雀の手箱

折々の記録と墨彩画

気がすむまでの摸索

2017年11月04日 | 雀の足跡

 霜月に入り、カレンダーも薄くなってしまった日々をいとおしみながら過ごしています。

 今年は88歳、米寿の誕生月なので思いがけなく行政やその他の公的機関からもお祝金が届けられて驚いています。私の本音は「おめでとうございます」と記されていても、世にはばかって生きているようで、「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしています。」と心のうちで呟いています。「90歳何がめでたい」と開き直れる気力も持ち合わせず、多くの人手を借りて成り立っている今の暮しで、どこか居心地悪く、中途半端のめでたさです。

 一日の十三夜は、やっと晴天が戻ってきた日々で、先月の十五夜よりも美しいお月様を拝めて、今年は形見月にならずに済みました。文化の日や古典の日とやらも挟む教育文化週間のようですから、十三夜について調べてみました。
 中国伝来の十五夜と違って十三夜をめでる習慣は我が国独自のもののようです。お供えのススキも穂がまさに稲穂状ですし、(所によっては本物の稲穂をお供えするところもあるとか)団子の数も13個でいいようです。

 ところで琳派おたくの私は、今年も月を扇面に捉えようと四苦八苦しました。頭に去来していたのは漱石の句「張り交ぜの屏風に鳴くやきりぎりす」と蓼太の句「わが影の壁にしむ夜やきりぎりす」です。その摸索した足跡の楽屋裏を落款も押せないものも含めて何枚か選んで足跡を留めます。










仕舞を観賞

2017年10月16日 | 雀の足跡



 お誘いがあって、久しぶりに仕舞を楽しんできました。
 素謡と仕舞の上演で時間も2時間ほどということだったので、留守番をお願いして出かけました。出演は「花と風の会」を主宰する河村晴道師の仕舞は、さすがに重要無形文化財総合指定保持者らしく、その道一筋に生きる方の凛とした気品と風格がありました・
1960年生まれのお若い方らしく軽妙な語り口の解説も解りやすく、装束や面を披露しての説明もわかりやすく楽しめました。

 長いお付き合いの麻美子さんのお仕舞も優雅でたおやかな気品があって、かつて大濠能楽堂で「天鼓」や「胡蝶」の能を拝見したころと違って、肩の力も抜け、のびやかなもので、長年の修業は穏やかな気品へと成長しておいでなのを、しみじみと拝見しました。
 秋の長雨の午後、久しぶりの穏やかな時間でした。











八月は祈りの月

2017年08月09日 | 雀の足跡
 今年も祈りの月、八月がやってきました。私の八月は、いくさに散った御霊への鎮魂の月です。
 七月に広島テレビの取材を受けた分の放映はもう七月末に終わりましたが、六日は台風5号の動きを気にしつつ、午前中は広島への追悼番組に見入っていました。
 広島市長の追悼の言葉の切実さに比べ、首相のそれは私には少しそっけなく聞こえました。



 前日の五日、土曜日には、門司港の旧大連航路上屋で開催された「いのちをみつめて」の上演に出かけました。
 休憩時間の終わりごろ、北橋市長がお見えになり、挨拶の後、しばらく一緒に上演を観賞されていました。

 八日は八幡が、米爆撃機B29の221機による大空襲を受け、死傷者2500人余、このブログでも何度も記した悲惨な記憶につながる日です。地元北九州では、今では広く知られるように、原爆投下の第一目標だった小倉が、前日の八幡空襲の余煙もあって、視界不良のため第二目標の長崎へ投下されたのが九日の11時2分です。7万4000人余の命が失われる地獄絵が広島に次いで繰り返されることとなりました。

 戦争体験を持つ人が80代という高齢になり、年々少なくなってゆく中で、私をはじめやっと当時を話すことができるようになって、記録を採る試みが進行しているのは、次の世代が「過ちは繰り返さない」ために大切なことと思い、協力を惜しまないつもりです。
 間もなく十五日の終戦の日です。自然のもたらす災害を防ぐことはできなくても、いくさへの道を防ぐ事は人智を尽くせば可能なはずです。戦争の愚を語るのはあの戦争を経験し、生き残ったものの責務だと思っています。

五月のなごり

2017年05月31日 | 雀の足跡
 五月も今日で終りです。季語にも五月尽とか、五月果とかありますが、五月の終りはどこかやるせない思いがします。
 制服が軽やかな夏姿へと衣更えし、木々の緑も猛々しく濃い色へとうつろう季節を好んだ遠い日を懐かしむのもこのころです。

