雀の手箱

折々の記録と墨彩画

しばらくお休みに

2017年09月16日 | 塵界茫々
 さまざまな出来事が集中して、心身ともに疲れ気味です。
 夜が十分に眠れませんし、物忘れもひどく、何もやる気がでないので、ブログもしばらくお休みにさせていただいています。

 引きこもりがちなのを心配したケアマネージャーの勧めもあって、気分転換と体力維持のためと思って、私も午後から3時間だけのリハビリ専門のデイサービスに通い始めました。
 あるじがデイサービスに出かける日に、予定では週二日、送迎付きで出かけることになっています。

 開設2年目の施設は快適で、ウォーターベッドやホットパックのほか、1対1のPTさんの施術もあり、後は渡されたプログラムを、機具を使っての自主トレです。
 うっすらと汗をかいて、なんとなく体が軽くなるような気がしています。
 体調が戻りましたら、ブログも月末位には再開できるかと思います。ご訪問くださる方には申し訳なくお詫び申し上げます。










この頃

2017年08月18日 | 塵界茫々




 
残暑お見舞い申し上げます


 ただ今プリンターが長年の酷使にダウンして入院中です。不自由この上ない事で、古い画像でのお見舞いをお許しください。
 今年は蝉の合唱が小さく聞こえるのは私の耳のせいでしょうか。アブラゼミやクマゼミに混じって、ツクツクホウシはもうお盆の前から声をたてています。
 皆様も体調管理をお心にかけ、元気にこの季節を乗り切られますように念じています。

 まるで日本が亜熱帯であるかのような熱波の日の連続や、豪雨の襲来で、夏野菜の出来も悪いと、近所の園芸を趣味にする方たちも嘆いています。そういえば今年は我が家の茗荷はまだ一度も収穫していません。放りっぱなしは例年の事なのですが。

 今年は、夫の二人の弟の初盆で、寂しさを感じて、互いにわが身の行く末を重ねては、しみじみと語り合う日もあります。

想い出の旧大連航路上屋

2017年08月13日 | 塵界茫々

上屋コリドーからの展望 現在の港風景


 先日出かけた「いのちをみつめて」が上演された旧大連航路上屋は、観光客に人気のレトロ地区とは門司港駅を挟んで反対側の西海岸にあります。門司港湾合同庁舎や海響ミュージアムの傍ですが、人気のレトロ地区にくらべると人の通りもまばらです。
 昭和の初期には、ここから夢を抱いて欧州へ、また南米へ、中国大陸へと船出した人たち。そして戦中は、いくさの最前線へと、多くの人が旅立って行きました。夫も故国の見納めと覚悟してこの港を後にしたと話していました。

 この場所は、私には思い出のある場所です。当時父親の赴任で旅順に住んでいた従兄が、何年かに一度、夏休みの間を「内地」へ帰省して過ごしていたのを見送りに出かけたことのある想い出の場所です。
 小学校3年生くらいの私は、従兄が履いている編上げの黒い革靴が珍しく、羨ましく見つめていた記憶があります。
 それと、従兄が投げたテープの輪が,出港の銅鑼の音と共に次第に小さくなって切れるときの物悲しい感触を覚えています。帰りに駅前のそこここで面白おかしい節回しで、叩き売りされているバナナを買ってもらうのが楽しみでした。

 終戦後のある日、家族5人が父親と共に、文字通りの着の身着のままの状態で引き揚げてきました。伯母はすでに終戦前に病を得て療養のため帰国して亡くなっていましたが、年上の女の子の髪は丸刈りの坊主頭だったのを覚えています。
 医者になっていた従兄が炭鉱の診療所で勤務するようになり、社宅がもらえたので、私の家から移ってゆきました。戦後の混乱期を乗り切った従兄も既に故人です。



旧大連航路の出港風景の写真 上屋の館内展示より


大連定期航路・黒龍丸の模型


上屋2階の長いコリドー


旧大連航路上屋 昭和4年竣工時の写真 パンフレットより


人が集う施設に生まれ変わった現在の上屋


 
 当時の国際旅客ターミナルは、アールデコ調のデザインで、かっての門司港が流行の最先端を行っていた港町だったことを偲ばせています。90年近くの歳月を経てもモダンです。 

今年の五月

2017年05月22日 | 塵界茫々



一年のうち一番美しい月とされていた「美しき五月」が、今年はいささか妙なことになっています。
 晴れの日が続いていて、昨日など7月下旬から八月上旬並みの30度という気温に、植木鉢の植物は元気がありません。
 櫻のころほど生暖かくもなければ、真夏の涼風ほど幅ったくもなく、肌ざわりの良いさらりとしたそよ風が瑞々しい青葉の薫りを運んでくる喜びを味わう間もなかったような気がします。
 梅花空木も香りが薄いような気がします。
 今月の庭師のお土産は孟宗から淡竹に変わっていましたが、雨がないので数も少ないと言っていました。楽しみにしてくださいと、植えていってくれたミニトマトやゴーヤの水やりにも追われそうです。 

