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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

残り3台のRE101

2014-08-19 23:53:49 | 津軽のいろいろ
【2019年8月1日訂正・いただいたコメントの通り、タイトルは正しくは「残り2台のRE101」とするのが正当のようですが、アップ当初のまま「3台」としておきます。】
バスの車両の寿命は20年といったところだろうか。昔に比べれば長くなっているのかもしれない。
物持ちのいいバス会社とか自家用バスでは、“20年選手”がザラのところもあるものの、25年モノとなると急激に少なくなると思う。その辺りが限界なのかもしれない。ボンネットバスのような保存目的のものは別として。

そういう観点からすれば、すごいバスが弘前にあるのをご存知だろうか。
まずは、姿をご覧いただこう。

バスに詳しくない人でも、一見して「年代物だ!」と思ってしまうバスではないだろうか。
昭和末期の記憶がある方なら「懐かしい」と感じるかもしれないし、昭和時代にまだ物心ついていない/生まれていない方なら、とんでもなく古く見えるかもしれない。

日本で製造されたバスの車体構造や外見は、1980年頃を境に大きく変わった。
丸みを帯びた「モノコックボディ」から、角張った「スケルトンボディ」に変化して近代的になって、今に至る。
このバスはモノコックボディであり、表示で分かってしまうけれど、弘前大学が保有する自家用バス。これが、21世紀になっても動いていたのだ。

僕は以前からこの存在を知っており関心はあった(というか乗ったこともあった)のだが、型式や製造時期までは(詳しくなくて識別できないので)分からなかった。また、国立大学所有とはいえ白ナンバーの自家用バスをネットで公開することに躊躇もあった。

ところが今年、弘前大学の教員のホームページ(ブログ?)「本州最北端でフィールド園芸学!」でこのバスのことが紹介(http://matsuhirosaki.blogspot.jp/2014/01/55re101118.html)されたので、ネットで公開しても差し支えないと判断して、当ブログでこの記事をアップします。
同時に車両の詳細も判明したが、さらに、このバスが「引退」したことも明らかになった。【引退理由・導入時の経緯等は末尾の追記も参照

この車は、1980(昭和55)年式の「日野RE101」だそうで、製造から34年経過していることになる。※厳密には「K-RE101」のようだ
なんでも、この型式が現役で走っているのは、日本中で沖縄の路線バスの2台とこの弘前大学の計3台だけだという。(先生のブログでは沖縄に1台とあるが、実際には沖縄では2社が1台ずつ残しているようだ)【2019年8月1日訂正・コメントの通り、沖縄の2台のうち1台は別メーカーだそうで、沖縄の1台とこれと2台というのが正しいようです。訂正します。】
それ以前に、メーカーを問わずモノコックボディのバスが現役で走っていること自体、極めて珍しく貴重である。【20日追記】北海道の「士別軌道」では、1982年式の日野RC301(RCはREより高出力で主に観光向け?)が現役で路線バスに使われており、訪れる人や貸し切ったツアーが行われていることが、15日に読売新聞で報道されていた。


回りくどいですが、このバスがどのように使われていたかを説明しておく。
弘前大学の中でも、このバスを使っていたのは、農学生命科学部。旧・農学部。
医学部に附属病院、教育学部に附属学校があるように、農学系学部には「附属農場」があり、教育や研究が行われている(ブログをアップした先生のような専属の教職員も若干配置される)。
弘大では、藤崎町と五所川原市金木町に農場がある。学部2年生は、附属農場での「農場実習」という科目があり、半期または通年(学科によって異なる)に渡って、週に1回、指定されたどちらかの農場へ出向かなければならない。
※農学部時代(~農学生命科学部発足当初)は単に「附属藤崎農場」「附属金木農場」という名称だったのだが、現在は「附属生物共生教育研究センター○○農場」という長ったらしい組織名になっている。【24日追記】農学部時代も、組織としては両農場を一括して「附属農場」と扱っていたはず。農場長(教授併任)は1名だけだった。農学生命科学部発足後、2000年に「生物(中略)センター」となった当初は、旧・理学部附属深浦実習所もセンターに組み入れられていたが、2008年に再び2農場からなる組織に再編されていた。そのため、結局は農学部時代と同じ組織体系で名称だけが長くなったことになる。
※農学部当時は、農場実習は全学科で必修科目だったが、今は旧・理学部生物学科が再編された学科があるため、その学科では選択科目のようだ。

