雀の手箱

折々の記録と墨彩画

今年の紅葉

2017年11月29日 | 日々好日


 海外の友人から、庭の紅葉が懐かしいとメールが入っていました。毎年この季節には訪日の日を思い出してくれるようです。
 今年のいろはもみじは色がくすみを持って今一つで、おまけに大きな枝が葉をちじらせ、枯れていたのを、先月の剪定の折に庭師が鋸で切っていました。庭木も年老いたようで、混みすぎて見苦しくなっています。遠出はままならぬので、せめての季節の移ろいと、秋の名残りを庭で惜しむ日々です。
 桜紅葉、錦木、満天星、令法と目を楽しませてくれています。ただ、落ち葉の始末は今では、負担になる作業になっています。グールモンの落葉の詩や、白楽天の漢詩の風流を愉しんだ日は、今は昔です。




秋の彩り

2017年10月28日 | 日々好日
 今年は1本だけの富有柿は落果してしまい、十数個くらいしか止まりませんでした。数が少ないだけに大きく濃い味ですが、私が取れるのは僅か3個でした。
 台風21号が吹き荒れたあと、網戸の張り替えに来てくれたサッシ屋さんに、1本だけは鈴なりの次郎柿を、取ってもらいました。雨が降り出したため途中でやめてもらいましたが、お持ち帰りしてもらったほかにも、お世話になるご近所にお届けするほどありました。
 このところの画題はもっぱら柿です。庭のホトトギスも散り始めています。香を楽しんできた金木犀は長雨で命短く散りすぎましたが、石蕗の花の黄色が元気です。、銀杏並木も日に日に色鮮やかになっていき、病院通いのひと時目を愉しませてくれます。
 雨の多かった秋も急ぎ足のようです。











夜に咲く花

2017年08月02日 | 日々好日
 早いものでもう八月に入りました。連日34℃以上に固定した夏日はメタボな体には厳しいものがあります。
 それでも3回の食事にできる限りの変化を工夫して、何とか老い二人の日を送っています。

 蝉の声もここを先途の賑やかさですが、どこか忍びよる秋の気はいを内蔵しているのを感じます。
 車庫の裏のツツジの植え込みを覆う烏瓜の白い花が、開花準備ができているようだったので、昨晩は門を閉めに行くときカメラを持参しました。懐中電灯を照らすまでもなく、夜目にもほの白い網がみえました。
 月下美人はじめ、夜咲く花はいい香りで夜の蛾を誘うのでしょう。晩秋の真っ赤な4センチぐらいのラグビーボール状の実も風流なものですが、葉月の夜に広がるなんとも不思議なレース編みです。昼間の顔からは想像もできない奔放な妖しさで画心をくすぐります。














 
待たねども咲けばかなしき烏瓜  秋桜子


 からすうり翁のごとく咲きにけり  青畝

体操教室

2017年07月26日 | 日々好日
 北九州市の市政だよりで知った65歳以上対象の「高齢者向け筋力向上トレーニング啓発教室」の抽選に当たりました。
 実施されるのが、週1回、夫がデイサービスに出かける火曜日の午後で、私の足で5分とかからない同じ町内のフレッシュプラザが会場とあって、私にとってすべて好都合の条件なので、申し込みしていました。
 3ヶ月間の教室です。
 高齢者といっても、私が最高齢の集まりのようで、他の皆さんは元気に指導者の指示に順応されます。
 頭で理解しても、もたつくので、一番端で邪魔にならないようにと心掛けているのですが、気が付くとすぐ後ろに看護師さんが立っておられて、膝が曲がらず四苦八苦していると「無理をしてはいけません」「できるだけでいいのですよ」と笑顔で寄ってこられます。1時間半が長く感じられた最初のころと異なり、もう時間なのかと思うようになりました。脳トレに笑いがこぼれ、明るい雰囲気です。片手がグーパー、片方はグ―チョキパーは、どうにかできるようになると、では左右反対にといわれるともう途端に行き詰まりです。
 体操も日ごろ使わない筋肉を動かすので、さぞかし痛みが出ると覚悟したのですが、さすがプロの指導下での体操で、全く痛みは出ることなく8週間が経過しています。 スポーツタオルでサポートしていた膝曲げがサポートなしで行えるようになり、効果に驚いています。
 丹念なストレッチと、最後のヨガマットでの静かな瞑想と軽い整備運動が気に入って、低く流れるメロディーに耳を傾けています。先週は「蘇州夜曲」が流れていました。



半夏生

2017年07月03日 | 日々好日
 昨日の二日は半夏生(はんげしょう)でした。帰省中の娘が、スーパーのチラシに蛸がやたら多いのだけど何かわけがあるのかというのが疑問の発端でした。
 意味を聞かれて、二十四節季の一つで、農家にとっての田植えを終える目安の日だったと思う。「半夏半作」といわれるぐらいだから、農家には大事な日だったはず。今はもう関係ないのでしょうが。
 蛸を食べる風習は作物がタコの足のようによく土に根を張りついて根付くという豊作への願いからじゃないかなと答えておきました。チラシに登場してはいるものの、我が家にはもう蛸を食する習慣はなくなっています。