 痛みを抱える身にとっては辛い梅雨の季節が間もなくやってきます。 風薫る季節を喜ぶことが短かった今年ですから、もしや一足飛びの夏の到来でしょうか。


           古家に手も付ずゆく五月かな    許六
 



  五月の作品を整理していて、記録落としの中から名残りの数枚を選びました。




















           



私のゴールデンウイーク

2017年05月07日 | 雀の足跡
 このところ夫に好調の日が続いていて、夜が安眠できています。その上、娘の帰省で私は家事からも解放されているので久しぶりにのんびりする時間を満喫できています。
 市の福祉協議会から車椅子をお借りしてきた娘が、どこか行ってみたいところはと、リクエストを求めると、幼い日に遊んだ産土の地の芦屋海岸というので、山鹿まで出かけました。
 この4年、菩提寺にお詣りに行っても、車だと5分とかからないのに、立ち寄ることもなかった浜木綿群生地の夏井ヶ浜は、ここはどこと思うほどの変貌で、リゾート地らしい瀟洒な家が建っています。公園も2か所が立派に整備され、響灘を見はるかす岬の突端には、「響き愛の鐘」まで設置され、恋人の聖地だとか。夕日が沈むのを正面に、響灘のパノラマを堪能できる時間帯は確かに恋人たちには素晴らしい時間を愉しめることでしょう。植栽の浜木綿や桜の苗木が大きく育つ頃にはきっと人が集まる場所になると車椅子を押す娘と話し合ったことでした。
 好天に恵まれた休日を楽しむ家族連れもいて、近くの「とと市場」で購入したと思しきお弁当持参のようでした。
 磯の岩場はあいにくの満潮で、幼い日の遊び場は隠れていました。近いのだからまた来ましょうということにして引き返しました。








    鐘を鳴らす私が写っていたので、響き愛の鐘の画像は芦屋町のホームページからお借りしたものです。











          
庭では苧環が満開です。令法や谷空木も鮮やかです。

今年も桜に逢えました

2017年04月09日 | 雀の足跡



時ならぬ雹や、雨続きの日々でしたが、雨の晴れ間に買い物のついでに、すぐ近くの金山川で、満開の桜にあうことができました。
重い腰をなかなか上げようとしない夫を誘い出しての今年のお花見でした。

明日の日曜日は晴れ間も出るという天気予報で、きっと延期されたチューリップ祭りも実施されることでしょうから、満開の桜も一緒に見られるとあっては大変な人出になると思ってのことでした。
 学校帰りの高校生たちの姿をみかけるくらいで、独り占めの豪華なお花見でした。地元なので、車で入ることができる細い抜け道を知っていて、帰りにはチューリップにもご挨拶して帰りました。



咲くからに  見るからに花の  散るからに      鬼貫










春に思い出を辿って

2017年04月06日 | 雀の足跡
 二日の日曜日には、近くの金山川の畔でチューリップ祭りが予定されていました。前日の夜からの雨が、朝はさらに激しくなり、その上1センチほどもありそうな雹に変わって地面を叩き、一面の白い世界に変わってしまいました。2時間ほどで時ならぬ銀世界は消えてしまいましたが、祭りは次の日曜日に変更になったようです。
 土手の桜も身を竦めて満開の時期を延ばしたことでしょう。

 四日はあるじがデイサービスの施設に出かけたので、うららの春の陽気に誘われ、思い立って弟のところを訪問しました。握り寿司のお昼をご馳走になり、話は今年八幡市制100周年に当たることから、生まれ育った枝光の八幡製鉄所本事務所裏門近くにあった家の思い出に花が咲き、急遽今から行ってみようということになりました。

 櫻の開花宣言から1週間、いつもなら満開の桜なのでしょうが、コースに選んだ国際通りの桜並木の大木もまだ5分咲きといったところでした。今年いっぱいで閉鎖されるスペースワールドも、春休みなのに子供たちの賑わいもあまりないようで、大きな観覧車だけがゆっくり動いていました。
 以前の枝光駅のあったところから、なだらかな坂道を上りつめた角、貸家と自宅があった辺りは道だけは昔の儘で、道路標識に見る町名も同じでした。