弘前市の隣町にある藤崎農場でさえ、大学のある弘前市文京町とは直線で約8キロ・道のりで約9キロも離れている。金木農場はもっと遠い。
そのため、実習を履修する学生は、専用バスで学部と農場の間を移動する。大学が車両とドライバーを確保し、授業の開始・終了に合わせて運行されるのだが、その車両がこれだったのだ。
近年は、農場を一般公開するイベントが開催され、その際に文京町-農場間で誰でも乗車できるシャトルバスとしても使われていた。

そういえば、秋田大学でも古い自家用バス(いすゞCJA500だそうで、やはり1980年頃の製造か。観光バススタイルのモノコックボディ)を保有していて、鉱山学部(当時)の地質巡検の足として使っていたとか。こちらは2000年以降に中央交通に譲渡されて緑ナンバーになるも、2006年頃に廃車されて現存しない。

弘大のRE101に話を戻して。
古いけれど外観はきれい。走行頻度・距離の少なさ(傷みやすい冬期は授業が少ないので稼働が少ない)や、大切にされてきたためだろう。コラボ弘大などができる前は、屋根付きの車庫に入っていたはず。
今や貴重な存在の車が大事に使われてきたとはいえ、いつかは廃車になる時が来るのだから仕方がないことと、前から思っていた。
そんな折、2011年に弘前で開催された「バスマップサミット」というバス利用促進イベントで、弘南バスの車両とともにこのRE101が展示されたそうだ。弘大には、公共交通のサークルがあるそうで、その努力があったのかもしれない。
これによって、多くの人にその存在が知られることになった。それは同時に、弘大当局側が、この車の貴重さに気付かされたことも意味するであろう。だから、廃車になっても、あっけなくスクラップになることはないのではないかと、ほのかな期待も持つようになっていた。

引退を知らせてくれた農場の先生のブログは、今年1月18日付。
教員宛てに(大学側から)「諸般の事情で今年度限りでの引退との通知が来て」いたそうで、2013年度最後の農場実習で学生たちと記念撮影したことが紹介されている。
バス担当職員は「まだまだ走れるように整備してあるとおっしゃっていました。」ものの、引退後、「この先どうなるのかはまだ知らされていません」とのこと。


では、2014年度の農場実習はどうしているのか? 新しいバスが来たのか? 来たとすればどんな車か?
そして当然、引退したRE101はもういなくなったのだろうと思って、7月末に文京町キャンパスへ行ってみた。
すると、
あれれ!?
富田大通りに面した農学生命科学部前バス停そばの通用門(?)の所に、大通りに頭を向けて、RE101がいた!
大通りを通る人々にその姿を見せるかのように。

この通用門は現在は歩行者専用になっているが、コラボ弘大からまっすぐの広い門ができる前(10年くらい前?)は、車両も通行しており、RE101もここから出入りしていた。(というか、今も昔も理工学部と農学生命科学部がある文京町3番地地区の車両出入り口は1つだけ)
RE101の最後を飾るにふさわしい置き方のようにも思えるが、単にジャマにならない置き場所がここだったのかもしれない。

※余談だが、かつての秋田大学同様、弘前大学でも門外路上喫煙者が多い。いくら学内がクリーンになっても、公道の歩行者を受動喫煙させるとはおかしい話。大学当局・教職員・学生たちは何も思わないのだろうか。
※以下、以前に撮影した写真も混ざっています。
※バスがある場所は、部外者の立ち入りが規制されていない場所ですが、大学の敷地内です。見学等はマナーを守って迷惑にならないようにお願いします。

ナンバープレートがあり、車検シールによれば今年11月満了なので、まだ走行できるはずだが、タイヤ周りなどにクモの巣が張っていて、ずっと動いていなさそう。
よく見ると、部分的にサビが発生していた。以前はなかったはずで、近年はずっと屋根のない場所に停めていたからか、あるいは置きっぱなしのここ半年でこうなってしまったのか。
【23日追記】更新されたグーグルストリートビューによれば、遅くとも6月の時点で既にこの場所に置かれていたのが分かる。

それにしても、使わなくなったバスを半年以上も置いておくなんて、どんな意図があるのだろう。いらないのなら、ただちに廃車するだろうから、ふさわしいもらい手を懸命に探しているのだろうか。
そうじゃなく、国立大学ならではのお役所仕事(法人化されたけど変わらないでしょう。地方自治体などよりもずっとお役所だと思う)で、書類を作ってぐるぐる回してハンコをもらう間、放ったらかしているなどということではないことを祈る。

後継となって活躍しているかと思った、新しいバスは見かけなかった。
今年度の農場実習の足はどうしているんだろう。経費節減のため、弘南バスに委託していたりして…
【24日追記】今年5月に藤崎で行われた、農場の一般公開「リンゴとチューリップのフェスティバル」のシャトルバスは、5月8日付のセンターの公式フェイスブックに「昨年まで使っていた「レトロバス」は引退してしまったので今年は普通の観光バスです。」とある。54名乗りのようだが、やっぱり委託というか貸し切っているのか?


