雀の手箱

折々の記録と墨彩画

今年の文楽

2019年03月09日 | 雀の足跡


 今年の文楽は、夜の部の演目が「義経千本桜」の道行初音旅と、「新版歌祭文」の野崎村の段という懐かしいもので、若手の熱演も春らしく華やいだものでした。
 初めて「文楽」を知ったのが学生の頃で、吉田文五郎の遣う静御前でした。古本屋で求めた写真集があった筈と古い書物の本棚で探して、文五郎の抱く静御前と狐忠信。若き日の桐竹紋十郎の遣うお染に再会しました。
 昭和17年に筑摩書房から出版されたA4版の年代ものです。
 奥付には 定價 金拾圓 とあります。勿論、写真はモノクロで、解説文や評論、随想も旧仮名遣いですし、文字も旧漢字です。促音も大きいままの表記ですから、戦後に義務教育を受けた方たちには読みづらいものかもしれません。気づいてもっと驚いたのは、目次に並ぶ解説のメンバーが、いまや日本文化の基盤を築いた歴史上の人物として知られる錚々たる方々でした。熟読して、気持ちも新たに鑑賞に臨んだことでした。
 遠からず姿を消すことになる古書と思うので、記念に写真集からスキャンして留めます。




 註
 
 旧仮名遣いと旧漢字  「大變有り難い催ほしであつたと思ふ。」「これに聯關して考へることに異存の人が多いやうであるが自分はさうは思はない」といった表記です。

 吉田文五郎 四代目 明治2年(1869年)生まれ昭和37年(1962年)没 
 桐竹紋十郎 二代目 1920年生れ 1986年没 人間国宝









「光の王国」

2019年01月05日 | 雀の足跡
 年越しの8000発の花火は部屋のガラス越しで私にはうまくとることができませんでしたが、その雰囲気を挙げました。
 元日は、ふるまい酒と獅子舞がロビーであり、クラブラウンジではおせちとお雑煮も供されていました。
 大晦日は、年越しで遅くまで起きていたので、おせちの朝食の後は、かつて夫と訪れた目の前のガラスの美術館に散策がてら立ち寄りました。宿泊者には開園1時間前から解放されていて、誰もいない美術館で、ガレをはじめ古いヨーロッパのコレクションをゆっくり観て回りました。あとは夜の観光に備え、ホテルでゆっくり過ごしました。
 午後5時半からは、宣伝しているだけあって驚くほどの数の電飾で彩られたスポットをホテルのツアーバスで回りました。いくらLED電球が使用されているとはいえ、大変な消費電力と気になりました。せめて十分に楽しんでリフレッシュしなくてはと、重い足を引き摺っての休みやすみのそぞろ歩きでしたが、十分に楽しめました。

 一番奥の厳かなハウステンボスのイギリス風庭園の庭木に、クラシック音楽に合わせて点滅するショーを見た後、バスは跳ね橋近くへまわり、噴水の見事なウオーターマジックショウです。
 最後が、光の滝のブルーウエーブを中心に展開するイルミネーションを見て2時間のツアーが終了。 この日の夕食はホテルヨーロッパでした。お刺身と、必要な分だけ切りとって供されるローストビーフを堪能しました。カクテルが少し過ぎたみたいでしたが、アムステルダムまで3分の電飾された道のりを歩くうちに、すっかり治まりました。幸い天気にも恵まれ、無事に2泊3日の年越しの小旅行を感謝のうちに終えることができました。























お十夜法要

2018年11月12日 | 雀の足跡


 昨日は亡き夫の初十夜法要に菩提寺まで出かけました。
 最近テレビで時々見る「チコちゃんに叱られる」に触発されて、ボーッと生きてるんじゃないと、パソコンを頼りに、そもそもお十夜とは何を意味する法要かを検索してみました。
 お寺から季節ごとに送られてくる「大願寺だより」で、かつては十日十夜営まれた念仏会であること。無量寿経という浄土宗で特別大事な経典の中の教えに基づくものだということぐらいしか知りませんでした。
 世界大百科辞典「十夜」によると、十夜とは無量寿経 巻下の「此において善を修すること、十の夜すれば、他方の諸仏の国土において善をなすこと千歳するに勝れたり」というのによると記されていました。平安朝以来の法要は、今も京都 真如堂(天台宗)では11月5日から15日まで十夜念仏が修されているとも他に記事に在りました。

