ハードバピッシュ&アレグロな日々

CD(主にジャズ・クラシック)の感想を書き留めます

デクスター・ゴードン/ザ・ジャンピン・ブルース

2025-01-05 10:14:28 | ジャズ(ハードバップ)

デクスター・ゴードンについては本ブログでもたびたび取り上げてきましたが、40年代のビバップ期に頭角を現し、50年代は麻薬依存で苦しんだ後、60年代に入って鮮やかに復活。ブルーノートを中心に立て続けに傑作を発表します。ただ、彼がアメリカで演奏活動を行ったのは1962年の「ア・スウィンギン・アフェア」までで、早くもその年の終わりにはパリに移住。続く「アワ・マン・イン・パリ」「ワン・フライト・アップ」はブルーノート盤ながら録音はパリで行われています。その後はデンマークのコペンハーゲンに定住し、1976年に帰国するまで14年間をヨーロッパで過ごします。理由としてはアメリカで主流となりつつあったポストバップ系のジャズとゴードンのスタイルが合わなかったことに加え、まだまだ人種差別が残るアメリカよりもミュージシャンとしてリスペクトを受けられるヨーロッパの方が居心地が良かったのが大きいようです。

とは言え、本国アメリカとの縁が完全に切れたわけではなく、特に1969年に名門プレスティッジ・レコードと契約後はたびたび帰国し、1973年までに10枚を超えるリーダー作を同レーベルに吹き込んでいます。今日ご紹介する「ザ・ジャンピン・ブルース」はその中の1枚で1970年8月27日にニューヨークで録音されたものです。ワンホーンカルテットでリズムセクションはウィントン・ケリー(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)、ロイ・ブルックス(ドラム)。ジャズファン的にはおそらく最初で最後の共演となるウィントン・ケリーとの組み合わせが貴重ですね。ケリーは翌年に癲癇の発作で39歳の若さで亡くなるため、これが最後のレコード収録になるようです。

全6曲。オリジナル、バップスタンダード、歌モノがバランス良く配置された構成です。1970年当時のジャズシーンと言えば、前年にマイルスが「ビッチェズ・ブリュー」を発表し、ウェイン・ショーターらがウェザー・リポートを結成する等エレクトリック楽器によるフュージョン・ブームが巻き起こっていましたが、ここではデックスとケリーがそんなブームなどどこ吹く風とばかりにオーソドックスなジャズを聴かせてくれます。

オープニングはデックス自作の"Evergreenish"。これがなかなか魅力的な曲で、ゆったりしたテンポの優しい旋律をデックスが悠然と吹き上げて行きます。ケリーも晩年(と言っても38歳ですが)の演奏ながら落ち着いたサポートぶり。続く"For Sentimental Reasons"はナット・キング・コールで有名な歌モノですが、インストゥルメンタル・バージョンは珍しいですね。この曲と5曲目タッド・ダメロンの"If You Could See Me Now"ではデックスとケリーがバラードの名手ぶりを存分に発揮します。

その他は定番スタンダードの"Star Eyes"、セロニアス・モンクの代表曲"Rhythm-A-Ning"、カンザス・ブルースの巨匠ジェイ・マクシャンがチャーリー・パーカーと共同で書いた"The Jumpin' Blues"とそれぞれタイプの異なる楽曲をデックスとケリーが快調に料理して行きます。全体的にリラックスした雰囲気の演奏で、やたら革新的な音楽が持て囃されていた当時のジャズシーンにあって一服の清涼剤のような作品です。

 

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マンデー・ナイト・アット・バードランド

2025-01-03 12:24:36 | ジャズ(ハードバップ)

