2021年夏、著名な人が何人か亡くなった。
特別な思い入れがあるわけではないが、活躍されていたお姿が記憶に刻まれている方々。全国区で4名、秋田で1名をここに記録しておきます。一部敬称略。
●江田五月 政治家 7月28日 80歳没
1990年代、政治に多少興味を持つようになった頃、活躍が目立った。参議院議長や菅直人内閣で大臣も歴任、2016年引退。
自民党で今も現役の、ASO氏や2階氏と同世代だそうだけど、彼らのような傲慢さやふてぶてしさ、見ていて不快感はなく、むしろスマートで穏やかな印象。
立派な、というかこれが本来の政治家なのではないか。
●サトウサンペイ 漫画家 7月31日 91歳没
史上初のサラリーマンが主人公の4コマ漫画「フジ三太郎」を、1965年から1991年までの長期にわたり、朝日新聞に連載。
ほかに「ドタンバのマナー」という作品もあり、テレビアニメ化された。
1985年か1986年頃、秋田テレビ(AKT)で土曜の20時前に5分間放送していた。「ドタンバ」という男(前髪以外はフジ三太郎に酷似)が主人公で、生活上の気配りやエチケットが題材。
Wikipediaによれば、283話あり、フジテレビで1984年から1987年まで曜日・時間を変えながら放送したものの、全国ネットではなかった。サザエさんと同じエイケン制作。
フジで土曜19時55分枠だったのは1984年10月~1985年9月(この後10月開始の「ハイスクール奇面組」は20時00分まで枠が拡大)で、AKTで見たのはそこか。
さらに、70歳近い1990年代後半には、当時普及したパソコンに挑戦。
エッセイ扱いのようだが「パソコンの「パ」の字から」シリーズを執筆。元は「朝日パソコン」連載で、後に単行本化されたはず。
軽く読んだことがあるが、パソコンの基本から、インターネットまでひと通りこなして、分かりやすかった。最終的には、パソコンで漫画の描画にも挑んだようだ。
ところで、ここ最近は「ハイレゾ」として「ハイレゾリューションオーディオ」が少し注目されている。ハイレゾとは「高解像度」なこと。
その20年前の「~「パ」の字から」にも「ハイレゾ」が取り上げられていて、「ハイレグじゃないよ」と書いてあったのを記憶している。何を指すのかは記憶にないが…
当時は、「マルチメディア」がパソコンの宣伝文句の1つだった。やはり音のことを指すのか、あるいはNECのPC-9800シリーズに、画面の解像度を上げる「ハイレゾモード」があったそうで、そっちか。
あと「デバイス」は「出っ歯が椅子に座ってるんじゃないよ」もあった。「ディスクトップじゃなく、デスクトップで、2つの意味(ノートブックに対するパソコン本体の種類、OSの基本画面)がある」みたいな説明もされていた気がする。
当時はパソコン関連用語のほとんどが耳慣れないもので、必要以上に用語を覚えないといけない感覚があったのかもしれないが、分かりやすい説明だった。今はこういう本ってあるだろうか。
パソコンとは関係ないけれど、読者からの編集部への質問で「『(以前の連載に、料理の)レシピ』という語がありましたが、どういう意味ですか」というのも。時代を感じる。
●斎藤雅広 ピアニスト 8月8日 60歳没
新聞の訃報欄に、写真付きで出ていたのを見て、忘れかけていたのを思い出し、若くして亡くなったのに驚いた。
作曲編曲も手がけ、軽妙なトークというかオヤジギャクというかとともにテレビにも出演。
僕が存在を知ったのは、テレビ出演でも最初のほうに当たる、NHK教育テレビ(現・Eテレ)「トゥトゥアンサンブル」。1997年度~1999年度放送【25日追記・斎藤氏が出演したのは1998年度まで】。
この番組は、小学校3・4年生向け音楽科の学校放送番組。22年続いた3年生向け「ふえはうたう」の後継であり、どんなもんかと見た。
1994年度に終了して後継がなかった4年生向け「ゆかいなコンサート」の内容も扱うようになって、ふえはうたう時代よりリコーダーの扱いは少なくなった。最初の2年間はリコーダーを教えるのは専門の先生ではなかった(オカリナ奏者 本谷美加子、ケーナ奏者・俳優 田中健)。
そんな番組の全体の進行役が、斎藤さん扮する「キーボーズ」。紫の着物(作務衣?)など派手な衣装とパフォーマンスの一方、正装でピアノも演奏した。学校放送で存在感を放ったキャラクターの1人であった。
