ハードバピッシュ&アレグロな日々

CD(主にジャズ・クラシック)の感想を書き留めます

ズート・シムズ・イン・パリ

2024-10-28 18:19:39 | ジャズ(ヨーロッパ)

本日はズート・シムズのユナイテッド・アーティスツ盤「ズート・シムズ・イン・パリ」を取り上げたいと思います。タイトル通りパリの名門クラブであるブルーノート・クラブで1961年に行われたライブを録音したものです。ズートはパリの街を気に入っていたのかたびたびツアーで訪れていたようで、1956年にも現地のレーベルに「ズート・シムズ・オン・デュクレテ・トムソン」を残しており、こちらも名盤の評価が高いです。ただ、同時期に多くのジャズマンがヨーロッパに移住した中、ズート自身は1985年に亡くなるまで終生アメリカを離れることはありませんでした。

ワンホーン・カルテットでリズムセクションはアンリ・ルノー(ピアノ)、ボブ・ウィットロック(ベース)、ジャン=ルイ・ヴィアール(ドラム)と言った顔ぶれ。うちルノーとヴィアールはフランス人でズートとは「デュクレテ・トムソン」でも共演していますね。ボブ・ウィットロックはウェストコーストで活躍したジャズマンで、アート・ペッパー、チェット・ベイカー、ジェリー・マリガンらと共演歴があります。

曲は全9曲。ズートのオリジナルが2曲、後の7曲は全て歌モノスタンダードです。オリジナルは1曲目の"Zoot's Blues"と7曲目の”A Flat Blues"で、おそらく即興のブルースではないかと思います。ズートはちょくちょく自作のブルースを演奏しますが、独特の味わいがありますよね。黒人ジャズマンの演奏するこってりしたブルースとは少し違い、1930年代のベイシー楽団っぽいややノスタルジックな味わいのブルースです。一方、スタンダードはどれもよく知られた曲ばかり。特に”These Foolish Things"”On The Alamo"”Too Close For Comfort"等の曲は上記「デュクレテ・トムソン」や「ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ」でも演奏されており、ズートのお気に入りの曲だったのでしょう。その他も”Once In A While"”You Go To My Head""Stompin' At The Savoy"と言った定番曲がズラリと並んでおり、正直新鮮味はあまりないですが、ズートはいつもながらのまろやかなトーンでミディアムテンポではスインギーに、バラードではムードたっぷりに歌い上げます。唯一”Spring Can Really Hang You Up The Most"だけは比較的新しい曲で、トミー・ウルフが1955年に書いたスローバラード。ジャッキー&ロイ等いろんな歌手が歌っていますが、器楽奏者ではズートが初めて取り上げたかもしれません(確証はないですが・・・)。こちらも絶品のバラード演奏です。

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ケニー・クラーク&フランシー・ボラン/ザ・ゴールデン・エイト

2024-10-15 19:10:37 | ジャズ(ヨーロッパ)

1960年代以降、デクスター・ゴードン、ジョニー・グリフィン、ケニー・ドリューら多くのジャズマンがヨーロッパに移住したことについては当ブログでもたびたび取り上げてきましたが、その先駆者的存在が今日取り上げるケニー・クラークです。1930年代からプロのドラマーとして活躍していたクラークは40年代前半にディジー・ガレスピーらとビバップの誕生にも貢献したモダンジャズの生き字引的存在。その後もミルト・ジャクソン、ジョン・ルイスらとモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)を結成する一方、マイルス・デイヴィス、J・J・ジョンソン、アート・ファーマーらの数々の名盤に参加。また、サヴォイ・レコードのハウス・ドラマーとして、ピアノのハンク・ジョーンズと並んで同レーベルの顔的存在でした。

そんなクラークですがキャリアの絶頂期にあった1956年にあっさりパリに移住します。成功を収めつつあったMJQのドラマーの座もコニー・ケイに譲り、多忙を極めていたサヴォイ・レコードの仕事もスパッと辞めてなので、相当思い切った決断と言えるでしょう。理由はアメリカの根強い黒人差別に嫌気がさしたのも一因と言われていますが、実はクラークは歌手のカーメン・マクレエと結婚していてこの年に離婚したそうです。私もこの記事を書くにあたってWikipediaで調べて初めて知りましたが意外な関係です。しかもクラークは白人歌手のアニー・ロスと浮気して、子供まで設けていた、等々いろいろ知らない情報が出てきてビックリですが、まあおそらく人間関係でもゴタゴタがあって色々リセットしたかったのでしょうね。

そんなクラークですが、ヨーロッパのジャズシーンでは「本場アメリカから大物が来た!」と歓迎を受け、パリを拠点に活発に演奏活動を続けるのですが、その中で最も気が合ったのがベルギー人ピアニストのフランシー・ボランです。この人についてもWikiで調べたのですが、50年代半ばに渡米してチェット・ベイカー・クインテットに加入したと書いてありますが、録音は残っていないので詳しいことはわかりません。とにかく2人は1960年頃にパリでバンドを結成し、演奏活動を行っていたようです。

