1987(昭和62)年4月1日の国鉄(日本国有鉄道)分割民営化・JR発足から30年。
もう30年も経ったのかと思う。
30年経って、離島3社を中心とする厳しい経営状況、過度な合理化も気にはなるけれど、おおむねうまくいっているように思う。
仮に国鉄のままだったとしても、人口減やIT化など世の中の変化があって、同じように合理化されていたかもしれない。
一方で、バブル崩壊などもあって今以上に廃線が進んだり、客離れが激しくなって鉄道全体が衰退したり事故が多発したりしていたかもしれない。
※国鉄末期には接客の悪さには“定評”があったほか、機関士(現・運転士)が酔っ払い運転で連結作業をして、客が寝ている寝台車に衝突するようなとんでもない事故(事件)を起こしている。【4日補足】このような職員の体質は「たるみ」と呼ばれ批判された。
国鉄のままだったら、Suicaや駅ナカもなかったかもしれない。秋田などでは、いまだに冷房なしの客車を機関車が引っ張る普通列車が走っていたかもしれない。秋田新幹線(しかも赤い車体の)も、秋田駅周辺活性化にJRが関わってくれることもなかったかもしれない。
国鉄末期には、運賃の値上げがひんぱんに実施されていたそうだが、民営化後、本州3社では消費税導入・税率アップ分以外の値上げを行わずに現在に至っているのも、民営化が功を奏したと言えそう。
ただし、急行列車廃止や新幹線開業で、特急券などの料金は実質値上げされている。庶民の経済感覚の変化(優等列車が身近になった)があるかもしれないし、割安な企画きっぷも増えたから、評価は分かれそう。
個人的に分割民営化されて気になるのが、JR東日本対JR東海に代表される、会社間の連携不足。(一方で東日本はJR北海道とは仲良し)
各社ごとにおトクで便利なきっぷが発売されているが、エリアを越えると正規料金で乗らざるを得ないものがほとんど。それは百歩譲っていいとして、例えば東京-熱海間の正規乗車券は、(この区間では制度上は問題ないのだが)在来線経由か新幹線経由かを決めて購入しないと、場合によっては自動改札機で止められたり、駅員に雑に扱われたり(←JR東海の一部社員。東日本や西日本は丁寧に対応してもらった経験あり)してしまう。
同じ系列会社なんだから、もっと一体感を持てないのだろうか。
30年前、僕は小学校上学年。
当時から鉄道は好きだったし、秋田では鉄道=国鉄。
「民営化」は、電電公社(現・分割前のNTT)、専売公社(現・JT)の先例があって、なんとなく理解できており、それが国鉄にも及ぶことは理解していた。
だけど、分割されるというのが理解できなかった。
エリアを越えて旅行するには、きっぷをどうやって買うのか(会社ごとに分けて買うのか)、「白鳥」「日本海」のようなエリアをまたぐ列車はどうなるのか、など疑問だった。
分割民営化の少し前のNHKのテレビのニュースだと思うが、どのように分割するか(すなわち現在の旅客6社・貨物1社)を解説していたのを見た記憶がある。
東北地方は、首都圏とともに「東日本」になることを知って、戸惑った。てっきり「北日本」とか「東北」というくくりになると思っていたので。
「東北や甲信越だけに分けてしまうと、ローカル線を多く抱えて経営が厳しくなることが予想されるので、収益が大きい首都圏といっしょにした」と理由が説明されていて、納得。
あと、東海道新幹線と東北上越新幹線が別の会社になること(上記の通り、今も若干不服だが)、貨物列車が別会社になるということも、不思議な感じがした。
小学校の学区内には「国鉄官舎」があり、1クラスに1~2人は親が国鉄に勤めている児童がいたかと思う。
彼らのお父さんたちは、分割民営化時にはそれぞれ東日本または貨物へ配属されたことにはなるわけだが、表面上はほとんど変化はなく、新しい学年に上がった。建物の名称は「JR社宅」になったけれど。
その中で、知る限りで1人だけ、1987年春に国鉄官舎から転出していった子がいた。
行き先は首都圏と聞いた。首都圏の支社(や本社)に異動になったのだろうと漠然と思っていたけれど、改めて考えれば、当時は所属する労働組合によって待遇の差があったり、JR社員として採用されなかった元職員もいたりした。もしかしたら、その子のお父さんもそんな事情があって、転出したのかもしれない。(まったくの憶測です)
