山王大通り~中央通りのバス停表示板の四角い“共用タイプ”から円形への更新シリーズ。
臨海十字路から始まって、前回は山王十字路まで。今回は竿燈大通り(広義では山王大通りなのだが、当ブログでは分けて扱っています)を東へ。
「大町二丁目」。交差点の関係か上下で位置がだいぶずれている。
下り側は、市営バス時代設置の2代目バスロケで、羽後交通も含めた3事業者共用。といっても接近表示するのは市営バスだけで、中央交通と羽後交通は社名表記と時刻表が入るだけだった。
次の交通公社前(現・川反入口)下りとここにしかない、どっしりとした大型の埋めこみタイプ。
通る路線が多い上、木内前や県庁市役所前などと違って、吊り下げタイプを設置できる上屋類もないため、こうなったのだろう。初代バスロケではどうだったか、記憶がない。
あと、交通公社前はかつてはダイエーの最寄りだったり、乗り換え客もいたりして、乗車客は多かった(今もそれなりに)。でも大町二丁目は、これを設置するほど乗車客がいたのだろうか。次の山王十字路(バスロケなし)と大差ないはずだし、山王十字路のほうが運賃が安くなることもあって、いくぶん乗る人は多い気もする。
というわけで、今回は手付かず。
秋田銀行大町支店前にある上り側は、非共用。バスロケもどきの埋めこみ式(ここのは短足)、共用タイプ、羽後交通の3本。
ここの共用タイプは、かつては、当ブログの呼称「城バス停」であった。
(再掲)城バス停
真四角の白ベースの板に、なぜかお城のイラストが描かれ、きゅうくつにバス停名がローマ字入りで表記、広告スペースがあった。
おそらく市営バスは関わっていないもので、2009年時点で設置済み。この周辺と神田線の神田の5か所でだけ確認。【21日訂正】コメントでご指摘いただいたように、その他にも市内各所にいくらかは存在していたのを忘れていた。いずれも、広告が入っていたそうで、今は交換されている。城バス停の存在意義は広告を入れるための表示板だったようだが、広告が存続しているものもあるので、何らかの理由で城デザインを取りやめたことになりそう。
過去の記事では明確に触れなかったが、フォントは「町」が「田丁」であることから、太めのスーラだ。
その後、2015年の始め(上の過去記事参照)頃に、城バス停は一掃された。
(再掲)共用タイプになった。広告はバスロケもどきに移設
市営バスがなくなった後で、新たに共用タイプが増えた形。
これもフォントを見れば、「田丁」ではないのでナールのようだ。それも細いし、ローマ字の上の伸ばす棒があるから、前回の山王十字路など市営バス時代設置の仕様と同じだ。中央交通の社紋はなし。
憶測だが、城バス停になる以前にこれが設置されており、城バス停交換後も保管され、復帰したのではないだろうか(だから、後述の中央通りの2枚と同時に設置されたのに、色、フォント、広告の有無が違ったのではないか)。
だが、それも5年ほど経った今、
円形表示板に
次の「川反入口」は、下りは前述の通り大型バスロケで共用。
上りはポールが乱立(循環バスとリムジンバスも)し、かつては共用タイプもあったが、2018年10月の交通公社前からの改称時に円形に交換済み。細い棒2本の珍しい支柱。
一方通行の中央通りへ入ると、「中通一丁目」と「中通二丁目」。中通二丁目に羽後交通がある以外は同じなのでまとめて。(以降、買物広場と駅西口は変更なしなので略)
バスロケもどきと、城→共用があった。
(いずれも再掲)
社紋なし、ローマ字が上、太いスーラをやや扁平にし、下に広告という、共用タイプながら独特の間延びしたデザイン。
それも5年で、交換。
ローマ字の「一丁目」は、最近(2016年の泉八橋環状線で初確認)の中央交通がこだわる(?)「ITCHOME」表記。
今回交換された他の円形表示板と同じ配置で、その黄色と赤の境界部分に広告を貼ったため、きゅうくつ。
広告を入れるのならば、共用タイプのほうが面積が広くて向いていたのでは。
そして、
中通二丁目、影のほうが分かりやすいかも
中通二丁目の円形表示板のポールには、相変わらず時刻表枠がない。広告と反射材の役目は果たしているのだろうが、無駄。
今回の表示板交換シリーズはこれにて完結。
※と思ったら、今回取り上げた区間の外側、大川反方面でも表示板が交換されていたので、後日また。
※今回の交換対象外だったが、番外編として県立体育館前。
臨海十字路から始まって、前回は山王十字路まで。今回は竿燈大通り(広義では山王大通りなのだが、当ブログでは分けて扱っています)を東へ。
「大町二丁目」。交差点の関係か上下で位置がだいぶずれている。