 強制疎開で取り壊された跡地には、見知らぬ家々が新しく建っていましたが、自宅のあった場所はなぜか一か所だけ空き地になっていて、裏の石垣の石組だけは昔の儘で苔むしていました。あの石垣のところに風呂があって、その左手が縦長の台所と、二人の記憶が一致しました。ここが茶碗屋があったところ、隣が米屋だったと車の通りも殆ど無いので,駐車したまま、しばし感慨にふけったことです。
 製鉄所の高いレンガ塀は完全に撤去されていて、北九州八幡ロイヤルホテルの裏側が見渡せました。

 六年間通った枝光小学校への道のりに、こんなにも遠くまで歩いて通っていたのかと驚きました。自宅の前の通りも通学路ももっと広かったと思っていたのですが、通学路は狭くて車がすれ違うのも難しく、途中にあった製鉄所への送水管があった広い谷も記憶のものより狭く、仲良しだった友人の家のあったあたりは公園になっていました。
 小学校の校舎は空襲を受けて、一部焼けたと聞いていますが、今は全く面影もない新しい建物となっていて、春休みで人気のない広い運動場と、相撲場、周辺を囲む楠の木の何本かにかつての幼い日の記憶が重なりました。
 思いがけない春の午後の感傷ドライブとなりました。


  雨で流れたチューリップ祭りのチューリップです。思い出を辿るドライブは、カメラを持参していなかったので画像がないのが残念です。





妹背山女庭訓

2017年02月27日 | 雀の足跡


 文化著庁が主催する今年の文楽地方公演「妹背山女庭訓」は、見どころも多い演目とあって、切符は早くに売り切れになったようです。
 昨日は快晴の暖かな陽射しに恵まれ、まだ改築中ながら新装なった折尾駅の新ホームを初めて利用しました。エレベーターも大きく、上下線とも便利になりました。

 久しぶりの太棹に乗る浄瑠璃でした。「山の段」が見たかったのですが、通し狂言ではないので、贅沢は言えません。床本で予習して、「道行恋苧環」の段を期待しました。
 若手に変わった陣容の中で、豊松清十郎のお三輪の人形振りが、恋に身を焼く町娘を初々しく、上品に表現していました。
 文楽の人形は、能が切り捨てた首と肩の動きを、現実の人間の動きとは異なる象徴で、生き生きと表現するそのさまに見とれていました。
 求馬を挟んで、橘姫,お三輪の三人のやり取りで盛り上がる場は、それぞれの人形振りがよく覗え面白く、苧環が果たす因縁が巧みな筋書きでした。
 退屈する暇もなく「金殿の段」までを愉しみました。







 画像は北九州芸術劇場のチラシよりおかりしました。詳しくはリンクでご覧ください。



 市民会館のホールには昨年ユネスコの文化遺産に登録なった戸畑祇園大山笠が昼の幟山とともに展示されていました。

帰宅して驚いたのは、「大丈夫だから、楽しんできなさい。」と機嫌よく送り出してくれた主人が、額に大きな瘤を作り、小さいとはいえ、切り傷を自分で手当てしていたことです。瘤が大きい割には異常もないようで安心しました。

あじさいの湯

2016年11月18日 | 雀の足跡



 木曜日と金曜日はショート・ステイの日でしたが、キャンセルして、ホーム・ドクターに、体調の良い日にインフルエンザの予防接種をと言われていましたので、3カ月に一度の診察も兼ねて受けてきました。
 ヘルパーさんやOPの方のリハビリなどの来訪もない完全な一日の空きができました。

 小春日和に誘われて、施設での入浴も抜けることだしと、家族風呂の予約が取れたのを幸いに、市内東区にある「あじさいの湯」に出かけました。
 以前は市営だった施設です。経営が民間になって改装され食事処も展望の良い広い部屋になっていました。
 かつての八幡製鉄所によって建設された河内貯水池の一番奥のあたりにある赤い眼鏡橋の近くの山あいにひっそりと佇む温泉です。私の小学生のころには貯水池一帯は桜の名所で花見時は賑わったものでしたが、今は老木となった桜もまばらです。カーブの続く貯水池沿いは紅葉が見ごろで、予想していなかった紅葉狩りを喜んでいました。
 平日の午後とあって入浴客もまばらで、ゆっくりと露天風呂も楽しめました。
 時間が少しだけずれていたからかレストランも3組だけで、窓際の席でゆっくり昼食をすまし、少し周辺を車椅子で散策し満足して帰途につきました。


レストランからの展望





シャトルバス乗り場