モダンジャズ黄金期のニューヨークでは毎晩のように綺羅星の如きスタープレイヤー達がどこかのジャズクラブでライブを行っていました。ヴィレッジ・ヴァンガード、カフェ・ボヘミア、ファイヴ・スポット・カフェ、ハーフ・ノート、ヴィレッジ・ゲートetc。ジャズファンならそれらの名門クラブの名前がライブ盤のレコードと一緒に頭に浮かぶと思います。52番街にあったバードランドもそれらのクラブの代表格の1つですね。同クラブでは何と言ってもアート・ブレイキーの「バードランドの夜」が真っ先に思い浮かびますし、ジャズ・メッセンジャーズの「ジャズ・コーナーで会いましょう」含め3作品、他にチャーリー・パーカー、カウント・ベイシー、ジョン・コルトレーンらがライブ盤を残しています。同クラブを題材にジョージ・シアリングが作曲した”Lullaby Of Birdland”はジャズ・スタンダードとして多くのジャズマンにカバーされていますし、ジョー・ザヴィヌルがウェザー・リポートのために書いた”Birdland”も有名ですね。いわばモダンジャズのアイコン的存在と言って良いクラブです。

今日ご紹介する「マンデー・ナイト・アット・バードランド」も同クラブの輝かしい歴史の1コマを伝える1枚。1958年4月21日と翌週の28日のライブの模様をルーレット・レコードが2枚のレコードに分けて収録したものです。厳密に言うと28日のライブは「アナザー・マンデー・ナイト・アット・バードランド」と別タイトルなのですが、実質2枚組として扱って良いでしょう。メンバーは凄いですよ。フロントがリー・モーガン(トランペット)、ハンク・モブレー&ビリー・ルート(テナー)、カーティス・フラー(トロンボーン)の4管編成、リズムセクションがレイ・ブライアント(ピアノ)、トミー・ブライアント(ベース)、スペックス・ライト(ドラム)です。今から振り返ると良くこんな大物ばかりを集めたなと思いますが、この時点では最年長のスペックス・ライトが30歳で後は全員20代以下(モーガンに至っては19歳!)でしたので、まだまだ若手扱いだったのでしょうね。

 

全8曲。シンフォニー・シドと言うだみ声のおじさんの司会を皮切りに各メンバーが熱いソロを繰り広げます。バードランドと言えば「バードランドの夜」のピー・ウィー・マーケットの甲高いMCが有名ですが、この日は違ったようですね。演奏曲目は21日のライブがスタンダード、28日のライブがオリジナル中心です。21日の方はオープニングがマイルス・デイヴィスで有名な”Walkin'"、次いで歌モノの”All The Things You Are”、ミルト・ジャクソンの”Bag’s Groove"と続き、再び歌モノの”There Will Never Be Another You”で締めます。どの曲も超が付くほどの定番曲で、一歩間違えればありきたりの演奏になってしまうところですが、さすがにこのメンバーだとエキサイティングな演奏に仕上がっています。中でもリー・モーガンのトランペットが絶好調ですね。彼はまだこの時20歳にもなっていなかったのですが、既にブルーノートで6枚のリーダー作を残していただけあってプレイに風格すら感じさせます。モブレーもいつもながらまろやかなテナーを聴かせてくれますし、前年にデトロイトからニューヨークにやって来て一躍トロンボーンの人気一番手となっていたフラーも安定のパフォーマンスぶりです。唯一ビリー・ルートだけがあまり馴染みがありませんが、フィラデルフィア出身の白人サックス奏者で当時ディジー・ガレスピー楽団でリー・モーガンと一緒にプレイしていました。周りを黒人の若手スターに囲まれている中、遜色ないプレイを繰り広げていると思います。

