本日はラフマニノフの管弦楽作品を2つ取り上げたいと思います。ラフマニノフと言えば、何といってもピアノ協奏曲第2番が圧倒的に有名で、続いて交響曲第2番、ピアノ協奏曲第3番と言ったあたりが人気曲でしょうか?今日ご紹介するのはそれらメジャー曲ではなく、ラフマニノフが30代の時に発表した交響詩「死の島」と最晩年の1941年に発表された「交響的舞曲」です。「死の島」とはスイスの画家ベックリンの有名な絵画(ジャケットにも使われています)のことで、作品にインスピレーションを受けたラフマニノフが同名の曲を書き下ろしたのだとか。このベックリンの絵は今でもよく知られていますが、20世紀前半のヨーロッパでは大変な人気で、複製画があちこちの家に飾ってあったのだとか。何でこんな不吉なタイトルの絵が持てはやされたのかわかりませんが、幻想的な風景が人々の心をとらえたのでしょうか?この曲も全体的には重苦しい旋律で覆われていますが、時折雲間から光が差すように美しい旋律が現れるのがラフマニノフらしいですね。
続く「交響的舞曲」は1941年、ラフマニノフが67歳の時に書かれた作品です。2年後の1943年に病没しますので、これが遺作です。ラフマニノフは1917年のロシア革命を機に、アメリカに亡命。その後は西側諸国でピアニストとして活躍しますが、一方で作曲活動は低調になり、有名な作品をほとんど残していません。そんな中で発表されたこの「交響的舞曲」は作曲者が残された創作意欲の全てを注ぎ込んだ傑作と言ってよいでしょう。「交響的」と題されるだけあって、3楽章形式から成るミニ交響曲的な作品です。20世紀も半ばとあって、若い頃に書かれた交響曲2番やピアノ協奏曲群に比べてやや現代的な響きですが、決して調性を逸脱することはなく、あくまでロマン派音楽の範疇内です。同時代の作曲家の多くが前衛に傾く中、ラフマニノフは評論家達から「保守的」と批判されていたそうですが、最後までメロディの美しさにこだわったのはこの作品からもよくわかります。第1楽章、躍動的な冒頭部分の後に現れるサクソフォンが奏でるメランコリックな主題、第3楽章のフィナーレを飾るド派手なオーケストレーションがこれぞラフマニノフ節と言った感じです。
続く「交響的舞曲」は1941年、ラフマニノフが67歳の時に書かれた作品です。2年後の1943年に病没しますので、これが遺作です。ラフマニノフは1917年のロシア革命を機に、アメリカに亡命。その後は西側諸国でピアニストとして活躍しますが、一方で作曲活動は低調になり、有名な作品をほとんど残していません。そんな中で発表されたこの「交響的舞曲」は作曲者が残された創作意欲の全てを注ぎ込んだ傑作と言ってよいでしょう。「交響的」と題されるだけあって、3楽章形式から成るミニ交響曲的な作品です。20世紀も半ばとあって、若い頃に書かれた交響曲2番やピアノ協奏曲群に比べてやや現代的な響きですが、決して調性を逸脱することはなく、あくまでロマン派音楽の範疇内です。同時代の作曲家の多くが前衛に傾く中、ラフマニノフは評論家達から「保守的」と批判されていたそうですが、最後までメロディの美しさにこだわったのはこの作品からもよくわかります。第1楽章、躍動的な冒頭部分の後に現れるサクソフォンが奏でるメランコリックな主題、第3楽章のフィナーレを飾るド派手なオーケストレーションがこれぞラフマニノフ節と言った感じです。