本作「ザ・ゴールデン・エイト」はそんな彼らのことを聞きつけたブルーノートが1961年5月にドイツのケルンで録音したものです。プロデューサーはジジ・カンピと言う人物で、ケルンでカフェオーナーをする傍らジャズセッションを取り仕切っていたようです。メンバーはリーダーのクラークとボランに加え、タイトル通り総勢8人が集結しています。注目はユーゴスラヴィア出身のトランぺッター、ダスコ(正しい発音はドゥシュコ)・ゴイコヴィッチでしょう。70年代以降世界的に有名になる彼の若き日の演奏が収められています。他はオーストリア出身のカール・ドレヴォ(テナー)、イギリス出身のデレク・ハンブル(アルト)、ベルギー出身のクリス・ケレンス(バリトンホルン)、スイス出身のレイモン・ドロズ(アルトホルン)、そしてベースにエリントン楽団出身のアメリカ人ジミー・ウッドが名を連ねています。以上、国際色豊かで楽器のバラエティにも富んだ小型ビッグバンドです。

全10曲。うち6曲がボランのオリジナルで、残りは歌モノです。アルバムはジジ・カンピの名を冠した”La Campimania”で幕を開けます。力強いブラスセクションのアンサンブルで始まる急速調のナンバーで、カール・ドレヴォとフランシー・ボランがソロを取ります。ドレヴォは続くバラード”Gloria"でもダンディズム溢れるテナーソロを全編にわたって披露します。彼とデレク・ハンブル、そしてウッドの3人はこの後結成されたクラーク=ボラン・ビッグ・バンドでも不動のメンバーとして活躍します。

3曲目”High Notes"はダスコ・ゴイコヴィッチの独壇場で、タイトル通り高らかにハイノートをヒットさせます。私は例によって70年代以降のジャズはあまり聴かないので、彼のことはよく知らなかったのですが、並々ならぬ実力の持ち主だったことが演奏を聴けばわかりますね。6曲目”Strange Meeting"もボランがダスコのために書き下ろした曲と言うことで、彼のブリリアントなトランペットが全面的にフィーチャーされます。4曲目”Softly As In A Morning Sunrise(朝日のようにさわやかに)”はクリス・ケレンスのバリトンホルンと、レイモン・ドロズのアルトホルンをフィーチャーしたナンバー。どちらもあまりジャズでは馴染みのない楽器ですが、音的にはトロンボーンとフレンチホルンの間のような音かな?5曲目はタイトルトラックの”The Golden Eight"でデレク・ハンブルのアルトが初めてソロを取り、次いでダスコ→ドレヴォとパワフルなソロを展開します。

7曲目”You'de Be So Nice To Come Home To"は珍しくボランのピアノが大きくフィーチャーされ、その後ドレヴォのソロへと繋ぎます。8曲目”Dorian 0437"は変なタイトルですが、ケニー・クラークの電話番号だそうです。ソロはドロズ→ダスコ→ドレヴォです。9曲目”Poor Buttefly"はスタンダードのバラードですが、これはボランのアレンジが秀逸ですね。たゆたうようなケレンスのバリトンホルンに続くデレク・ハンブルの美しいアルト・ソロが絶品です。ラストの”Bass Cuite"はダスコ→ハンブルが熱いソロをリレーして締めくくります。この後まもなく、クラークとボランは正式にクラーク=ボラン・ビッグ・バンドを結成。アトランティック盤「ジャズ・イズ・ユニヴァーサル」でデビューを飾ります。そちらはさらに編成が拡大し、合計13人のオールスターメンバーですが、基本的な形は本作で出来上がっていると言って良いでしょう。

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ジョニー・グリフィン/ナイト・レディ

2024-09-27 18:16:14 | ジャズ(ヨーロッパ)

ジョニー・グリフィンについては最近のブログでもたびたび取り上げています。シカゴNo.1テナーとして名を上げた後、まず1956年にブルーノートと契約。3作のリーダー作を残した後、リヴァーサイドに移籍して合計15枚ものリーダー作を発表するなど同レーベルの看板プレイヤーとして活躍しました。ただ、そんなグリフィンですが、1963年にあっさりヨーロッパに移住してしまいます。

