デクスター・ゴードンについては本ブログでもたびたび取り上げてきましたが、40年代のビバップ期に頭角を現し、50年代は麻薬依存で苦しんだ後、60年代に入って鮮やかに復活。ブルーノートを中心に立て続けに傑作を発表します。ただ、彼がアメリカで演奏活動を行ったのは1962年の「ア・スウィンギン・アフェア」までで、早くもその年の終わりにはパリに移住。続く「アワ・マン・イン・パリ」「ワン・フライト・アップ」はブルーノート盤ながら録音はパリで行われています。その後はデンマークのコペンハーゲンに定住し、1976年に帰国するまで14年間をヨーロッパで過ごします。理由としてはアメリカで主流となりつつあったポストバップ系のジャズとゴードンのスタイルが合わなかったことに加え、まだまだ人種差別が残るアメリカよりもミュージシャンとしてリスペクトを受けられるヨーロッパの方が居心地が良かったのが大きいようです。
とは言え、本国アメリカとの縁が完全に切れたわけではなく、特に1969年に名門プレスティッジ・レコードと契約後はたびたび帰国し、1973年までに10枚を超えるリーダー作を同レーベルに吹き込んでいます。今日ご紹介する「ザ・ジャンピン・ブルース」はその中の1枚で1970年8月27日にニューヨークで録音されたものです。ワンホーンカルテットでリズムセクションはウィントン・ケリー(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)、ロイ・ブルックス(ドラム)。ジャズファン的にはおそらく最初で最後の共演となるウィントン・ケリーとの組み合わせが貴重ですね。ケリーは翌年に癲癇の発作で39歳の若さで亡くなるため、これが最後のレコード収録になるようです。
全6曲。オリジナル、バップスタンダード、歌モノがバランス良く配置された構成です。1970年当時のジャズシーンと言えば、前年にマイルスが「ビッチェズ・ブリュー」を発表し、ウェイン・ショーターらがウェザー・リポートを結成する等エレクトリック楽器によるフュージョン・ブームが巻き起こっていましたが、ここではデックスとケリーがそんなブームなどどこ吹く風とばかりにオーソドックスなジャズを聴かせてくれます。
オープニングはデックス自作の"Evergreenish"。これがなかなか魅力的な曲で、ゆったりしたテンポの優しい旋律をデックスが悠然と吹き上げて行きます。ケリーも晩年(と言っても38歳ですが)の演奏ながら落ち着いたサポートぶり。続く"For Sentimental Reasons"はナット・キング・コールで有名な歌モノですが、インストゥルメンタル・バージョンは珍しいですね。この曲と5曲目タッド・ダメロンの"If You Could See Me Now"ではデックスとケリーがバラードの名手ぶりを存分に発揮します。
その他は定番スタンダードの"Star Eyes"、セロニアス・モンクの代表曲"Rhythm-A-Ning"、カンザス・ブルースの巨匠ジェイ・マクシャンがチャーリー・パーカーと共同で書いた"The Jumpin' Blues"とそれぞれタイプの異なる楽曲をデックスとケリーが快調に料理して行きます。全体的にリラックスした雰囲気の演奏で、やたら革新的な音楽が持て囃されていた当時のジャズシーンにあって一服の清涼剤のような作品です。