雀の手箱

折々の記録と墨彩画

春の気配

2019年02月13日 | 日々好日

 
 久しぶりに春の陽ざしを感じて庭に出て、梅の香に包まれてひと時を過ごしました。先年の台風で倒れて、今は3本になった梅の古木の遅速をめで、まだ蕾の固い1本が開くのを楽しみにしています。
 今年はもう馬酔木が咲きそろいました。私の好きな白い花をつける方の馬酔木は季節に忠実にまだ小さな蕾の状態です。蕗の薹は、もうそろそろかと様子を見に降りて見ましたら、丈が伸びて花を開いたものまであって、エプロンのポケット一杯の収穫は、柿や躑躅の木陰のものでした。例年よりも小ぶりです。昨夜は天ぷらにして存分にほろ苦い春を味わいました。
 画題に事欠かなくなるこの頃、なんとなく億劫で、筆が進みません。体調がいまいちのせいでしょうか。「春愁」などという風流なものとは別物のようです。







初めての切符予約

2018年12月02日 | 日々好日
 JR九州での切符を初めてネット予約しました。ネットで切符を予約なんてとても無理と思って若い人たちに頼んでみようかとも思いましたが、年末の切符予約は1か月前、仕事を持っている人には10時からの受付時間に殺到すると考えられる時間を割くことはできないだろうと、試しに自分でやってみました。
 案ずるより何とやら、希望の時間帯で、接続のよい列車のを選択する案内もあり、駅に出向くことも援けを受ける必要もなく、ネット会員に登録してスムースに予約できました。後は予約完了のメール待ちだけです。

 その後、駅で待つこともなく、年末の混雑期に希望の列車が座席指定で取れてパソコンのありがたさを実感しました。
、後は予約番号と登録したクレジットカードを持って出発までに最寄りの駅に切符の受け取りに出向けばいいのですからありがたい事です。
 物は試しの実行が功を奏して少しいい気分です。
 
 気分がいいと絵筆もスムースに進む単純さを自嘲しています。移ろう季節を写したものを並べてみました。
 先日の柿が、トマトと見まがう色使いだったので何枚か描き直して、色だけはどうやらたどりついたものの、面白味がなくなりました。株は元気を出すために少し誇張して。毎年の零余子はちょっと遊んでみました。







私の秋の七草

2018年10月04日 | 日々好日
 萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また 藤袴 
朝顔の花

 山上憶良が旋頭歌で数えた万葉集のよく知られた七草で、捨てがたく納得するものです。私もこれに倣って自分なりの好みでしばしば秋の七草を選んで愉しみます。
 今年の私の「七草」は、
 尾花、吾亦紅 水引草 野菊 彼岸花 赤まんま 仙人草 です。
 萩は年により仙人草と入れ替わります。
 齢を重ねるうちに好みがはかなげな風情のものが多くなっていくようです。自身でも変化してゆくのに興があります。若いころの、秋桜(コスモス)や竜胆、桔梗などが消えて、赤のまんまや吾亦紅が定着しましたが、彼岸花は画題に好むからでしょうか、華やかな中に何か哀愁を感じて今も健在です。
 先日、私の七草を聞いた友人に教示されたのは、昭和10年に日日新聞が企画して当時の七名家にそれぞれの一種ずつを持ち寄ってもらい七草を選んだことがあったのだそうです。教わった通りに次に挙げておきます。

   長谷川時雨  雁来紅(けいとう)
   菊池 寛   秋櫻(コスモス)
   齋藤茂吉   曼珠沙華(彼岸花)
   高浜虚子   赤まんま(いぬたで)
   牧野富太郎  菊
   与謝野晶子  おしろい花
   永井荷風   秋海棠(断腸花)
 

 並べてみると、選んだ人のキャラクターとよく釣り合っているようにも思えてきます。
 吉井勇や北原白秋といった方ならなるほどと思ったでしょうが、斉藤茂吉が彼岸花を挙げているのが、ちょっと意外でしたが嬉しくなりました。

 ところで、わが七草、万葉集や新七草とどうしても重複してしまうもの>があるのですが、知らなかったこととして、あえて挙げておきます。並べてみると、やはり田舎暮らしの選択です。あなたの「七草」に選ばれる草々は?











お彼岸のころ

2018年09月21日 | 日々好日
 秋雨が続いて、送迎してくださるリハビリのほかには出かけることもなく過ごす日々です。
 運動不足を解消すべく、デジカメを持って家の周りの初秋の花信を求めてみました。 栗の毬は色づき始め、早く咲きすぎた彼岸花はもう盛りを過ぎたようです。夏中咲いていた瑠璃茉莉は、毎日の雨で再び元気を取り戻して、水浅葱の乱舞で楽しませてくれます。今年はお盆前に剪定されて花を見ることはないかと思っていたサルスベリが、百日の白い花を咲かせています。なぜか我が家の百日紅は昔から名に背く白です。
 生い茂る草の中で紫露草は健気に存在を主張していました。
 またも画題をもらった散歩になりました。ただし、お彼岸に入ったのでしばらく道具は仕舞っています。所在なく山頭火の句集などめくっては雨の日のつれづれに言の葉の初秋を探訪しています。


  山頭火

     お彼岸のお彼岸花をみほとけに

     吹きぬける秋風の吹きぬけるままに

     悔いる心の曼珠沙華燃ゆる

     真っすぐな道でさみしい

     何を求める風の中ゆく













想い出の門司港

2018年07月28日 | 日々好日
 もうスケッチで出かけることは殆ど期待できない門司港です。写真を整理していて、目に留まった風景を、想い出として辿ってみました。
 小さな葉書絵に納めるには、思い切ってカットしたり、無理に納めたりで愉しみました。8月に入れば新盆の準備で絵筆を執ることも出来なくなると思うので、心ゆくまで遊びました。その中からの3枚です。