改めて、弘前大学のRE101を見てみる。
今まで、このバスはずっと弘大にいたのだと、漠然と思っていた。
ところが、農場の先生のブログには、「弘前大学には中古で来たようなので弘前大学で使われだしたのは昭和60年代だと思います。」とある。これは知らなかった。【末尾の追記の通り、中古でなくやはり新車で購入したという情報もある】

ナンバープレートは「青22」。
昔は、地名の頭文字1文字が表示されていた(「福」など重複があるものを除く)。
「青森」ナンバーになったのは1988(昭和63)年のはずだから、それ以前に弘大に来たのだろうか。(前所有者の時も「青」ナンバーだったのなら、ナンバーを変えずに来た可能性もあるか…)
前所有者は誰で、どうして10年もしないうちに手放してしまったのだろう。

車体塗装はクリーム色がかった白地に、青のライン。自家用バスでよく見られる、メーカーの標準塗装だろうか。よく見ると、けっこう凝っている。
【2020年7月11日追記】ツイッターにこの車種のカタログの画像を投稿した方がいて、それがこれと同一の塗装。やはり、標準塗装的なもので、独自にデザインしたものではなかった。
「Hino」の翼のエンブレムも懐かしい
正面は、2本の青ラインが中央に集まって「V」字に。秋田市営バスはじめ、昔のバスではよく見られた意匠だ。
前にだけドアがある「トップドア」
側面は、正面から続く2本の太い青線が窓の下に伸び、それが後部で斜めになって屋根に上る。他に細い青線が、窓上と車体裾に1本ずつ。
後部
後部は、リアウインドウ下の灯火の部分に青い線が1本。リアウインドウ左右に添って細くなりながら上へ上り、牛か何かのツノのよう。
後部の灯火は、昔のバスでは一般的だったタイプ。「柿の種」と形容する人もいるが、「バス協会標準仕様」の通称「バス協テール」というもので、秋田市営バスでは1992年度導入分まで採用されていた。

自家用バスのボディは、観光バスをベースにしたタイプ(上記秋大のとか)と、路線バスをベースにしたものがあり、これは後者。
だから、路線バスであれば方向幕(行き先表示)が設置される場所の扱いに困る。写真の通り、後部は空白(穴が開いておらず、外板のまま)。
正面は、肉太の金色の筆文字で「弘前大学」の固定表示。昔のバスは正面も小型の表示が一般的だったが、そのサイズ。(ちょうど1980年前後のモノコックボディの末期頃から大型化されていった)
正面の文字は、比較的最近、変わっていたことが分かった。
以前の表示

現在の表示 ※撮影した角度の関係でゆがんでいます
以前の文字は黒い縁取りがあったが、現在は縁がなくて濃い金色に変わっている。文字そのものも、以前は手書きかと思われるが、今のは活字だろう。
2011年5月の時点ではまだ古い表示だったので、ここ3年ほどで交換されたことになり、このことからも大切に保守されていたのがうかがえる。
ヘッドライト周りが凝っている。銀色のバンパーはきれいに磨かれている
側面前方の窓下の青い部分にも、金文字で「弘前大学」とあり、大学名の表示がないのは、後部だけ。

改めて後部
リアウインドウが3分割なのは、この頃までは一般的だった。
屋根上中央にある下を向いた直方体は、後部確認用のカメラ(のケース)。今でいう「バックモニタ」だけど、当時は普通自動車用はおそらく皆無で、バス用も多くはなかった。現在のものからすればかなり大きい。
弘南バスや秋田市営バスではバックモニタは使っていなかったが、秋田の中央交通は、他の機器類はケチるくせにバックモニタは昔から好んで採用していて、同社の同年代の車にはこれと同じようなカメラが付いていた。(現在はクラリオン製の小型カメラを採用)

色が薄れているが、左側の「Hino RE」のエンブレムも懐かしい。こういうエンブレムがあったのは、昭和末期の日野レインボーの「RJ」くらいまでか。
※正面も同様だが、バス会社によってはエンブレムを取り付けないところもあった。