 柏葉紫陽花や山法師は、早くも盛りの時を迎えて、下陰には朝顔が顔を見せていますし、蛍袋も口を開けてうつむき、蛍の訪れを待って賑やかです。
 











             今朝の画題は山法師の一団です。






彼岸明け

2017年03月24日 | 塵界茫々
 東京では早くも桜の開花が告げられています。暑さ寒さも彼岸までとはいえ、春の気配は行きつ戻りつで、お彼岸は明けても九州ではまだ開花宣言は出ていません。
 お彼岸詣りに訪問くださった菩提寺の若い僧侶に、お彼岸について学びました。お彼岸という行事は、ほかの仏教国にはみられない日本独自の習慣であること。起源は平安時代にさかのぼり、、伝教大師最澄と弘法大使空海という日本仏教の祖師が中国から帰朝したころからだそうです。
 中日には太陽が真西に沈むことから、西方浄土への極楽往生を願う日としての意味を持つようになり、江戸時代には一般庶民にも浸透して国民的行事になったと伺いました。
 お彼岸といえば先祖供養とばかり思っていましたが、実は「悟りの世界(彼岸)へ近づくための修業期間」という、もう一つの意味があるということでした。その修行を代表するのが六波羅蜜。布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧の六つなのだそうで、いづれも困難な課題のようです。道理で中日を挟んで前後3日間と1週間もの期間が設けられているのがわかります。どれか一つでもと言われても、無縁の俗人の煩悩は断ちがたく、せめて救いを求めて弥陀の名号を唱えることとしました。









 リハビリに通う病院の窓の外。先週が満開でしたが、カメラを持参した今日はもう散りはじめていたコブシの白い花です。

描き初め

2017年01月22日 | 塵界茫々

 今年は病院通いで、なかなか絵筆を手にできずにいました。
、折尾駅の高架工事が最終段階で、大きな踏切が昨年12月から通行できなくなっているので、立ち寄ることがなくなっていた「梔子の池公園」の方に薬局に行くコースの回り道をしました。

 池を覆っていた夏の日の白蓮は、今は枯れ蓮の無惨な姿です。この風景に会わないと私の「冬」は完結しないようです。思い切り放恣に乱れ、池水に沈む姿は痛ましくも悲しみの中に強い線を見せています。それは戦いの果ての古戦場もかくやと幻想させ、風に吹き寄せられた実を飛ばした蓮のうてなは、いくさに敗れた亡者たちのされこうべとさえみえて、全く人の気配もない公園の昼下がり、しばらく声もなく佇んでいました。







 枯れ蓮のおどろおどろの姿に触発されて、今年の手すさびの初めは枯れ蓮にすると決めました。ただし、例年のように、最初の一枚は「南天」です。これも年老いての縁起かつぎでしょうか。
 庭の水仙を供花のつもりで、刀折れ、矢つきた枯れ蓮への挽歌を描いてみました。













2017年のお年賀

2017年01月01日 | 塵界茫々

明けましておめでとうございます。

 穏やかに新しい年が明けました。今年も皆様の上にこころ豊かな佳いことが多く訪れますように。



 私は今年で納めとする年賀状をお送りしました。長い交友の方々との絆を振り返ると少しさびしい想いもありますが、遠からずけじめを着けなくてはならない日が来ることを思えば、まだしもの老耄の程度の今が潮時と思案しました。
 夫は卒寿の年、私の代筆で賀状を卒業する旨を書き添えてお送りしました。

 せめて続けられる限りは、パソコンの上でのお年賀は継続したいものと考えています。
 これからもよろしくお願いします。




数え日の想い

2016年12月29日 | 塵界茫々
 今年も残すところ3日、多事多難な出来事ばかりだった年だったような気がしていました。そうした中で三人目に生まれた曾孫が、初めて女の子で、愛らしい写真に気持ちも和ませてもらってきました。
 けじめをつける年と、やっと覚悟を決めることができ、捨てることに専念できるようになり、身辺整理も少しだけ捗るような気がしています。心配してくださった主人の体調もこのところ順調に推移し、正月をこちらでと帰省した娘も別人みたいだと喜んでいます。これぐらいが我が家のささやかな幸せの出来事です。
 皆様に佳い年が訪れますように。







喪中ハガキ

2016年12月03日 | 塵界茫々
 今年も喪中につき年頭の祝賀を差し控えますという趣旨のハガキが届く季節となりました。郵便受けをあけて驚く報せもあります。
 自分よりも年下の旧友や、かつて気鋭の舌鋒で叱咤され、多くの教えをいただいた方のご遺族から、定型の簡単な文面でのご他界のお知らせに一抹の寂しさと、迫りくる自らのその日を重ねて万感の思いがあります。
 故人とは異なり、ご遺族にとっては見知らぬ人への挨拶状であってみれば、決まりの文言以上はありえないことで致し方ない事ですが、その淡泊が喪失感を一層深いものにします。

 来る年は馬齢を重ねて米寿を迎える身です。彼岸の世界の方が知人友人が多くなっています。まだしもの老耄のこの辺りで、末広がりの八十八をめでたしとして、お年賀を納めにしようかと迷っています。






気に入りの秋のコース

2016年11月23日 | 塵界茫々


この数年お世話になっている歯科へ通う道筋です。カメラを持参していなくて美しい盛りの時を逃してしまい今日はもう銀杏並木は散りを急いでいました。
 夫が手術の折もこの銀杏に会いたくて、入院中の病院に毎日通うコースをこの道に決めていました。
 5年間持ちこたえた私の歯も、今日の診断で、ついにもう限界のようですから部分入れ歯に。と宣告されました。
おもえば、九州歯科大で、7年前すぐ抜歯をと勧められていたのですが、こちらの若い歯科医師は、まだ3年くらいは大丈夫。初めての部分入れ歯は慣れないでしょうから、できるだけ持たせましょうといわれ、時々治療に通っていました。
 年末は多用でしょうから年が明けたら抜歯ということでどうですかといわれています。また来年も私にとっての災厄の1月が約束されました。