと、自分に言い訳をしています。


  この記事は、パソコンの不調が原因不明のため、「下書き」に入ったまま、投稿できないでいました。



  今年の一番山大黒流れの「祝いめでた」の奉納が終わったところ TVの画像よりお借りしました。 

瓢箪哀歌

2016年07月07日 | 塵界茫々




 今年も私にとっての夏の風物詩、瓢箪を団扇に描こうとして、今は庭には存在しない瓢箪の葉を、写真で確認するためにアルバムを開いてみました。
写真は4年前の夫の瓢箪棚です。
 そのころの転倒、骨折をきっかけに、気持ちの焦りとは裏腹に、外での作業が出来なくなり、急速に体力が落ちてきていることに今更ながら驚いています。部屋に籠りがちになると、気力も衰えるようです。

 瓢箪の房掛けも、左手が利かない今は結ぶことはもう無理のようです。酒で根気よく拭いて艶出しをしては飽きずにながめていましたが、今はリハビリになるからと勧めるのですが、しばらくすると手は動いてなくて、じっと眺めています。

 私は高田 保の「ぶらりひょうたん」が好みぐらいの瓢箪への関心で、もっぱら夏の画題にするくらいなのですが、おかしなもので、娘も瓢箪が好きで、象牙の端材が手に入ったときには羽織の紐かざりや、帯どめに仕上げています。今宵は七夕。星のロマンにあやかり、せめて団扇の風でも送って昔語りのきっかけにでもしましょう。











連休明け

2016年05月07日 | 塵界茫々
 熊本の地震災害の状況は悲惨としか言いようもなく、かつて宿泊した南阿蘇の豊かな湧水源や、海外からの来客を案内した名所も、無残な映像となって映し出されて胸をいためています。
 全国からのボランティアの方々が連休を救援にと駆けつけてくださっている姿に頭が下がります。自然の力の前には人はなす術もなく翻弄されます。追い打ちをかけるかのような、台風並みの風と雨です。ニユースでは14日からの地震の回数は1259回と報じています。これ以上の災害はどうかご容赦と祈ります。被災した方々はどんなにか辛い日々でしょう。どうか逞しく生き抜いてほしいと念願しています。

 我が家では、どこにも出かけることなく、家の周りの推移する季節の草花をいとおしみながら、ゆっくりと散策し、勢いよく伸びてくる茗荷の成長に元気をもらっています。いつもは反発を感じて遠ざかる紅ウツギですが、ツツジが終った庭の片隅の目を惹く色に今年は励まされる思いで眺めています。病院のお休みで間が空いたので、痛みが勢いづいています。早速の注射とリハビリが再開しますが、混んでいることでしょう。





畳半畳余りの広さで毎年たくさんの収穫をもたらす茗荷。



紅うつぎ



令法(リョウブ)も花盛りが近いようです。


連翹の咲くころ

2016年03月23日 | 塵界茫々

 全国に先駆けて、福岡で桜の開花宣言が19日に出されました。
 娘の帰省で気が緩んだのでしょうか、このところ怠け癖が出ていました。お彼岸もあけやっと一息といったところです。浮き立つ季節の到来ですが、今年は花見に出かけることができるかどうか。夫の状態は、安定はしてきているものの、やはり足元がおぼつかなくなっているので、車椅子での花見車となりそうです。

 櫻はまだ大方は蕾を膨らませた程度ですが、庭では今は連翹が盛りです。蝋梅に始まって、土佐水木、菜の花、と黄色の花が春を告げる中、この色の濃い連翹が黄色の花の最後で、次は紫へと移ります。
 この連翹が咲くと私はしきりに高村光太郎を思い出します。光太郎の命日は4月2日で、この花を愛した彫刻家であり、詩人であった人を偲んで「連翹忌」とよばれています。このころは本箱から「道程」や、「智恵子抄」を出してきます。

 連翹忌のころはもう当地では花は終わりごろとなっています。今年は十和田湖畔に建つ「乙女の像」を見に行き、奥入瀬から八甲田を目指した遠い日の二人旅を思い出しました。



          連翹の奥や碁を打つ石の音  漱石

          連翹に月のほのめく籬かな  草城