4月28日の「アナザー・マンデー・ナイト」の方は1曲目だけが歌モノスタンダードの”It’s You Or No One"ですが、続く”Jamph”はカーティス・フラーのオリジナル。同年にフラーが参加したブルー・ミッチェル「ビッグ6」でも演奏されたソウルフルな曲です。3曲目”Nutville”はホレス・シルヴァーにも同名の曲がありますが、こちらはモーガンの曲。ただし、モーガンが参加した同年収録のティナ・ブルックス「マイナー・ムーヴ」ではブルックス作となっています。どちらが真の作者か分かりませんが、なかなか切れ味鋭いハードバップでモーガンがトランペットソロで暴れん坊っぷりを見せつけます。ラストはデンジル・ベストのバップの古典”Wee”で締めくくり。ライブだけあってどの曲も10分を超す長尺の演奏ですが、各メンバーによる熱のこもったアドリブのおかげでダレることなく最後まで楽しめます。こんな素晴らしいメンバーのライブを気軽に味わうことのできた50年代のニューヨークにはあらためて羨望の念を抱かずにはおれません。

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ケニー・バレル&ジミー・レイニー/トゥー・ギターズ

2024-12-31 21:21:08 | ジャズ(ハードバップ)

前回「エンカウンター」で60年代のプレスティッジについて解説しましたが、同レーベルの絶頂期が50年代半ばだったのは衆目の一致するところですよね。この頃のプレスティッジが得意としていたのは同じ楽器を複数集めたジャムセッション形式の作品で、トランペット2本の「トゥー・トランペッツ」、同3本の「スリー・トランペッツ」、トランペット2本とテナー2本の「インタープレイ」、テナー3本の「ウィーリン・アンド・ディーリン」、同4本の「テナー・コンクレイヴ」、アルト2本の「アルト・マッドネス」、同4本の「フォー・アルトズ」、アルト2本とトランペット2本の「ペアリング・オフ」等々です。どれも同レーベルに所属するスタープレイヤー達が競演したハードバップ黄金期ならではの作品です。

今日ご紹介するのはギター2本の競演作、その名もズバリ「トゥー・ギターズ」です。1957年3月の録音でリーダーはケニー・バレルとジミー・レイニー。バレルは前月に「ブルー・ムーズ」を吹き込むなどプレスティッジのハウス・ギタリスト的存在でしたが、ジミー・レイニーはスタン・ゲッツやボブ・ブルックマイヤーとの共演で知られる白人ギタリストでこの手のハードバップ系のセッションでは珍しい人選です。ギタリスト2人だけで十分だと思うのですが、ここにさらにドナルド・バード(トランペット)とジャッキー・マクリーン(アルト)を加えるのが全盛期プレスティッジならではの贅沢さで、マル・ウォルドロン(ピアノ)、ダグ・ワトキンス(ベース)、アート・テイラー(ドラム)のリズムセクションと合わせて超強力なラインナップですね。

全7曲。歌モノスタンダードは2曲のみで、後は全てメンバーのオリジナルです。特に前半の3曲"Blue Duke""Dead Heat""Pivot"は全てマル・ウォルドロンの作曲で、実質的な音楽的リーダーシップは彼が握っていたことがわかります。本作に限らずこの頃のプレスティッジのジャムセッションはマルが陰のリーダーになっていることが多いですね。どの曲もリーダー2人のギターにバード、マクリーン、マルが入れ代わり立ち代わりソロを取る構成。ギターの聴き分けですがジミー・レイニーのソロは正直そこまで馴染みがないですが、バレルの方は一発でわかりますね。いつもながらのスインギー&ソウルフルなソロが最高です。

その他のオリジナル曲はまずマクリーンの"Little Melonae"。マクリーン自身のほか、マイルス、コルトレーン、ジャズ・メッセンジャーズも取り上げた彼の代表曲です。マクリーンのいかにも彼らしいファナティックなアルトの後、マル→レイニー→バレルとソロをリレーします。ダグ・ワトキンス作の"This Way"は個人的に本作のベストトラックで、11分超の長尺ながらバレル→バード→マクリーン→レイニー→マルの順でハードバピッシュなソロをたっぷりと披露し、聴く者を飽きさせません。スタンダードの2曲はバードとマクリーンは参加せず、さらにギターも1人のみ。"I'll Close My Eyes"はバレル、"Out Of Nowhere"はレイニーがそれぞれマル・ウォルドロンのトリオをバックにじっくり聴かせます。