沿線や駅で見る限り、分割民営化されたといっても、当初はこれまでの車両や看板に「JR」マークを付けた程度に感じた。※1988年の十津川警部シリーズ
当時はあまり乗る機会がなかったけれど、大人たちは「JRになって窓口の対応が良くなった」と話したり、秋田駅前広場(今の西口のポスト付近?)に貨車を改造したパン屋ができたり(余剰人員対策か)、JRになって変わったのかなと感じた。
ちなみに、当時は自動改札機はおろか、きっぷの入鋏はスタンプでなくハサミによる穴開けだった。少なくとも平成に入ってから数年間はハサミだった。あと、「JR」の名はかなり速く国民に浸透・定着したけれど、「国電」の言い換え「E電」はぜんぜんだったね。
民営化翌年には青函トンネルや瀬戸大橋の開業、さらに翌年には平成になり、世の中全体が新しい時代へ。
やがて、それまでは北から南まで塗装が同じだった車両も、JR九州の真っ赤な485系電車など、各社の個性が出始め、さらに各社ごとに個性的な新型車両が増えていく。秋田ではなかなか新車両は来なかったけれど。
気がつけば、新幹線が延び、ブルートレインや急行など国鉄時代の列車がなくなり、インターネットできっぷを買えるようになり、国鉄時代の車両は「国鉄型」と呼ばれて消えていったり、そんな30年。
東北新幹線でこんな車両があったのをご記憶ですか?(2004年撮影)
写真は、東海道新幹線の100系のような、先頭部がとがって、前照灯が細長い、「100系タイプ」とか「シャークノーズ」と呼ばれたタイプ。
東北上越新幹線では別形式ではなく、先頭部が丸っこい200系のデザイン違いとして製造または改造された。民営化直後の1987年に登場したそうで、JR東日本のJR東海への対抗心によるものか。【3日追記】今見れば、昭和末期~平成初期特有のバブリーな雰囲気が漂っている。
写真のような窓下に緑の細い線があるものは、2階建てグリーン車・カフェテリアが連結され、停車駅が少ない通称「スーパーやまびこ」に充当された花形車両だった。(丸っこくても2階建て、とがっていても平屋の編成もあった)
写真は、2階建てが抜かれ臨時列車用となっていた廃車間際の姿。
どちらも200系
※この記事に2003年の200系。
JR各社では、民営化とその後10年ごとに、記念のフリーきっぷを発売している。
1987年には3月31日に限り6000円で新幹線など含む全線が乗り放題になる「謝恩フリーきっぷ」を発売し、大混雑。なんとなくテレビで見た記憶あり。
1997年3月には3日間3万円で乗り放題の「JR発足10周年記念謝恩フリーきっぷ」が出たそうだが、記憶にない。当時はネットでの情報収集の習慣もなかったし、また日頃から週末のJR東日本エリアが乗り放題になるきっぷもあったので、当時は目立たなかったのかもしれない。今にして思えば、がんばって他社エリアへ行っておけばよかった。
2007年は普通列車限定「青春18きっぷ」を春だけ値下げすることでお茶を濁し(?)、2017年はグループ全体でのきっぷはなく、各社ごとの対応になるようだ。
この途中、2003年には、JR東日本の完全民営化(2002年の日本鉄道建設公団保有株の放出)を記念した、「JR東日本パス」が発売された。(東日本大震災後にも同名商品発売)2003年3月の週末にエリア内全線乗り放題で1日用8000円、2日用1万2000円。
これは利用したけれど、どの列車もかなり混雑しており、秋田新幹線は全便満席。北上線経由で「やまびこ」に乗って首都圏へ行き来した。
今回のJR東日本は、7月下旬の3日間有効の「JR東日本30周年記念パス」を発売。
乗車券部分のみ1万3000円(新幹線・特急券等は別途購入で利用可)。
3連休用のフリーきっぷと似ていて、エリアが若干狭く、若干安い程度の違い。(それでもJR東日本でない3セクが一部含まれるのがおもしろい)青春18きっぷよりも割高。
かつてのように大混雑しても困るから、夏休み直前~初期という、あまり客が多くない時期にしたのだろうか。