60年代はこのグリフィンだけでなく、ベン・ウェブスター、デクスター・ゴードン、デューク・ジョーダン、ケニー・ドリューと大物ジャズマン達が続々とヨーロッパに渡りますが、その大きな理由がジャズシーンの変化でしょうね。60年代も半ばになるとビバップ~ハードバップは徐々に時代遅れとなり、ジャズマン達はモード~新主流派のインテリ系路線に走るか、それともR&B寄りのソウル・ジャズ路線でブリブリ吹くか、あるいはいっそのことフリージャズ路線で突っ切るか、と主に3つの方向転換を迫られますが、グリフィン含め上記のベテラン達はどの路線も合わないですよね。その点、ビバップ~ハードバップの愛好者が多いヨーロッパの方が自分達のスタイルが受け入れられるため、居心地良く感じたのでしょう。また、本国アメリカのような露骨な人種差別がなく、アーティストとしてきちんとリスペクトしてくれるのも黒人ジャズマン達にとってはありがたかったようです。

今日ご紹介する「ナイト・レディ」はグリフィンのヨーロッパ移住後最初のアルバムで、1964年2月にドイツのケルンで録音されたものです。発売元はオランダのフィリップス・レコードです。ワンホーンのカルテットで、参加メンバーはフランシー・ボラン(ピアノ)、ジミー・ウッド(ベース)、ケニー・クラーク(ドラム)。ベルギー人のボラン以外は全員アメリカからの移住組です。なお、ボランとクラークの2人は、1962年にクラーク=ボラン・ビッグ・バンドを結成し、「ジャズ・イズ・ユニヴァーサル」等で名を上げていた頃です。元エリントン楽団のウッドも同バンドの結成当初からベーシストとして参加しています。

アルバムはまずグリフィンのオリジナル曲"Scrabble”で始まります。いかにもグリフィンらしい豪快なブロウが楽しめる曲ですが、驚くのがクラークの叩くドラムの音の大きさ。録音時の設定なのか、それとも単純に音がデカいのか、主役のグリフィンに負けないぐらいの存在感でバシバシと耳に響いてきます。2曲目”Summertime"以降も同じで、お馴染みのガーシュウィン・ナンバーをグリフィンともどもエネルギッシュに料理します。

3曲目”Old Stuff"と続く”Night Lady"はフランシー・ボランの自作曲。特に後者はタイトルトラックだけあってなかなかの名曲で、グリフィンのソウルフルなテナーはもちろんのことボランのファンキーなピアノソロも冴え渡ります。5曲目”Little Man You've Had A Busy Day”はあまり有名ではないですがサラ・ヴォーンも歌ったスタンダード曲。本作中唯一のバラードで、グリフィンがダンディズム溢れるテナーソロをじっくり聴かせます。当然ながらクラークのドラムはここでは控えめです。ラストは定番スタンダードの”All The Things You Are"で、再びクラークのアグレッシブなドラムをバックにグリフィンがパワフルなソロを取ります。

この後、グリフィンは1970年代後半までヨーロッパに滞在し、多くの作品を残すようですが、例のごとく私は70年代以降のジャズに疎いので細かいことはよく知りません。有名なスティープルチェイスのライブ盤「ブルース・フォー・ハーヴェイ」だけは以前所有していましたが、内容的には本作の方が上と思います。

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タビ―・ヘイズ/ダウン・イン・ザ・ヴィレッジ

2024-09-13 18:22:43 | ジャズ(ヨーロッパ)

前回のヴィクター・フェルドマンに続き、本日もイギリス出身のジャズマンと言うことでテナー奏者のタビ―・ヘイズをご紹介します。フェルドマンは50年代半ばにアメリカに渡り、そこでキャリアを重ねましたが、ヘイズの場合は演奏活動等で渡米することはあっても拠点は終生イギリスに置いていました。アルバムも50年代はイギリスのテンポ・レコード、60年代はオランダのフォンタナ・レコードから発売しています。テンポ時代の作品はいくつか澤野工房から発売されており、本ブログでも過去にロニー・スコットとのツインテナー作品「ジャズ・クーリアーズ」、ワンホーンの「タビーズ・グルーヴ」を取り上げています。

本作「ダウン・イン・ザ・ヴィレッジ」は1962年5月に吹き込まれたフォンタナ時代のヘイズの代表作で、かつての盟友のロニー・スコットが経営するジャズクラブ”ロニー・スコッツ”でのライブを収録したものです。共演メンバーはジミー・デューカー(トランペット)、ゴードン・ベック(ピアノ)、フレディ・ローガン(ベース)、アラン・ガンリー(ドラム)と言った面々。ローガンだけがオランダ人で、後は全員イギリス人です。メンバーのうち、ジミー・デューカーはクラーク=ボラン・ビッグ・バンドでも活躍するなどヨーロッパ屈指のトランペッターとして知られていました。ゴードン・ベックもフィル・ウッズのヨーロピアン・リズム・マシーンで活躍したらしいですが、私は前衛ジャズは詳しくないのでよく知りません。