 お供え物で華やかに荘厳された本堂は椅子席もいっぱいで、床に座っている方もありました。読経に始まり、塔婆の戒名が読み上げられ供養の和讃があげられるのを聞いて、一日に短縮されていても、私には夜までのお勤めは無理なので、早々に辞去しました。夕刻にはまだ間があり、陽射しも暖かだったので、寺の前を100mほど直進した海岸に出て、穏やかに凪いだ海風に吹かれながら、日が落ちるまでよく遊んだものだと、生前お寺詣りの都度話していた遠賀川が海につながる河口を少しだけ散策して「この功徳をもって浄土への摂取不捨」を願いながら帰路を辿りました。

 関心がおありの方はリンクでどうぞ。




声明

2018年11月07日 | 雀の足跡


 声明(しょうみょう)は、一般的にはあまり知られてはいないと思うのですが、僧侶が合唱する宗教音楽です。
 2011年に、このブログでも記していますが、東長寺での薪能で、梅若玄祥師の「空海」を拝見した折に初めて聴いて興味をおぼえていました。
 縁あって今回は福岡シンホニーホールでの公演に出かけることができました。久しぶりの娘の帰省中の介助もあり、以前感動した経験があるという娘と一緒に出掛けました。ホークス優勝のセールの余韻もあってか博多の人出は平日にも関わらず大変なもので疲れました。

 真言宗の青年僧を中心に結成されていて、東長寺ご住職をはじめ鎮国寺や法蔵院といった高名なお寺の役僧の方も参加されていました。今回の声明はドイツ・クラシックオルガンの奏者として知られる 池田 泉さんとのコラボです。
 一部は二十数名の僧侶の合唱で、庭讃 散華 對揚 唱礼 理趣経 称名礼と進行し、休憩を挟んだ二部ではオルガン独奏と、コラボでの不動梵語 大般若転読 般若心経・不動真言 四智漢語と締め括られました。
 読経で培われたよく通る声での大音響の中、経文は解らないものの、荘厳な雰囲気で心なしか不思議な静けさと安らぎを覚えていました。



花だより

2018年09月27日 | 雀の足跡

















 各々2枚ずつを選びました。
 ついこの間まで暑さにふうふう言っていたのに、いきなり長袖を取り出し、寝具も薄綿入りのものに変える肌寒さにとまどっています。
 秋雨の日々、外出も億劫で、パソコンを開くこともなく絵筆と読書に没頭していて、時間の過ぎるのを忘れていることがあります。介護に使うことがなくなり、自分だけの時間であることに少し居心地の悪さを覚えるのはどういうことなのでしょう。
 ともあれ、急激な気温の変化は、年寄りには厳しく、体調を崩している友人もいます。リハビリの効果もあり、肩の不具合はほぼ解消し、膝に違和感があるものの、どうにか毎日をヘルパーさんたちの援けも借りて、やり過ごしています。
 10月に入ると、古典や薪能の催しもあり今から楽しみに待っています。


柳川へ

2018年06月04日 | 雀の足跡


 まだ柳川に行ったことがないという娘のために、日帰りのバスハイクを申込みしました。
 希望の日は申し込みが少なくて中止で、土曜日に変更となり、ほぼ満席状態のバスハイクでした。

 朝8時半、タクシーで着いた集合場所の引野口はすでに多数の人で驚いていると、ほかのツアーの人々も混じっていて、いろいろな目的地を表示したバスが次々にやってくるのを物珍しく眺めていました。
 博多からみやまインターを経て1時間半、田園風景の広がる初夏の筑後平野にはシラサギが舞う姿も見られました。
 柳川藩主立花邸「お花」の庭園をゆっくり鑑賞し、邸内の立花家資料館で開催中の刀剣を中心にした展示を拝見しました。昔、雛祭りのころ訪れた時と違って、小さいながらも整備された展示場には小さな賀茂人形や、大名家の雛飾りの精細さと豪華さに見とれました。
 私は何度も行っているので、白秋生家は省略して、かつての日、池にかけて設定された能舞台で演じられた薪能を拝見した日を反芻していました。
 川下りの船中で、名物のウナギの「せいろ蒸し」の弁当をいただきましたが、紐を引っ張ると蒸気が噴出してアツアツのせいろ蒸しになる仕掛けに興じましたが、何分にも狭い船上で、窮屈でした。
 途中には3万本と言われている様々な花菖蒲の植えられた菖蒲園もありましたが船上からの鑑賞でした。
 白秋の歌碑も設置されていて、両岸は人々の生活の場であり、縦横にめぐる水路が観光用の小規模のものを想像していた娘には予想外だったようです。船頭さんの唄う白秋の歌もいい声で、修学旅行中の高校生の舟とも手を振りながらすれ違いました。1時間の川下りは時間が早く過ぎました。
 午後は、船小屋温泉の黄土色で硫黄の香のする天然温泉の露天風呂で、2時間を愉しみ、一路北九州へ。五時過ぎに到着しました。
 ゆっくりとしたコースを選択したつもりでしたが、日帰りのバスハイクは初めてという娘は乗り物酔いで、下車後しばらくは休息を取らねば帰宅できませんでした。





