もう30年も経ったのかと思う。
30年経って、離島3社を中心とする厳しい経営状況、過度な合理化も気にはなるけれど、おおむねうまくいっているように思う。
仮に国鉄のままだったとしても、人口減やIT化など世の中の変化があって、同じように合理化されていたかもしれない。
一方で、バブル崩壊などもあって今以上に廃線が進んだり、客離れが激しくなって鉄道全体が衰退したり事故が多発したりしていたかもしれない。
※国鉄末期には接客の悪さには“定評”があったほか、機関士(現・運転士)が酔っ払い運転で連結作業をして、客が寝ている寝台車に衝突するようなとんでもない事故(事件)を起こしている。【4日補足】このような職員の体質は「たるみ」と呼ばれ批判された。
国鉄のままだったら、Suicaや駅ナカもなかったかもしれない。秋田などでは、いまだに冷房なしの客車を機関車が引っ張る普通列車が走っていたかもしれない。秋田新幹線(しかも赤い車体の)も、秋田駅周辺活性化にJRが関わってくれることもなかったかもしれない。
国鉄末期には、運賃の値上げがひんぱんに実施されていたそうだが、民営化後、本州3社では消費税導入・税率アップ分以外の値上げを行わずに現在に至っているのも、民営化が功を奏したと言えそう。
ただし、急行列車廃止や新幹線開業で、特急券などの料金は実質値上げされている。庶民の経済感覚の変化(優等列車が身近になった)があるかもしれないし、割安な企画きっぷも増えたから、評価は分かれそう。
個人的に分割民営化されて気になるのが、JR東日本対JR東海に代表される、会社間の連携不足。(一方で東日本はJR北海道とは仲良し)
各社ごとにおトクで便利なきっぷが発売されているが、エリアを越えると正規料金で乗らざるを得ないものがほとんど。それは百歩譲っていいとして、例えば東京-熱海間の正規乗車券は、(この区間では制度上は問題ないのだが)在来線経由か新幹線経由かを決めて購入しないと、場合によっては自動改札機で止められたり、駅員に雑に扱われたり(←JR東海の一部社員。東日本や西日本は丁寧に対応してもらった経験あり)してしまう。
同じ系列会社なんだから、もっと一体感を持てないのだろうか。
30年前、僕は小学校上学年。
当時から鉄道は好きだったし、秋田では鉄道=国鉄。
「民営化」は、電電公社(現・分割前のNTT)、専売公社(現・JT)の先例があって、なんとなく理解できており、それが国鉄にも及ぶことは理解していた。
だけど、分割されるというのが理解できなかった。
エリアを越えて旅行するには、きっぷをどうやって買うのか(会社ごとに分けて買うのか)、「白鳥」「日本海」のようなエリアをまたぐ列車はどうなるのか、など疑問だった。
分割民営化の少し前のNHKのテレビのニュースだと思うが、どのように分割するか(すなわち現在の旅客6社・貨物1社)を解説していたのを見た記憶がある。
東北地方は、首都圏とともに「東日本」になることを知って、戸惑った。てっきり「北日本」とか「東北」というくくりになると思っていたので。
「東北や甲信越だけに分けてしまうと、ローカル線を多く抱えて経営が厳しくなることが予想されるので、収益が大きい首都圏といっしょにした」と理由が説明されていて、納得。
あと、東海道新幹線と東北上越新幹線が別の会社になること(上記の通り、今も若干不服だが)、貨物列車が別会社になるということも、不思議な感じがした。
小学校の学区内には「国鉄官舎」があり、1クラスに1~2人は親が国鉄に勤めている児童がいたかと思う。
彼らのお父さんたちは、分割民営化時にはそれぞれ東日本または貨物へ配属されたことにはなるわけだが、表面上はほとんど変化はなく、新しい学年に上がった。建物の名称は「JR社宅」になったけれど。
その中で、知る限りで1人だけ、1987年春に国鉄官舎から転出していった子がいた。
行き先は首都圏と聞いた。首都圏の支社(や本社)に異動になったのだろうと漠然と思っていたけれど、改めて考えれば、当時は所属する労働組合によって待遇の差があったり、JR社員として採用されなかった元職員もいたりした。もしかしたら、その子のお父さんもそんな事情があって、転出したのかもしれない。(まったくの憶測です)