トゥトゥアンサンブル終了後、2000~2002年度は3年生向け「歌えリコーダー」になり、ふえはうたう時代に戻った形になったそうだ【25日追記・キーボーズが出なくなった1999年度から、その傾向はあったようだ】が、2003年度以降の後継番組はなし。2015年度には3~6年を対象とした「おんがくブラボー」というのが始まっている。
●笑福亭仁鶴 落語家 8月27日 84歳没
上方落語の重鎮、1960~1970年代にはラジオやテレビの司会で大人気、吉本興業への功績も大きいそうだ。
でも、僕は世代・地域的にNHK「バラエティー生活笑百科」の相談室長(司会)。
番組は1985年に始まり、最初は西川きよし氏が室長だったが、選挙出馬のため1年で降板して、仁鶴氏に交代したのだが、その記憶はない。※レギュラー化前は板東英二も務めたことがあったらしい。
だから、仁鶴氏といえば「土曜のお昼の人」。それが学校が半ドン(=午前中で終了)の頃は、1日半の休日の始まりの合図であった。
【2023年8月6日追記・1985年度は小学校の授業が4時間目まであり、帰宅時しても番組に間に合わなかった。幼かったことに加え、長期休み中以外は見る機会がなかったので、西川氏の記憶がないのだろう。1986年度からは(下校が遅いことが問題視されたのか)3時間目で終わるようになった。】
長らく続いたが、お歳のせいもあるのだろう、2016年には、桂南光 相談室長補佐を置くようになった。
2017年途中からは仁鶴室長が出演しなくなってしまっていた(桂南光はCEOに)。夫人を亡くした心労があったようだ。
今後は、「笑点」の桂歌丸“永世名誉司会”のように名誉室長のような形になるのか、桂南光CEOが昇格するのか。→生活笑百科の枠を使った追悼特番が放送され、「名誉室長」となることが発表された。オープニングの声も継続。
あとは毎年1月3日にNHKで放送する「初笑い東西寄席」の、なんばグランド花月中継担当も印象にある。2000年から2014年。
●山田 實 8月12日 100歳
8月23日付 秋田魁新報は、訃報欄ではなく、社会面の記事「軽妙な語り口で秋田の習俗紹介/山田實さん死去 100歳」として報道。
その肩書は「元ラジオパーソナリティー」だったが、詩やエッセイを書き、文化財保護に関わるなど多様。
うちの年寄りの話では、秋田市通町にあった、あるお店が生家とのこと。
1947年に秋田魁新報社入社、社会部記者、放送部長、製版部長などを歴任。→新聞社で「放送部」ってのは何? 時期的に秋田放送(ABS)はもう独立していただろうし。
魁を退職後は秋田放送などでキャスターとして活躍。1985年から2006年までエフエム秋田の番組「あきた歳時記あれこれ」で親しまれた。→FM秋田開局時からの番組か。
僕は15年ほど前だが、1度だけ講演を聴いたことがある。ご自宅は秋田市手形山で、1年間の手形山から日の出の位置を記録した話などされていた。
その前、山田氏の存在を知ったのが、1980年代後半、ABSで流れていたテレビCM。
秋田の冠婚葬祭の概要をまとめたような本の告知で、最後にABSの副調整室かラジオスタジオのような場所にいる山田氏が、「秋田では秋田のルールがございます。カンコンソーサイ ハンドブック」と秋田なまりと独特の抑揚で話すのが印象的だった。あと、これで「冠婚葬祭」の言葉を覚えた。
その後、第2段のようなCMもあったが、それはさほどインパクトがなかったような。
調べると、「秋田の冠婚葬祭ハンドブック : いざというとき役に立つ、マナー&エチケット」が1986年3月に出版されていた。編集・製作はアートシステム(秋田市の広告会社)、出版者が秋田放送。1380円(当時は消費税なし)。
CMの通り続編があって、1988年5月に「秋田の冠婚葬祭ハンドブック Part-2」、1994年8月に「秋田の冠婚葬祭ハンドブック Part3」が、同じ作者、出版元で発行されていた。
今は絶版のようだが、秋田市立図書館や3以外は秋田県立図書館に収蔵。
3冊出たからには、それだけ“秋田のルールがございます”のだろうか。いつか読んでみないと。
秋田では火葬後に葬儀をすることとか、あるいはお盆の飾り付け(今年も当ブログに多数アクセスをいただきました)なんかも載っていたのか。今の時代にもあるべき本かもしれない。
特別な思い入れがあるわけではないが、活躍されていたお姿が記憶に刻まれている方々。全国区で4名、秋田で1名をここに記録しておきます。一部敬称略。
●江田五月 政治家 7月28日 80歳没