ドア側前方
前ドアは現代でも主流の折戸だが、枠が太く、「自動扉」の表示があるのが時代を感じさせる。
路線バスのワンマンバス用車両では、昭和末期~平成初期頃までは「自動扉」表示が義務付けられていた(秋田市営バスでは1989年度導入車まで表示あり)。
これは自家用バスだから、その規制とは関係ないのかもしれないけど。

窓越しに車内を拝見
車内は、2人掛けの背もたれの高い座席がずらりと並ぶ。補助席もある。
座席の色は濃い青色で、国鉄時代の普通車(普通から特急まで)のものを連想させられる。実際には国鉄のは「紺色」かな。
白いビニールカバーが掛けられた頭の部分は1人ずつ分割しているが、それより下は一体化している。だからリクライニングもせず、路線バス用のものと同等か。
座席の色や形状は、羽後交通の高速バス用の日野製車両のものとほぼ同じかもしれないし、フォルムは秋田市営バスの日野製中型車のものに似ている。

床は板張りではなく、冷房はないはず。
リベット(鋲)が並ぶボディに「HinoBody」=製造した日野車体工業のエンブレム
さて、日野RE101という型式は、1977年から1984年まで製造されていた大型バス。
路線バス用としても各地で導入され、秋田市交通局でも465号車前後など何台かあったようだし、同系列の顔つきの中型バスもあった。RE101かは不明だが、類似形式は弘南バスにもあったようだ。
だけど、秋田市営バスで見たり乗ったりしたはずなのに、この系列の車にはあまり印象がない。当時はスケルトンボディの新しい車に目を奪われたのと、モノコックボディはメーカー間の見かけの差が小さい上、「ブルドッグ」と呼ばれた三菱系やそれに負けずいかめしい面構えの富士重工3Eボディといった個性の強いモノコック車と比べれば、RE101はおとなしいデザインでインパクトに欠けたのかもしれない。
エンジン音も記憶にないが、それだけ静かだったのかもしれない。
秋田市営バスの同型車・類似形式車は、冷房がないものが多かったこともあって、10年そこそこで廃車されているはず。

1982年には、RE101の次世代のモデルが発売され、「ブルーリボン」という車種名が与えられた。(1982~1984年は新旧両車種が併売)
(再掲・2012年撮影)弘南バスの1989年式ブルーリボン。これでも充分長持ちではある。
その後、製造部門の日野車体工業はいすゞと経営統合して「ジェイ・バス」となり、現行の日野ブルーリボンはいすゞ側から「エルガ」が供給される形になり(ハイブリッド仕様を除く)、車種名以外は流れを汲んでいない車になってしまった。

その間に弘前大学では、農学部が農学生命科学部になり、構内にビルがきゅうくつに建ち並ぶようになり、国立大学法人化されてといった変遷があった。

そんな変化を経て活躍したRE101。弘大を離れても、どこかで何らかの形でその姿をとどめてもらえないものだろうか。


私見だが、日野といすゞのバスのシェアは両社とも高いが、より古くまで使われるバスはいすゞが多いような気がする。各地で残るボンネットバスもいすゞが多いし、秋田の中央交通にある秋田市交通局から譲渡された車両も日野製が少し早く廃車される傾向がある。いすゞのほうがより堅牢な造りだったのだろうか。
このように日野製でも30年以上持つものもあるし、製造が統合された今となっては、選択の余地はないけれど。


【10月27日追記】10月25日付陸奥新報サイトに「30余年活躍の弘大農生バスが“最後の大仕事”」が掲載。バスとその引退に関する新たな情報が分かった。
「今年、運転手の退職とともにその役目を終えたが、弘大総合文化祭最終日の26日に展示会が行われることになった。」
「来場特典として農生バスのペーパークラフトをプレゼント」
→引退理由とイベント開催が判明。展示会は学部の公式ページでは24日付で告知されている。遅い!(展示会場は今まで置かれていた場所そのまま)

「1980年式の日野車体工業製「日野RE101」で、同年に弘大が購入。」
→農場の先生のブログでは、中古で購入したような話だったが、新聞では新車で買ったように取れる。

「62人乗りのクラシックバスで、現在は沖縄県で1、2台残っている程度のかなり希少な車両」
→「クラッシックバス」って何? 「1、2台残っている」ってのは曖昧な表現。沖縄のバス会社に問い合わせれば分かるんじゃないの?