沿線や駅で見る限り、分割民営化されたといっても、当初はこれまでの車両や看板に「JR」マークを付けた程度に感じた。※1988年の十津川警部シリーズ
当時はあまり乗る機会がなかったけれど、大人たちは「JRになって窓口の対応が良くなった」と話したり、秋田駅前広場(今の西口のポスト付近?)に貨車を改造したパン屋ができたり(余剰人員対策か)、JRになって変わったのかなと感じた。
ちなみに、当時は自動改札機はおろか、きっぷの入鋏はスタンプでなくハサミによる穴開けだった。少なくとも平成に入ってから数年間はハサミだった。あと、「JR」の名はかなり速く国民に浸透・定着したけれど、「国電」の言い換え「E電」はぜんぜんだったね。
民営化翌年には青函トンネルや瀬戸大橋の開業、さらに翌年には平成になり、世の中全体が新しい時代へ。
やがて、それまでは北から南まで塗装が同じだった車両も、JR九州の真っ赤な485系電車など、各社の個性が出始め、さらに各社ごとに個性的な新型車両が増えていく。秋田ではなかなか新車両は来なかったけれど。
気がつけば、新幹線が延び、ブルートレインや急行など国鉄時代の列車がなくなり、インターネットできっぷを買えるようになり、国鉄時代の車両は「国鉄型」と呼ばれて消えていったり、そんな30年。
東北新幹線でこんな車両があったのをご記憶ですか?(2004年撮影)
写真は、東海道新幹線の100系のような、先頭部がとがって、前照灯が細長い、「100系タイプ」とか「シャークノーズ」と呼ばれたタイプ。
東北上越新幹線では別形式ではなく、先頭部が丸っこい200系のデザイン違いとして製造または改造された。民営化直後の1987年に登場したそうで、JR東日本のJR東海への対抗心によるものか。【3日追記】今見れば、昭和末期~平成初期特有のバブリーな雰囲気が漂っている。
写真のような窓下に緑の細い線があるものは、2階建てグリーン車・カフェテリアが連結され、停車駅が少ない通称「スーパーやまびこ」に充当された花形車両だった。(丸っこくても2階建て、とがっていても平屋の編成もあった)
写真は、2階建てが抜かれ臨時列車用となっていた廃車間際の姿。
どちらも200系
※この記事に2003年の200系。
JR各社では、民営化とその後10年ごとに、記念のフリーきっぷを発売している。
1987年には3月31日に限り6000円で新幹線など含む全線が乗り放題になる「謝恩フリーきっぷ」を発売し、大混雑。なんとなくテレビで見た記憶あり。
1997年3月には3日間3万円で乗り放題の「JR発足10周年記念謝恩フリーきっぷ」が出たそうだが、記憶にない。当時はネットでの情報収集の習慣もなかったし、また日頃から週末のJR東日本エリアが乗り放題になるきっぷもあったので、当時は目立たなかったのかもしれない。今にして思えば、がんばって他社エリアへ行っておけばよかった。
2007年は普通列車限定「青春18きっぷ」を春だけ値下げすることでお茶を濁し(?)、2017年はグループ全体でのきっぷはなく、各社ごとの対応になるようだ。
この途中、2003年には、JR東日本の完全民営化(2002年の日本鉄道建設公団保有株の放出)を記念した、「JR東日本パス」が発売された。(東日本大震災後にも同名商品発売)2003年3月の週末にエリア内全線乗り放題で1日用8000円、2日用1万2000円。
これは利用したけれど、どの列車もかなり混雑しており、秋田新幹線は全便満席。北上線経由で「やまびこ」に乗って首都圏へ行き来した。
今回のJR東日本は、7月下旬の3日間有効の「JR東日本30周年記念パス」を発売。
乗車券部分のみ1万3000円(新幹線・特急券等は別途購入で利用可)。
3連休用のフリーきっぷと似ていて、エリアが若干狭く、若干安い程度の違い。(それでもJR東日本でない3セクが一部含まれるのがおもしろい)青春18きっぷよりも割高。
かつてのように大混雑しても困るから、夏休み直前~初期という、あまり客が多くない時期にしたのだろうか。