1990年代、政治に多少興味を持つようになった頃、活躍が目立った。参議院議長や菅直人内閣で大臣も歴任、2016年引退。
自民党で今も現役の、ASO氏や2階氏と同世代だそうだけど、彼らのような傲慢さやふてぶてしさ、見ていて不快感はなく、むしろスマートで穏やかな印象。
立派な、というかこれが本来の政治家なのではないか。
●サトウサンペイ 漫画家 7月31日 91歳没
史上初のサラリーマンが主人公の4コマ漫画「フジ三太郎」を、1965年から1991年までの長期にわたり、朝日新聞に連載。
ほかに「ドタンバのマナー」という作品もあり、テレビアニメ化された。
1985年か1986年頃、秋田テレビ(AKT)で土曜の20時前に5分間放送していた。「ドタンバ」という男(前髪以外はフジ三太郎に酷似)が主人公で、生活上の気配りやエチケットが題材。
Wikipediaによれば、283話あり、フジテレビで1984年から1987年まで曜日・時間を変えながら放送したものの、全国ネットではなかった。サザエさんと同じエイケン制作。
フジで土曜19時55分枠だったのは1984年10月~1985年9月(この後10月開始の「ハイスクール奇面組」は20時00分まで枠が拡大)で、AKTで見たのはそこか。
さらに、70歳近い1990年代後半には、当時普及したパソコンに挑戦。
エッセイ扱いのようだが「パソコンの「パ」の字から」シリーズを執筆。元は「朝日パソコン」連載で、後に単行本化されたはず。
軽く読んだことがあるが、パソコンの基本から、インターネットまでひと通りこなして、分かりやすかった。最終的には、パソコンで漫画の描画にも挑んだようだ。
ところで、ここ最近は「ハイレゾ」として「ハイレゾリューションオーディオ」が少し注目されている。ハイレゾとは「高解像度」なこと。
その20年前の「~「パ」の字から」にも「ハイレゾ」が取り上げられていて、「ハイレグじゃないよ」と書いてあったのを記憶している。何を指すのかは記憶にないが…
当時は、「マルチメディア」がパソコンの宣伝文句の1つだった。やはり音のことを指すのか、あるいはNECのPC-9800シリーズに、画面の解像度を上げる「ハイレゾモード」があったそうで、そっちか。
あと「デバイス」は「出っ歯が椅子に座ってるんじゃないよ」もあった。「ディスクトップじゃなく、デスクトップで、2つの意味(ノートブックに対するパソコン本体の種類、OSの基本画面)がある」みたいな説明もされていた気がする。
当時はパソコン関連用語のほとんどが耳慣れないもので、必要以上に用語を覚えないといけない感覚があったのかもしれないが、分かりやすい説明だった。今はこういう本ってあるだろうか。
パソコンとは関係ないけれど、読者からの編集部への質問で「『(以前の連載に、料理の)レシピ』という語がありましたが、どういう意味ですか」というのも。時代を感じる。
●斎藤雅広 ピアニスト 8月8日 60歳没
新聞の訃報欄に、写真付きで出ていたのを見て、忘れかけていたのを思い出し、若くして亡くなったのに驚いた。
作曲編曲も手がけ、軽妙なトークというかオヤジギャクというかとともにテレビにも出演。
僕が存在を知ったのは、テレビ出演でも最初のほうに当たる、NHK教育テレビ(現・Eテレ)「トゥトゥアンサンブル」。1997年度~1999年度放送【25日追記・斎藤氏が出演したのは1998年度まで】。
この番組は、小学校3・4年生向け音楽科の学校放送番組。22年続いた3年生向け「ふえはうたう」の後継であり、どんなもんかと見た。
1994年度に終了して後継がなかった4年生向け「ゆかいなコンサート」の内容も扱うようになって、ふえはうたう時代よりリコーダーの扱いは少なくなった。最初の2年間はリコーダーを教えるのは専門の先生ではなかった(オカリナ奏者 本谷美加子、ケーナ奏者・俳優 田中健)。
そんな番組の全体の進行役が、斎藤さん扮する「キーボーズ」。紫の着物(作務衣?)など派手な衣装とパフォーマンスの一方、正装でピアノも演奏した。学校放送で存在感を放ったキャラクターの1人であった。
トゥトゥアンサンブル終了後、2000~2002年度は3年生向け「歌えリコーダー」になり、ふえはうたう時代に戻った形になったそうだ【25日追記・キーボーズが出なくなった1999年度から、その傾向はあったようだ】が、2003年度以降の後継番組はなし。2015年度には3~6年を対象とした「おんがくブラボー」というのが始まっている。
●笑福亭仁鶴 落語家 8月27日 84歳没