「(農学生命科学部のほか)教育学部や弘大附属幼稚園の行事などでも使用」
「(引退後は)現在学生たちは借り上げのバスで移動」

「総走行距離11万7153キロ」
運転・整備していたのは石岡さん(77)。「金木農場からの帰りに土砂降りに遭い、腐食したバス上部の鉄板から雨が漏れて学生が車内で傘を差したなど思い出も数多い。」
→国立大学法人は70歳代の人でも雇用できるのか。どういう雇用形態だったのだろう。

「今後についてはまだ検討中だ。ただ、維持が難しく大学の手を離れることになる」

【2015年4月9日追記】
その後、車検が切れたのに情報がなくどうなったかと思っていたが、2015年3月30日に仮ナンバーで青森市方面へ走行していたという目撃情報のコメントをいただいた。
さらに、4月9日に東奥日報のサイトに「現役レトロバス、弘大が譲渡」というニュースが掲載された。
同じ記事を(津軽海峡つながりで)使っていると思われる、北海道新聞「青森からこんにちは」の「弘前大学が現役レトロバス譲渡 イベントや送迎で利用」が詳しいので、一部引用。
弘南バスが譲り受ける。
・10日に引き渡し式を行う予定。
・弘南バスでは交通イベントでの展示をはじめ、希望に応じて団体の送迎バスに活用する。また、バス愛好家向けに乗車ツアーなども検討
・弘南バス乗合部課長は「(略)少しでも長く生かしたい。継続して維持するためにも、どんどん見て、乗ってもらいたい」と呼び掛ける。」「映像作品撮影などの機会があればぜひ出していきたい。(略)」などと話す。
・弘前大学ではないと思われる場所で撮影された車両の写真も掲載。塗装や表示は弘大時代のまま(正面の「弘前大学」の「学」だけ剥がれかけている?)だが、ナンバープレートは緑の「917」で登録し直されている。

引き続き走行できることになり、しかも地元の弘南バスが保存を前提に運行するという、考えてみればベストな結果ではないだろうか。
弘南バスが引き取ったのは意外だったが、近年は弘大に公共交通を扱う学生サークルができたり、弘大教育学部が県内の高校などをバスで巡って実験を披露する「ラボバス」の運行を弘南バスへ委託したり、弘大と弘南バスに良好なつながりができていたおかげなのかもしれない。

弘南バスは、保存目的で車両を保有・運行した実績はないかと思うが、運行中の車両は丁寧にかつきれいに整備している印象がある(秋田の某社とは大違い)から、きっと大丈夫だろう。
「青」のナンバープレートがなくなったのは惜しいけれど仕方ない。「弘前大学」の表示もなくなることになるのだろう。塗装はどうなるだろうか?(前だけのトップドアの車だから、弘南バスの旧一般路線塗装に塗り替えると、往時をかなり正確に再現できそう)

今後が楽しみ。

【2015年5月26日追記】
教えてもらったツイッターの情報によれば、2015年春の弘前さくらまつりのシャトルバスに、路線バス車両に混じって、このRE101が使用されたとのこと。(期間中毎日ではなかった)

ツイッター投稿者は写真もアップしてくれていた。ナンバプレート以外に次のような変更点があった。
・基本的な塗装や前後のHINOエンブレム、灯火等は弘大時代そのまま。バックモニタの大型カメラや座席も同じ模様。
・正面と側面前方の「弘前大学」はゴシック体の「弘南バス」に書き換え、後部右下にも追記。
・側面に「貸切」。
・後部に「55501-2」の社番。(過去に同番の車両がいた可能性がある)

【2015年5月29日追記】この車両を使ったツアーが弘南バスによって実施されることになった。
7月5日・日曜日に弘前市内を7時間で巡る「レトロバスで行く 城下町弘前めぐりの旅」。
りんご公園での昼食、禅林街での座禅、アップルパイ付き、ガイド付きで製造年の昭和55年にちなんで5500円。

【2015年7月8日追記】
そのバスツアーを伝える東奥日報の記事に「弘前大学から無償譲渡されたレトロバス」とあった。
弘大が売却し弘南バスが購入したのではなく、無償譲渡だったのか!

※2016年春までに、いつの間にか「ひろちゃん」という愛称が付けられた。この記事末尾参照。

【2016年5月21日追記】2016年5月7・8日に開催された「リンゴとチューリップのフェスティバル」のシャトルバスには、この車両が使われたとのこと。弘南バスによる運行ではあるが、見事に返り咲いた。

【2020年11月12日追記】2020年5月に、ご当地ナンバー「弘前」ナンバーが登場。この車は希望ナンバー制を使って「か767」から、カラー図柄入りの「あ555」に変更された。社番の頭3桁と掛けたのだろう。
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