 

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リチャード・ウィリアムス/ニュー・ホーン・イン・タウン

2024-12-24 19:24:28 | ジャズ(ハードバップ)

本日はトランぺッターのリチャード・ウィリアムズをご紹介します。主に1960年代から70年代にかけて活躍し、参加した録音はかなりの数に上ると思うのですが、その割には地味な存在ですね。理由の一つは名前がありきたりすぎることでしょうか?日本だと高橋一郎とかそんな感じかな?同じトランペッターだとイドリース・スリーマンとかダスコ・ゴイコヴィッチとかインパクト強い名前ですもんね。

出身はテキサスで50年代半ばにニューヨークに進出。チャールズ・ミンガスに才能を見出され、1959年の「ミンガス・ダイナスティ」に起用。ミンガス作品にはその後も「ファイヴ・ミンガス」等5作品に出演します。また、ジジ・グライスからも寵愛を受け、「セイイング・サムシン」等に参加。その他にもスライド・ハンプトンのビッグバンドやオリヴァー・ネルソンにも起用されるなどまたたく間にシーンの寵児となります。そんな中、1960年11月19日にキャンディド・レコードに吹き込まれたのが本作「ニュー・ホーン・イン・タウン」です。

2管編成のクインテットでメンバーはレオ・ライト(アルトorフルート)、リチャード・ワイアンズ(ピアノ)、レジー・ワークマン(ベース)、ボビー・トーマス(ドラム)と言う顔ぶれ。リーダーのウィリアムズに負けず劣らず地味なメンツが揃っていますが、レオ・ライトはディジー・ガレスピー楽団に所属しており、同じ年にアトランティックからリーダー作「ブルース・シャウト」を発表したばかり(同作品にはウィリアムズもサイドマンで参加)。リチャード・ワイアンズやレジー・ワークマンも上述のジジ「セイイング・サムシン」でウィリアムズと共演済みとあって、気心の知れたメンバーによるセッションと言えます。

全7曲。うち3曲がスタンダード、残りがメンバーのオリジナルです。ウィリアムズと言えば上述のミンガス・グループや、ブッカー・アーヴィン、ユセフ・ラティーフらどちらかと言うとクセ強系ジャズメンとの共演が多く、ウィリアムズ自身も何となく彼らのイメージに引きずられがちだったのですが、実際にリーダー作を聴くとわりとストレートなハードバップ志向だというのが良くわかります。オープニングトラックの”I Can Dream, Can't I?"はサミー・フェイン作曲の歌モノスタンダードで、ミディアムテンポの快適なナンバー。リチャード・ワイアンズも洒落たタッチのピアノソロを聴かせてくれます。続く”I Remember Clifford"はベニー・ゴルソンが亡きクリフォード・ブラウンに捧げたおなじみの名曲で、トランペットでは何と言ってもリー・モーガンの決定的名演で知られています。この曲を取り上げるとはなかなか勇気ありますが、ウィリアムズはモーガンに肉薄する、とまではさすがに行かないもののストレートなバラード演奏を聴かせてくれます。レオ・ライトもフルートで彩りを添えます。

3曲目から5曲目まではオリジナル曲で、”Ferris Wheel"はリチャード・ワイアンズ作の快適ハードバップ、”Raucuous Notes"”Blues In Quandary"はウィリアムズ作で、特に前者が力強いバップナンバーで本作のハイライトと言って良いと思います。ウィリアムスのパワフルなトランペットソロに終盤のボビー・トーマスのドラミングも迫力満点です。6曲目は再び歌モノで有名な”Over The Rainbow"。ここではライトはお休みでウィリアムズがワンホーンで朗々と歌い上げます。リチャード・ワイアンズの玉転がしタッチのピアノソロも意外とロマンチックです。ラストはウィリアムズ作のハードドライヴィングな”Renita's Bouce"でビシッと締めます。デビュー後2年足らずでリーダー作まで発表し、前途洋々かに見えたウィリアムズですが、結局ソロ名義の作品は本作のみ。その後もサド=メル楽団に加入するなど精力的に活動を続けるものの、表舞台でスポットライトを浴びることはありませんでした。あと5年デビューが早ければハードバップ黄金期でもう少し活躍の場も広がったかもしれませんね。