上方落語の重鎮、1960~1970年代にはラジオやテレビの司会で大人気、吉本興業への功績も大きいそうだ。
でも、僕は世代・地域的にNHK「バラエティー生活笑百科」の相談室長(司会)。
番組は1985年に始まり、最初は西川きよし氏が室長だったが、選挙出馬のため1年で降板して、仁鶴氏に交代したのだが、その記憶はない。※レギュラー化前は板東英二も務めたことがあったらしい。
だから、仁鶴氏といえば「土曜のお昼の人」。それが学校が半ドン(=午前中で終了)の頃は、1日半の休日の始まりの合図であった。
【2023年8月6日追記・1985年度は小学校の授業が4時間目まであり、帰宅時しても番組に間に合わなかった。幼かったことに加え、長期休み中以外は見る機会がなかったので、西川氏の記憶がないのだろう。1986年度からは(下校が遅いことが問題視されたのか)3時間目で終わるようになった。】
長らく続いたが、お歳のせいもあるのだろう、2016年には、桂南光 相談室長補佐を置くようになった。
2017年途中からは仁鶴室長が出演しなくなってしまっていた(桂南光はCEOに)。夫人を亡くした心労があったようだ。
今後は、「笑点」の桂歌丸“永世名誉司会”のように名誉室長のような形になるのか、桂南光CEOが昇格するのか。→生活笑百科の枠を使った追悼特番が放送され、「名誉室長」となることが発表された。オープニングの声も継続。
あとは毎年1月3日にNHKで放送する「初笑い東西寄席」の、なんばグランド花月中継担当も印象にある。2000年から2014年。
●山田 實 8月12日 100歳
8月23日付 秋田魁新報は、訃報欄ではなく、社会面の記事「軽妙な語り口で秋田の習俗紹介/山田實さん死去 100歳」として報道。
その肩書は「元ラジオパーソナリティー」だったが、詩やエッセイを書き、文化財保護に関わるなど多様。
うちの年寄りの話では、秋田市通町にあった、あるお店が生家とのこと。
1947年に秋田魁新報社入社、社会部記者、放送部長、製版部長などを歴任。→新聞社で「放送部」ってのは何? 時期的に秋田放送(ABS)はもう独立していただろうし。
魁を退職後は秋田放送などでキャスターとして活躍。1985年から2006年までエフエム秋田の番組「あきた歳時記あれこれ」で親しまれた。→FM秋田開局時からの番組か。
僕は15年ほど前だが、1度だけ講演を聴いたことがある。ご自宅は秋田市手形山で、1年間の手形山から日の出の位置を記録した話などされていた。
その前、山田氏の存在を知ったのが、1980年代後半、ABSで流れていたテレビCM。
秋田の冠婚葬祭の概要をまとめたような本の告知で、最後にABSの副調整室かラジオスタジオのような場所にいる山田氏が、「秋田では秋田のルールがございます。カンコンソーサイ ハンドブック」と秋田なまりと独特の抑揚で話すのが印象的だった。あと、これで「冠婚葬祭」の言葉を覚えた。
その後、第2段のようなCMもあったが、それはさほどインパクトがなかったような。
調べると、「秋田の冠婚葬祭ハンドブック : いざというとき役に立つ、マナー&エチケット」が1986年3月に出版されていた。編集・製作はアートシステム(秋田市の広告会社)、出版者が秋田放送。1380円(当時は消費税なし)。
CMの通り続編があって、1988年5月に「秋田の冠婚葬祭ハンドブック Part-2」、1994年8月に「秋田の冠婚葬祭ハンドブック Part3」が、同じ作者、出版元で発行されていた。
今は絶版のようだが、秋田市立図書館や3以外は秋田県立図書館に収蔵。
3冊出たからには、それだけ“秋田のルールがございます”のだろうか。いつか読んでみないと。
秋田では火葬後に葬儀をすることとか、あるいはお盆の飾り付け(今年も当ブログに多数アクセスをいただきました)なんかも載っていたのか。今の時代にもあるべき本かもしれない。
氏が監修したかはわかりませんが。
仁鶴師匠はやはり土曜日。
気がついたらレギュラーや弁護士もだいぶ変わりました。
マナカナは好きなんですが、さいごのけばい女芸人コーナーはあまり…
そこそこそういう需要が続いているんですね。
平日のいいとも、日曜ののど自慢と並ぶ、定番長寿番組でしょう。
基本スタイルは変わらなくても、テーマ曲が宮川泰からキダ・タローに替わり、上沼相談員がいなくなり、等々変化がありました。ずっと出ているのは阪神巨人くらいでしょうか。
最初期がどんな雰囲気だったか、見てみたいものです。