 半夏生と蛸の関係は、答えたものの全く自信が無い想像だったので調べてみました。大体誤りはなかったみたいです。ただ、二十四節気ではなくて、さらに分割した雑節に入ることが違っていました。
 半夏ともいわれるように、このころ半夏 (カラスビシャク)の花が咲くからという娘の説は正しかったようです。ついでに半夏は薬草ですが、半夏生は毒草だそうです。
 庭の半夏生は周りのシランやホウチャクソウに圧倒されて、今年はみすぼらしい姿です。

 台風3号が九州に接近中です。日本列島を横断の可能性も予測されています。何とか無事通過してほしいものです。









私の栽培した初めてのピーマンです。

今年の梅仕事

2017年06月19日 | 日々好日


 完熟して落ちる梅を痛ましいと思いながら拾っています。毎朝たっぷり1キロはあります。
 老木の梢のあたりにはまだ黄緑の色をうっすらと残した梅も見えています。

 もう梅干しを作ることは無理と判断して止めにしました。かくて完熟の梅は梅ジャムと梅味噌に姿を変えています。お世話になる方たちに小さな瓶詰にして、プレゼント用にし、喜ばれるとまた元気も出て、せっせと毎日1キロづつ、気長に梅を煮ています。甘ずっぱい梅の香りは、私にとっての今年の初夏の薫りです。料理の隠し味のほかに、毎朝のヨーグルトソースにも仲間入りさせて楽しんでいます。



入梅

2017年06月07日 | 日々好日

五日の暦に芒種と記されているのを見て、麦から稲の季節への移りかわりを思ひ、田んぼでは蛙の合唱が始まるなと、季節の移ろいの速さにせかされる思いです。

 晴天が続いた五月後半から、待っていた雨が遠慮がちに降りはじめ、梅雨入り宣言が早々と昨六日には出されました。

 荒れたわが古家でも、薄暗い広い座敷にいて、庭に静かに降り注ぐ細かな雨をしみじみと眺めている時間は決していやなものではありません。
 青梅が重い音をして落ちる、その音に一種の哀愁を感じます。それは秋の木の葉の落ちる、凋落の冷たい寂しさを伴う哀愁とは違ったぬくもりのある柔らかなものです。














   上の写真は、何の花の花盛りかお判りでしょうか。秋にはイガイガの針で実をつつむ果実です。


八重櫻

2017年04月16日 | 日々好日



 今年はソメイヨシノの開花が遅れたので、まだ花が残っているのに、我が家では門の脇の八重桜が満開の時を謳歌しています。何かせかされるみたいなある種の慌ただしさを感じます。
 いつもの年だと、散り急ぐ櫻との別れの風情をゆっくり味わい、揺蕩う春の感傷に浸るうちに八重桜が咲きはじめ、しきりに奈良の都恋しと締めくくるのですが、高村光太郎の愛した連翹も時を同じくして花盛りですし、満天星(ドウダン)や皐月、躑躅(ツツジ)までも、ちらほらと花をつけ始めました。
 片付けもはかどらない日が過ぎてゆきます。気分の切り替えにと、画室に篭ってみても筆が進まない日が続くので、画題も花に飽きて、今は北斎漫画の中から、笠をかぶって踊る奴の雀踊りをなぞってみたり、江戸の風俗画を手本に踊る人を描いてみたりの遊びです。




奈良七重七堂伽藍八重桜  芭蕉


すっかり伸びきった蕗の薹です。









春のささやき

2017年03月17日 | 日々好日
 春のよろこびを告げる草花を摘み取ってきての遊びです。気晴らしには、墨彩で愉しめるのを幸せに思います。リビングの壁面に、2週ごとに入れ替える小さな額を目に留めて、「春ですね。絵が変わるのが楽しみです」と喜んでくれるヘルパーさんもいて、弾みになっています。













 今庭では土佐水木が満開の花を揺らしています。今日は彼岸の入りで、お供えの支度のついで枝を切って大きな壺に投げ入れると春色に華やぎが出ました。




このごろ

2017年02月24日 | 日々好日
庭の草がやわらかく伸びはじめて、足もとでは冬の間には見かけなかった菫や蔓紫の紫が彩りを加え、春の訪れをしみじみ味わうこのごろです、
 私は、病院通いと、介護で、はかどらない確定申告の準備に焦れて、吾老いたりと情けなく、気分転換と自分に言い訳しては庭に出ています。
蕗の薹もずいぶん伸びてきました。
 近くの折尾駅も改装が進行しているようで、かなり町の様相も変貌しています。道幅が見違えるほど拡がり、工事の車が頻繁に行き交っています。
 26日の日曜日は、一年に一度の文楽観賞を楽しみにしています。今年の演目は「妹背山女庭訓」で昨年から期待していた出し物です。