薬師寺の花会式

2018年04月05日 | 雀の足跡



 修二会としては東大寺のお水取りが有名ですが、薬師寺の修二会も、ご本尊にお供えされる10種の造花でいろどられた華やかなもので、花会式(ハナエシキ)と呼ばれて、奈良時代から絶えることなく続いているものです。

 25日から始まった七日間の修二会は31日が最終日で、夜8時過ぎに始まる鬼追い式は勇壮なもので、燃えさかる松明を振りかざす鬼が大暴れします。
消防と警察が警護する中で賑やかに進行しますが、火の粉を浴びると厄除けになるというので大勢の信者や観光客が詰めかけます。折角この時期に来合わせたのだからと、出かけました。暗闇のなか、松明と篝火での明かりなので私のカメラでは撮影は不能ですから興味のおありの方は花会式にリンクしてご覧ください。















 冒頭の画像はかつての薬師寺の姿です。薬師寺のホームページよりお借りしたものです。現在は東塔は解体復元作業が行われていて、覆屋の中です。 東塔も20年には落慶と告げられました。

櫻紀行

2018年04月05日 | 雀の足跡
天理のしだれ桜。3階の建物よりも高い大木でした。


 前日の桜に感動した私たちを見て、もう一つの桜をと連れ出した先は天理のしだれ桜でした。宿があることをよいことに何度も訪れている奈良のことですから、観光シーズンの人込みを避けるとなると、やはり明日香ということになり、天理参考館は初めてという弟達と、橿原考古学研究所付属博物館を見学したことがない私のためにコースが決まりました。
 どこも桜の盛りの時で、好天にも恵まれての花紀行となりました。

 次の日、近江八幡の白雲館での作品展に出品している妹に敬意を表しての訪問でも、時代劇のロケ地になる八幡掘は、まるで映画の中の一シーンのような風景に出来上がっていましたし、「たねや」本店でのお茶の休憩も、囲炉裏の脇のしつらえは桜の季節らしい華やぎでした。帰途に立ち寄った安土城址にほど近い滋賀県立安土城考古博物館周辺も桜並木でした。








聖徳太子誕生の所縁の寺 橘寺 境内の二面石 左と右に善悪の顔が彫られた飛鳥の石造のひとつ。


天理参考館 世界各地の民族資料の収集で有名。特にアジア関係はわが国最大。アイヌ関係や銅鐸など多数。以前は無料公開でしたが、新しい建物に替わってからは400円に入場料が必要でした。





近江八幡の八幡堀

櫻づくしの古都

2018年04月03日 | 雀の足跡


 新幹線から近鉄に乗り継いで4時過ぎに到着した西大寺の駅には妹が車で待っていてくれました。
 先年大極殿の復元の折に観た遣唐使船の模型が、新たに大きく復元されているというので、帰り道だからと平城京跡に立ち寄りました。広々とした空間を邪魔することがないよう、国道沿いにそれは浮かんでいました。大きくなったとはいえ全長30メートル余のこんな小さな手漕ぎの船旅はさぞかし心細いものだっただろうと想像し、鑑真和上も座したと思しき小さな部屋を覗きました。
 昏れるには少し間がある夕影の陽ざしの中、佐保川堤の桜が満開だから見せたいというので、万葉集にしばしば登場する「佐保」の地名に惹かれる私はわくわくしながら車に揺られていました。
 ここには場所取りのブルーシートや、酒宴の痕跡なども全く存在しなくて、そぞろ歩きの住民と思しき方々もゆっくりと桜を愉しむ風情で、さすが亀井勝一郎も讃えた「由緒正しい春の景観」でした。
 準備されていた妹の手料理の夕食の間も、もっぱら桜の話でした。











春日原生林を水源とする佐保川堤の桜並木は1200本余が延々5キロ、大和郡山まで続いているそうです。中には樹齢160年という植樹した人の名にちなむ川路桜もある由でした。