初夏の彩りの庭で

2018年05月16日 | 日々好日
 夏の気配が濃くなってきたので、画題への刺激を求めて降り立った庭では、花たちも初夏を謳歌していました。
 ツツジが終って少し寂しくなった庭に今はサツキが一斉に花を咲かせています。まさに暦どおりの皐月です。

 庭に咲く花のうち私の一番好きなバイカウツギが上品な香りと共に白い顔を俯けて咲きだしました。山アジサイはもう花を散らし始めていますが、楚々とした佇まいを愛しています。
 令法(リョウブ)も花盛りのようです。毎年影も形も見ないうちに小鳥たちに奪われてしまうグミの実が今年は目に留まりました。亡くなった夫はうちのグミは実がならなくなったようだと言っていましたが、今年は他にもっと美味しいものがあるのでしょうか、それとも食べごろを見計らっているのでしょうか。大きな粒を垂らしています。
 山桜桃梅(ユスラウメ)は、例年通り赤い実を揺らして健在です。




















地域限定の自家用車

2018年04月30日 | 日々好日






 只今の私の愛車は、レンタルの4輪のシニアカーです。愛称「トコちゃん」。坂道を上らねばならないので買い物の帰りが難渋していましたが、トコちゃんが来てくれてからは、すいすいと登ってくれます。
 小柄な体で100キロまでを支えることができるのだとか。ハンドルの動きも軽く回転半径も小さいので楽です。歩道通行で、運転免許の必要はなしです。満杯に充電すると30キロまで走行できるようですが、片道3キロ程度の病院行きと買い物用に重宝しています。彼女が来てくれて、控えていた外出も少し増えてきました。薬局、郵便局、銀行と自分で用が済ませられます。

 車に乗っていただけに、最高時速6キロで、進路を塞がれることがどれほど迷惑かと推測できますので、もっぱら指示された通りに歩道を通行しています。遠回りになっても、車や人が多いところや、歩道がないところはなるべく通らないことにしていますが、そうなって分かったことは、車道に比べて、歩道の整備がいかに遅れているかということです。とにかく波打っているし、傾斜や段差が多いのです。行政の区域が違うと歩道の状態がかなり違うことも実感します。
 6キロを出すのは広い平坦な歩道を走るときで、大人の早足くらいの速度です。バックの時は自動で2キロに変速するのでまだちょっと戸惑っています。トコちゃんには車庫が広すぎて、きまり悪げに見えます。




ことしの鯉のぼりです。連休の人出を案じての籠り居で、トコちゃんの出番もなく、庭の草むしりと草花の種まきなど園芸にいそしんでいます。長い時間は無理ですが。

散りはじめた躑躅

2018年04月26日 | 日々好日


 
 庭に初夏を告げる躑躅の競演はもう盛りを過ぎようとしています。花ごと潔く散り落ちてきます。
 躑躅と言えば、必ず思い浮かべるのが平家物語の「大原御幸」の後白河法皇と建礼門院がご対面になる場面です。突然登場した若い尼をいぶかる法皇に、「花篋肱に懸け岩躑躅うち添へて持たせ給ひたるは女院にて渡らせ給ひ候ふなり」と老いたる尼がお答えする場面です。もっとも山躑躅は朱赤で花も小さく、現代の園芸品種とは異なるのですが。








 躑躅が散るころには藤が盛りを迎え、ゴールデンウイークのころが盛りの時期なのに、今年は少し開花が早かったようです。万葉集にも30首くらい藤を詠んだ歌があったと思うのですが覚えているのは僅かです。


藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

        藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ









        

庭の梅を写す

2018年03月08日 | 日々好日



 忌が明けて二週間が経ち、やっと道具を拡げ、筆を執る気になりました。娘たちがそれぞれ帰って行き、一人の暮らしが、今までとは違った時間の流れで、ゆっくりと過ぎています。
 何も拘束されるものがないことがいささか拍子抜けで、どこかまだ急かされるような気がして、ああ、もう時間を気にしなくていいのだと自分に言い聞かせています。

 久しぶりに整形外科や歯科に自分のためだけに通院して、事情を知っている看護婦さんたちに慰めの言葉をいただきました。
 遅れていた梅が咲きそろい、土佐水木も例年どうりに花を垂れています。今年は蕗の薹を摘むことがなかったので、丈高く伸びた姿が目立っています。椿にクリスマスローズと北国のように何もかもが一斉に咲き競い、遅れてはならじとばかりに馬酔木も今を盛りと春の到来を告げています。
、かの「見すべき君が在りと言はなくに」の歌が自然と口に上ることです。亡き人の愛でた花を今年は殊にしみじみと眺めています。

 奈良の妹からも出かけてこないかと誘いの電話をもらっています。もう少し暖かくなったら、出かけてもいいかなという前向きの気持ちも起こっています。御心配をお掛けしましたが、どうやら心身共に回復基調にあります。


   磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに 大伯皇女 (万2-166)



お年賀

2018年01月02日 | 日々好日


明けましておめでとうございます。


 昨年は、米寿を期に勝手ながらお年賀を遠慮する旨のご挨拶を差し上げました。ありがたいことに今年も多数のお年賀をいただきました。返礼に代えてブログでのご挨拶とさせていただくのをお許しください。

 皆様にとって、今年も健やかで、幸多い充実の年となりますように。