全6曲。前半が有名スタンダード、後半がオリジナル曲という構成です。ライブ録音ということでMCも入っており、ヘイズによるメンバー紹介の後、ロジャース & ハートの"Johnny One Note"で演奏が始まります。1962年と言えばアメリカではモードジャズが主流になりつつある頃ですが、ここでの演奏は熱血ハードバップですね。ただ、ゴードン・ベックのピアノソロにはちょっと前衛的な要素を感じます。続くジミー・ヴァン・ヒューゼンの"But Beauriful"では、ヘイズがマレットを手に取り、しっとりバラードを演奏します。ピアノとヴァイブを兼任する人は他にもいますが、テナーとヴァイブの二刀流はかなり珍しいですね。デューカーのトランペットもお休みで実に静かな曲ですが、個人的には少し物足りないかも。ただ、それも続く"The Most Beautiful Girl In The World"のための箸休めと思えば許せます。こちらもロジャース&ハートの名曲でモダンジャズではソニー・ロリンズやマックス・ローチの名演が思い浮かびますが、ここでの演奏もそれらに劣らない出来です。アラン・ガンリーが刻むワルツ調のリズムに乗せて、ヘイズ→デューカー→ベックと目の覚めるようなソロをリレーします。ライブはここで一旦終了らしく、MCが入ります。

後半は全てオリジナル曲で、まずはタイトルトラックでヘイズ作の"Down In The Village"。ヘイズは再びヴァイブを演奏します。ややモーダルな雰囲気の曲で、ヴァイブとミュートトランペットのユニゾンで奏でるテーマが何とも言えずクールです。ソロに入るとまずヘイズがファンキーなマレット捌きを見せ、デューカーがオープン奏法で力強いプレイを聴かせます。続く”In The Night"もヘイズのオリジナルで、ここではヘイズはソプラノサックスを手にし、コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」の影響も感じさせます。ゴードン・ベックのピアノもちょっとマッコイ・タイナーっぽいですね。曲も牧歌的で魅力的な旋律です。デューカーはお休みです。ラストの”First Eleven"はデューカー作の熱血ハードバップで、デューカー→ヘイズ→ベックとパワフルなソロを展開します。ヘイズはその後も活発な演奏活動を続けるものの、心臓病を患い、1973年に38歳の短い生涯を閉じます。ただ、本作は60年代英国ジャズの熱きエネルギーを伝える名盤として、ヘイズの名前とともに語り継がれることでしょう。

 

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ズート・シムズ・オン・デュクレテ・トムソン

2024-06-05 18:32:07 | ジャズ(ヨーロッパ)

アメリカのジャズマン達が大挙してヨーロッパに移住するようになるのは1960年代以降のことですが、もちろんそれ以前にも演奏活動でヨーロッパを訪れることは多くありました。特にフランスは現地のジャズマンにも名手が多く、渡仏したアメリカのジャズマンとのセッションが多く記録されています。本日ご紹介する「ズート・シムズ・オン・デュクレテ・トムソン」もその一つ(ちなみにデュクレテ・トムソンとはレコード会社名です)。録音年月日は1956年3月16日、ズート・シムズと共演するのはアンリ・ルノー(ピアノ)、ブノワ・ケルサン(ベース)、シャルル・ソードレー(ドラム)の現地リズムセクションで、そこにアメリカ人のジョン・アードレイ(トランぺット)が加わるという布陣です。ルノーは当時のフランスを代表するピアニストで、クリフォード・ブラウンのパリ・セッションVol.1Vol.2、Vol.3にも参加していますし、デュクレテ・トムソンには自身のリーダー作も残しています。ジョン・アードレイはニューヨークで活躍した白人トランぺッターで、地味な存在ではありますが一応プレスティッジにも1枚リーダー作を残しています。

アルバムはアンリ・ルノーのオリジナル”Captain Jetter"で始まります。やや哀調を帯びた歌謡曲風のメロディが印象的です。この曲もそうですが、全体を通してバップ色は薄めで、スイング~中間派風の演奏ですね。ズートは元々スイング寄りですが、ジョン・アードレイのトランペットも乾いた感じの音色で、バリバリ吹くという感じではありません。2曲目”Nuzzolese Blues"はズート、アードレイ、ルノーの共作となっていますが、おそらく即興のブルースでしょう。全員白人ですが、きちんとブルースになっています。3曲目”Everything I Love"、5曲目”On The Alamo”、6曲目”My Old Flame"はいずれも歌モノスタンダード。ズートの真骨頂である歌心溢れるテナープレイが存分に堪能できます。アードレイ、ルノーのソロもまずまず。4曲目”Evening In Paris"はクインシー・ジョーンズ作のバラードで、この曲はズートのワンホーンです。ラストの”Little Jon Special"はアードレイ作でスインギーな演奏で締めくくります。なお、ズートとルノーは1961年にもユナイテッド・アーティスツ盤「ズート・シムズ・イン・パリ」で共演しており、そちらも良い作品ですのでまたの機会に取り上げたいと思います。

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