下り側は、市営バス時代設置の2代目バスロケで、羽後交通も含めた3事業者共用。といっても接近表示するのは市営バスだけで、中央交通と羽後交通は社名表記と時刻表が入るだけだった。
次の交通公社前(現・川反入口)下りとここにしかない、どっしりとした大型の埋めこみタイプ。
通る路線が多い上、木内前や県庁市役所前などと違って、吊り下げタイプを設置できる上屋類もないため、こうなったのだろう。初代バスロケではどうだったか、記憶がない。
あと、交通公社前はかつてはダイエーの最寄りだったり、乗り換え客もいたりして、乗車客は多かった(今もそれなりに)。でも大町二丁目は、これを設置するほど乗車客がいたのだろうか。次の山王十字路(バスロケなし)と大差ないはずだし、山王十字路のほうが運賃が安くなることもあって、いくぶん乗る人は多い気もする。
というわけで、今回は手付かず。
秋田銀行大町支店前にある上り側は、非共用。バスロケもどきの埋めこみ式(ここのは短足)、共用タイプ、羽後交通の3本。
ここの共用タイプは、かつては、当ブログの呼称「城バス停」であった。
(再掲)城バス停
真四角の白ベースの板に、なぜかお城のイラストが描かれ、きゅうくつにバス停名がローマ字入りで表記、広告スペースがあった。
おそらく市営バスは関わっていないもので、2009年時点で設置済み。この周辺と神田線の神田の
過去の記事では明確に触れなかったが、フォントは「町」が「田丁」であることから、太めのスーラだ。
その後、2015年の始め(上の過去記事参照)頃に、城バス停は一掃された。
(再掲)共用タイプになった。広告はバスロケもどきに移設
市営バスがなくなった後で、新たに共用タイプが増えた形。
これもフォントを見れば、「田丁」ではないのでナールのようだ。それも細いし、ローマ字の上の伸ばす棒があるから、前回の山王十字路など市営バス時代設置の仕様と同じだ。中央交通の社紋はなし。
憶測だが、城バス停になる以前にこれが設置されており、城バス停交換後も保管され、復帰したのではないだろうか(だから、後述の中央通りの2枚と同時に設置されたのに、色、フォント、広告の有無が違ったのではないか)。
だが、それも5年ほど経った今、
円形表示板に
次の「川反入口」は、下りは前述の通り大型バスロケで共用。
上りはポールが乱立(循環バスとリムジンバスも)し、かつては共用タイプもあったが、2018年10月の交通公社前からの改称時に円形に交換済み。細い棒2本の珍しい支柱。
一方通行の中央通りへ入ると、「中通一丁目」と「中通二丁目」。中通二丁目に羽後交通がある以外は同じなのでまとめて。(以降、買物広場と駅西口は変更なしなので略)
バスロケもどきと、城→共用があった。
(いずれも再掲)
社紋なし、ローマ字が上、太いスーラをやや扁平にし、下に広告という、共用タイプながら独特の間延びしたデザイン。
それも5年で、交換。
ローマ字の「一丁目」は、最近(2016年の泉八橋環状線で初確認)の中央交通がこだわる(?)「ITCHOME」表記。
今回交換された他の円形表示板と同じ配置で、その黄色と赤の境界部分に広告を貼ったため、きゅうくつ。
広告を入れるのならば、共用タイプのほうが面積が広くて向いていたのでは。
そして、
中通二丁目、影のほうが分かりやすいかも
中通二丁目の円形表示板のポールには、相変わらず時刻表枠がない。広告と反射材の役目は果たしているのだろうが、無駄。
今回の表示板交換シリーズはこれにて完結。
※と思ったら、今回取り上げた区間の外側、大川反方面でも表示板が交換されていたので、後日また。
※今回の交換対象外だったが、番外編として県立体育館前。
西中、運輸支局、市立病院西は、言われてみたらたしかに記憶があります。
運輸支局や市立病院西など、交換後は中通一丁目・二丁目のような円形+広告になっているのもありますね。運輸支局はいったん広告なしの円形の時期があったようですが。
西中前は今は広告なしの円形ですが、おそらく市営バス時代のナール再登板。大町二丁目の共用と同じく、保管しておいたのでしょうか。
ということは、最初は広告を入れるためのバス停表示板として城バス停を作ったものの、何らかの理由で廃止したことになりそうです。
○土崎郵便局前(上り)【スポンサー忘れた】
○自衛隊入口(下り・新国道側)【土崎カトリック教会】
○運輸支局入口(上り)【わたなべ眼科医院入口】
○西中学校前(下り)【福祉健康新屋温泉】
○市立病院西口(下り)【やさしい手秋田前】
○仁井田小学校入口(上り)【おのば眼科入口】
○南団地(下り)【須藤医院入口】
○県庁第二庁舎前(上り)【山王病院(現・山王胃腸科)前】
も確か城デザインだったかなと推測します。