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旧道神田線 補足

2019-10-13 23:47:27 | 秋田市営バス
2019年9月末で系統廃止された、秋田市外旭川地区の旧道を通る神田線の続き。今回は前回の補足として、主に古い写真を。
廃止区間のうち、神田と水口のそれぞれ上り側には、市営バス時代に設置された初代バス接近表示対応だった電照式ポールが残っていた。前回は大写しは水口だけにしてしまっていたので、
2019年9月の神田。右下は10月以降も残る笹岡線(予約式)の“タク停
水口では2面が異様に黒くすすけたように汚れていたが、神田はそうなっていない。ただ、白いプラスチック板が割れて欠けたり、バス停名の黄緑の地色がくすんだり(さえぎるものがないためか、水口のきれいな面よりは劣化が激しい)してしまっている。
「市営バス」を隠すために貼られた「秋田中央交通」のシールの文字さえも薄れており、時の流れを見せつけられる。1981年頃(※)設置とすれば37年以上経ち、2005年春の移管からも14年半。
【15日補足】※初代バスロケが1981年設置というのは、12月末の試験運用を指しているようだ。試験はたしか新屋線で行われたので、神田線はそれよりは多少後の設置だと思われる。でも35年は経っているだろう。
ちなみに、2004年2月の同じ面。
緑が濃い!【15日補足・それでも設置当初よりはだいぶくすんでぼやけて見える】
市営バスと中央交通が併記されているのは、ノースアジア大学行き(今秋廃止時点では東口行き)が、神田線本体より先に移管されていたため。「市営(市章)バス」の表示は、設置時点からのオリジナル。
下の枠部分には、初代バスロケーションシステムのメーカー(ポール全体でなく接近表示部分という意味か?)である「新潟通信機株式会社」の銘板が付いているのだが、この時点でかなり薄れている。なお、2代目バスロケはNEC移動通信。

廃止時の周辺。上屋も電話ボックスもなくなり、バスロケも今は撤去、ポストとタク停が残るのみ

再び水口。
廃止時
初代バスロケの上りバス停の向かい側に立派な蔵がある。

2002年5月。市営バス単独だった頃
蔵の隣が酒店だった。
それは覚えていたが、写真を見たら蔵の真ん前に下りバス停のポールが置かれている。そばの立て看板は標語。
かつては上下向き合って設置されていたのが、2000年代以降に下りが秋田駅寄りに数軒分移動していたのだった。そしてその頃、酒屋さんがやめたことになる。


行ったり来たりしますが、笹岡入口。
2002年5月。左が上り側。右の電柱の奥に下り
廃止時と配置は同じ。下り側は表示板も社名以外は同じ。
前回の通り、上り側すぐに小屋があって、これは待合所ではなくゴミ置き場。そしてそのポール。
支柱は新しいが、表示板は手書き
向かい側は自転車屋さんがあった。そういえばそうだ。
1971年の地形図によれば、この辺りに交番(当時は派出所)もしくは駐在所があることになっている(1985年の地形図では卸売市場近くの現在の外旭川交番の位置)。【15日補足・コメントによればここにあった当時は駐在所だったとのこと。】

上の写真の先を右へ曲がると、外旭川中学校、旧・神田笹岡線のルートへ。少し進んだ所には、
「降車専用」
移管と前後して廃止されたがこんなバス停もあった。さらに、左奥・白い軽トラが走っている付近にもポールが立っている。それは曲がる前とは別の「笹岡入口」だったと思われる。

元々の笹岡線は、秋田駅ではなく笹岡入口発着だった。推測だが、その頃は曲がる前の神田線用の笹岡入口は使わず、こちら側のバス停を待機~始発/終点=降車専用としていたのかもしれない。秋田駅方面と神田線を乗り継ぐ人がいたとすれば、分かりにくいし歩かされるけど…
1988年に笹岡線が秋田駅まで延長されて神田笹岡線になった後も、以前の名残りと利便性のため、しばらく廃止されなかったということではないだろうか。

写真では判断できないし記憶もないのでこれも推測だが、その左奥の笹岡線用笹岡入口は、英字入りナールの表示板だった→笹岡線用笹岡入口廃止時に、手書きだった神田線本体上り笹岡入口の置き換えとして移設、今回の廃止まで使われたのではないだろうか。



さて、旧道区間と分かれて、吉学寺入口からバイパスへ出て進もう。
地理院地図に加筆
バス停は、八柳二丁目-卸売市場入口-八柳三丁目-外旭川病院前と一直線(赤い線)。
現在の路線は、病院前を右折して、系統名の由来である旭野団地、そして外旭川市営住宅、秋田厚生医療センター。
9月で廃止された神田土崎線は、病院前を左折・すぐに右折して奥羽本線と草生津川を渡って進んでいく。(地図下側の緑色の線)

昭和末の地形図とおぼろげな記憶によれば、当時は卸売市場入口・外旭川交番の交差点から先は、道自体が存在しなかった。
当時は、今でいうと卸売市場入口の交差点を左折(左前方)して狭い道へ入ると、奥羽本線の踏切まで一直線(地形図の黒い線)。今は外旭川アンパスの県道により分断されてしまったが、当時はなかったので支障なし。そのルートを通るしかなかった。

