秋田市茨島(ばらじま)二丁目と三丁目の境、秋田県道56号。
茨島交差点方向を背に、南・秋田大橋方向
この風景の中にあったものが、2024年9月17日から24日の間に消えた。
北方向。現在
↑新屋線のバスは、小田急中古・1996年製の三菱ふそうエアロミディ。まとまって移籍した(2009年頃とのこと)が、しぶとく残る最後の1台か。
7月下旬
茨島交差点から370メートル、秋田大橋北詰から1キロほどの地点にあった、道路両端から道路上空をまたいで設置されていた、ゲート型の標識柱が撤去された。
このような道路標識の設置方法は、国土交通省「道路標識設置基準」では「門型式」とされている。国交省の他の資料では「オーバーヘッド式」と併記。その他、国交省や秋田県を含む地方自治体、高速道路会社などのサイトでは「門型標識」と称することも多い。
設置されていた道路標識は、
南面
自転車及び歩行者専用=自転車歩道通行可(柱に設置)、バス優先、50km/h制限、中央線
北面
自転車歩道通行可(柱に設置)、50km/h制限、中央線
標識は、いずれも秋田県公安委員会(秋田県警察本部)管轄。ゲート自体も、道路管理者ではなく警察の管理だったようで、今回の撤去工事は、県警から発注されていた【4日補足・工事名称は「門型大型標識撤去工事」】。
あまり存在意義がないし、サビも生じている。老朽化による安全確保と維持管理削減のため、撤去したのだろう。
一方で、県道28号の手形のリバーシブルレーン(中央線変移システム。1991年4月5日~2010年7月28日)用だった門型標識は、一部は撤去されたものの、今も残るものがある(片方は信号柱として使用、片方はほぼ無用)。管轄の違い(こちらは道路管理者も関わるかも?)か、撤去するにも費用はかかるからか。今回の撤去は約500万円。
茨島の門型標識は、手形よりも古い。ここが建設省管轄の国道7号だった頃からあるはず(県移管は2004年)。
構造も異なる。2本のパイプからなる脚が上方で接し、その上で再び分かれるX形。
西方向
西側の民地は、工場のブロック塀。歩道端と塀の間の、草が茂る土から脚が生えていた。
東方向
東側は事業所があって、その門と若干かぶっていた。しかも、見た感じ、民地側を侵略しているように見えなくもなかった。
そして、上の写真の通り、撤去の少し前(遅くとも7月下旬、5月時点ではまだ)に、脚の周りが掘り起こされて、土のうが押しこめられていた。

東側は門の開閉に支障があったのでは【10日補足・裏側にも道路と出入口があるようで、県道側は使っていなかったのかも】
設置時期のヒントかもしれない情報。
南向きの、色あせた自転車及び歩行者専用の裏面。当時は、裏面に納入時期などを直接印字することがあったようで、
「昭和54年12月」
45年前、1979年末。ちなみに、今回の撤去工事を請け負ったのも、この業者だった。
撤去された茨島歩道橋(関連記事)から、廃止(実質経路変更)された卸町経由新屋線を写した写真に、門型標識が写りこんでいた。
(再掲)あまり目立たないようにも見えるけれど
一直線で単調な道路のアクセントではあった。なくなったら殺風景。

【11月6日追記】11月6日に、西側の歩道部分で工事が行われていた。脚が生えていた穴を埋めるのだろうか。東側はそのまま。
11月26日には、西側は脚の跡が完全撤去されて埋め戻された状態。東側で工事が行われていた。

この風景の中にあったものが、2024年9月17日から24日の間に消えた。

↑新屋線のバスは、小田急中古・1996年製の三菱ふそうエアロミディ。まとまって移籍した(2009年頃とのこと)が、しぶとく残る最後の1台か。

茨島交差点から370メートル、秋田大橋北詰から1キロほどの地点にあった、道路両端から道路上空をまたいで設置されていた、ゲート型の標識柱が撤去された。
このような道路標識の設置方法は、国土交通省「道路標識設置基準」では「門型式」とされている。国交省の他の資料では「オーバーヘッド式」と併記。その他、国交省や秋田県を含む地方自治体、高速道路会社などのサイトでは「門型標識」と称することも多い。
設置されていた道路標識は、