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ザ・リサージェンス・オヴ・デクスター・ゴードン

2024-12-18 19:17:26 | ジャズ(ハードバップ)

本日はデクスター・ゴードンです。彼については本ブログでもたびたび取り上げていますが、40年代のビバップ草創期に活躍しながらも50年代は麻薬禍でほぼ棒に振ったと言う経歴の持ち主です。1961年にブルーノートと契約後は「ドィーイン・オールライト」「デクスター・コーリング」「ゴー!」「ア・スウィンギン・アフェア」と傑作を次々と発表し、その後はヨーロッパに移住しスティープルチェイス・レコードを中心に多くの作品を発表します。

さて、上記のブルーノートの諸作品はジャズファンにとってマストアイテムと言って良いほどの人気ですが、実はその前に1枚だけリヴァーサイド傍系のジャズランドにリーダー作が吹き込まれていることは見落とされがちです。ブルーノートと契約する前年の1960年10月13日にデックスの故郷ロサンゼルスで収録された作品で、名前もずばり「ザ・リサージェンス・オヴ・デクスター・ゴードン(デクスター・ゴードンの復活)」です。

メンバーはマーティン・バンクス(トランペット)、リチャード・ブーン(トロンボーン)、ドロ・コーカー(ピアノ)、チャールズ・グリーン(ベース)、ローレンス・マラブル(ドラム)と言った面々。おそらく全員が西海岸でプレイしていた黒人(チャールズ・グリーンについてはググっても写真が出て来なかったので不明)ですが、大物ゴードンの復帰作にしては地味なメンツだなあと言うのが偽らざる感想でしょう。ただ、それはその後の輝かしいキャリアを知っているからそう思うのであって、このセッションの時点では10年以上クスリ漬けだった過去のテナーマン、という扱いだったでしょうからこの人選も納得といえば納得です。

全6曲、スタンダードは1曲もなく全てオリジナルですが、リーダーのデックスが2曲、ドロ・コーカーが4曲を書き下ろしています。オープニングトラックはデックス作の”Home Run”。一発ホームラン級の名曲!とまでは行きませんが、3管の分厚いアンサンブルによるキャッチーなメロディの後、デックスも元気一杯にテナーを吹きます。復帰作の幕開けとしては上々と言ったところでしょうか?続くドロ・コーカー作の”Dolo"は軽快なバップ曲でテックス→ドロと快調にソロをリレー。3曲目”Lovely Lisa”もドロ作で、こちらはほのぼのした感じの曲で、デックスだけでなくリチャード・ブーンのトロンボーンも良い味を出しています。

4曲目もドロ作の”Affair In Havana"で、タイトル通りキューバの首都ハバナをイメージしたラテン調の曲ですが、個人的には昭和のムード歌謡っぽくてイマイチです。5曲目"Jodi"はデックスが当時の妻ジョディに捧げたバラード。デックスがワンホーンでダンディズム溢れるバラードプレイを聴かせます。ラストはドロ作の痛快ハードバップ”Field Day”。翌年にドロが参加したジュニア・クックの「ジュニアズ・クッキン」でも取り上げられていました。これはなかなかの名曲・名演でブーン→デックス→バンクス→ドロと軽快にソロをリレーして締めくくります。以上、全ての曲が良いと言う訳ではないですが、デックスは長いブランクを感じさせない溌剌としたプレイを見せており、おそらく本作を聴いたアルフレッド・ライオンがブルーノートとの契約を決めたと思われます。

 

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