全バス停名が掲載されている1988年春改正のポケット時刻表を見ると、現在の八柳二丁目~外旭川病院前に対応する区間は、八柳一区-卸売市場入口-八柳二区。【15日「鳥谷場」バス停を見落としていたので訂正します】八柳二丁目~旭野団地に対応する区間は、八柳一区-卸売市場入口-八柳二区-鳥谷場-旭野団地。
八柳の改称は、住居表示実施(1997年)による対応。八柳二区は以前とは位置が違ったと考えられる。旭野団地系統設定前には、八柳二区止まりの系統が存在したこともあった。
旭野団地系統は1988年で既に運行されており、今よりも少し遠回りしていたはず。
外旭川病院は1983年【14日訂正】1988年10月の開業なので、同年春の時刻表にバス停があるわけがないが、開院後に、既存バス停の改称でなく新たに増設されたことになる。【14日補足・道路開通と病院開院の前後が不明だが、もしかしたら外旭川病院前も、当初は今と位置が違った可能性もある。】
【15日見落とし分の追記】鳥谷場は神田土崎線のバス停として、今年9月まで存在した(詳細は後日)。コメントでも教えていただいたように、現在とは位置が少し違っている。

外旭川病院前から先、将軍野を経て土崎駅まで行く、今回廃止された神田土崎線については、いずれまた

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5 コメント

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Unknown (FMEN)
2019-10-14 21:00:18
おお!降車専用と酒屋が!
これです。
さらに先のは天徳院前だったような。
以前書いたお坊さんの絵が描かれた店がその酒屋でした。
あれは一体なんだったのかとおもいましたが、ここでは見えませんね。
さらにそのコメで書いた秋田市全避難場所リストが自転車屋の近くにありましたが、今は司法書士事務所になってます。
返信する
記憶があいまいですが (神田線沿線住民)
2019-10-14 23:16:48
笹岡入口の下りバス停は、笹岡線が神田笹岡線になる前は、上り側とほぼ同位置の自転車屋があった付近(末期よりも神田寄り)にありました。直通化に際し角度的に笹岡側へ向かいづらいため、というのが理由だったような気がします。
なお、外旭川交番は平成初期(平成10年頃?)に格上げになったので、笹岡入口付近にあった時代は駐在所ですね。
笹岡線時代の笹岡入口バス停は、ちょうど外旭川小学校のグランドから至近であったことから、飯島南小学校に分割される前のサンパークや四ツ谷地区の小学生がよくここで乗り降りしていましたよ。スクールバス的な意味合いもあったと思います。
(そういえば登下校時間にバスダイヤが合っていたような)

八柳二区のバス停は、これまた記憶があいまいですが、旧道側の歯科付近にあったような気がします。
また、八柳二区から土崎寄りの次の停留所は鳥屋場でした。外旭川病院へ向かう丁字路を曲がってすぐのあたりにバス停があったはずです。
外旭川病院前のバス停は、確か今の経路になった時に新設されたような気がしたのですが…(これははっきり覚えていません)

あと、水口の酒屋さんに描かれていた絵、たしか日本酒のキャラだったような気がします。雰囲気的には、五城目の福禄寿の仙人っぽかったような…

あいまいなことばかりで申し訳ありません。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2019-10-15 22:20:46
>FMENさん
外旭川中に曲がる押しボタン信号のところが「天徳院前」ですね。https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/6c330e09aa3ca02d4da7ba7b16a2cd87
天徳院ニュータウンが由来のようですが、天徳寺はあるけれど天徳院というお寺などありません。「吉学寺」と似ています。

酒屋は酒屋があるなとしか認識しておらず、写真も記憶もこれだけです。もっと早くストリートビューがあれば…と感じてしまいますね。

>神田線沿線住民さん
あいまいでも、地元の方からの補足はありがたいです。憶測よりは確実でしょう。
本線側の笹岡入口が以前そうだったということは、やはりかつては笹岡線は独自の笹岡入口を使っていたのでしょうね。外旭川小の正面からは遠いと思っていましたが、学校脇からだといくらか近いですね。

八柳二区は、バイバス側の現在地と比較しても納得の場所です。
ポケット時刻表で鳥谷場を見落としていました。
八柳二区-鳥谷場-旭野団地の順になっていますから、今年9月までの鳥谷場とは場所が変わっていることになり、ご指摘とつじつまが合います。
外旭川病院は、旭野団地で乗降してもさほど遠くなく、開院当初は病院前がなかったのかもしれないですね。
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鳥谷場の補足 (神田線沿線住民)
2019-10-17 23:41:43
だんだん思い出してきました。
鳥谷場バス停ですが、本来の神田線(末期の神田土崎線)は、9月まで置かれていた場所と同じところにありました。つまり土崎方面へ向かう鳥谷場バス停は、かなり昔から変わらずでした。
先日投稿した丁字路を曲がってすぐのところにあったバス停は旭野団地発止が該当するもので、土崎方面の場合は本来通過していたはずです。
(ただし昔の通町二区のように、神田線や添川線にとっては本来停留所ではなくても、運転士判断で便宜乗車させていた記憶があります)
旭野経由やそれ以前の市場構内経由では、通し乗車をして経由地方面へ向かうと運賃が一気に上がり、本経路に戻るとまた運賃が下がったりと、デジタル表示がなかなか面白い動作をしていたことが思い出されます。
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なかなか複雑 (taic02)
2019-10-18 20:47:36
少々ややこしいというか複雑な配置だったのですね。
元祖鳥屋場は土崎線側ですから、後で旭野団地系統ができたからといって、移設するのがためらわれて、元祖を残して増設した形ですね。
行って同じ道を戻るものには、手形山西町経由の大学病院線や北部市民サービスセンター経由飯島方面がありますが、あちらは距離はあるものの運賃は変わらず。卸売市場や旭野団地は、ちょうど運賃境界(の直前?)で分岐していたため、そうなっていたのでしょう。牛島~西口~大川反車庫もそんな感じですね。
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