自転車及び歩行者専用=自転車歩道通行可(柱に設置)、バス優先、50km/h制限、中央線

自転車歩道通行可(柱に設置)、50km/h制限、中央線
標識は、いずれも秋田県公安委員会(秋田県警察本部)管轄。ゲート自体も、道路管理者ではなく警察の管理だったようで、今回の撤去工事は、県警から発注されていた【4日補足・工事名称は「門型大型標識撤去工事」】。
あまり存在意義がないし、サビも生じている。老朽化による安全確保と維持管理削減のため、撤去したのだろう。
一方で、県道28号の手形のリバーシブルレーン(中央線変移システム。1991年4月5日~2010年7月28日)用だった門型標識は、一部は撤去されたものの、今も残るものがある(片方は信号柱として使用、片方はほぼ無用)。管轄の違い(こちらは道路管理者も関わるかも?)か、撤去するにも費用はかかるからか。今回の撤去は約500万円。
茨島の門型標識は、手形よりも古い。ここが建設省管轄の国道7号だった頃からあるはず(県移管は2004年)。
構造も異なる。2本のパイプからなる脚が上方で接し、その上で再び分かれるX形。

西側の民地は、工場のブロック塀。歩道端と塀の間の、草が茂る土から脚が生えていた。

東側は事業所があって、その門と若干かぶっていた。しかも、見た感じ、民地側を侵略しているように見えなくもなかった。
そして、上の写真の通り、撤去の少し前(遅くとも7月下旬、5月時点ではまだ)に、脚の周りが掘り起こされて、土のうが押しこめられていた。


設置時期のヒントかもしれない情報。
南向きの、色あせた自転車及び歩行者専用の裏面。当時は、裏面に納入時期などを直接印字することがあったようで、

45年前、1979年末。ちなみに、今回の撤去工事を請け負ったのも、この業者だった。
撤去された茨島歩道橋(関連記事)から、廃止(実質経路変更)された卸町経由新屋線を写した写真に、門型標識が写りこんでいた。

一直線で単調な道路のアクセントではあった。なくなったら殺風景。

【11月6日追記】11月6日に、西側の歩道部分で工事が行われていた。脚が生えていた穴を埋めるのだろうか。東側はそのまま。
11月26日には、西側は脚の跡が完全撤去されて埋め戻された状態。東側で工事が行われていた。
確かに全国ではまだ使ってる(コナンのエンディングでは新型可変が見えます)可変を駆逐してしまったため、使う意義がなくなったのもわかります。
ここも長期的に動いてなかった可変標識がありましたし。
87年の車載を見てると40キロがついてましたから速度改定で動かすのをやめた感もあります。
なんであれ国道の象徴という威圧感で県外にはまだあるのがなくなるのは嫌なもんがあります。
500万円かける妥当性については、何とも言えません。
廃材は処理費用がかってしまうのか、それとも売却益があるのかにもよりますが。
いつも通行しますが以前より何故この部分は最高速度50キロなんでしょうか?
新屋から橋を渡り競走始めるし...
茨島交差点からも同様で40キロで充分でしょう(^^)
不思議です。
国道時代からの名残りなのでしょうかね。
県道になっても交通量は多く、商業施設への出入り、工場に出入りするトラックもあって、運転には気を使う道だと思います。
いわゆる新国道は土崎から茨島交差点までは40キロ制限ですが以外と知らないドライバーが多く朝は競走常態化してます。
茨島から旭南側は、拡張の計画があるようですので、そうなれば、速度制限も車の流れも変わっていくのでしょう。
新聞では88年に7号線の引き上げをやったとあり、50キロに滝の丸〜茨島までが引き上げ、一部は追い越し規制も緩和に。
交通量によって上げたようであります。
旧秋田大橋など渋滞も発生していました。
それらと比べると、今はスムーズに流れてはいるでしょうね。