🌸先人に驚く(1)(天皇の埋葬他)
⛳天皇土葬化のきっかけ
☆現在、皇族方は火葬、しかし天皇・皇后は土葬
☆現在、皇族方は火葬、しかし天皇・皇后は土葬
☆天皇の土葬は約360年前の後光明天皇から連続している
☆後光明天皇は、仏教が大嫌い
*仏舎利を「怪しい仏舎利め」と庭に捨てさせた
*後光明天皇は日本は朝廷が統治するものという思想の持ち主
*朱子学の政治論に熱中し「禁中並公家諸法度」にふれる言動もあった
*朱子学の政治論に熱中し「禁中並公家諸法度」にふれる言動もあった
*幕府はこの帝の監視を強め、天皇の死亡には毒殺説が流れた
☆後光明天皇の思想は反幕・神仏分離・王政復古
*仏教嫌いの天皇を仏教式に火葬するのはいけない
*天皇を火葬にすれば天下国家に災いが起きるとし土葬にした
*後光明帝の次は弟の後西天皇も土葬とした
☆これ以後天皇の土葬が慣習化した
*江戸時代天皇ご本人の希望で土葬・火葬を決めた例もある
*江戸時代天皇ご本人の希望で土葬・火葬を決めた例もある
⛳江戸の狆(ちん)飼育
☆江戸時代の人気になったのは狆の飼育である
*江戸以前の人々は狆と犬とは別の生き物と思っていた
☆江戸時代の愛玩大の研究はほとんどない
☆江戸時代の愛玩大の研究はほとんどない
*香川大学に狛の飼育法を書いた書物があった
☆江戸時代の狛の実態は驚くべきもの
*高価な狛を国内繁殖すれば大儲けできた
*狆はあわれなほど種づけされていた
*高価な狆は、薬漬け医療で種づけ、飼育された
☆狆での近親交配の問題も起き、奇形の「子を産」んだ
⛳殿様のお世話マニュアル
☆岐阜県の岩村藩はなんでもマニュアル化した
*高価な狆は、薬漬け医療で種づけ、飼育された
☆狆での近親交配の問題も起き、奇形の「子を産」んだ
⛳殿様のお世話マニュアル
☆岐阜県の岩村藩はなんでもマニュアル化した
*殿様の身の回りの世話をする近習がマニュアル作成されていた
☆殿様のうがいと手洗いの方法が詳しく書いてあった
*近習は、殿様が起床すると、うがい道具等を整える
*朝食が済むと、またうがい
*裃を付けるときも、入念にうがいをする
☆江戸時代は上級武士ほど、お口のマナーがうるさかった
☆マニュアル(成文化された手順書)多数作られている
*日本には「型」の文化があり、国民性としてマニュアル好き
*手順にきちんと従うまじめさで成果をあげてきた国民
☆日本人、ふりつけを他に決めてもらい自分で考えなくなる
*そこのところはよく心しなければと思う
⛳江戸の食品安全基準
☆江戸時代の古文書「食物善悪書」、江戸時代の食品安全テキスト
☆最近の日本の食文化の探求「何を食べたか」の議論に偏る
⛳江戸の食品安全基準
☆江戸時代の古文書「食物善悪書」、江戸時代の食品安全テキスト
☆最近の日本の食文化の探求「何を食べたか」の議論に偏る
☆食文化は文化は禁忌の体系
*「何を食べなかったか」の研究がおろそかだ
☆徳川宗家の御当主「天魅羅はいけない」と言われた
*家康公が天魅羅で死んだ説があるから
*家康公が天魅羅で死んだ説があるから
☆筆者の家にも食の禁忌があった
*家紋が茗荷(みょうが)だから茗荷を食べてはいけない
*スモモとフグを一緒に食べてもいけない
(岡山藩にスモモとフグを食べて頓死した藩士がいたから)
☆「食物善悪書」を読むと、江戸人は、多様な食物禁忌の体系があった
*妊娠中は「ヤギの肉を食べてはいけない」等のタブー
*妊娠中は「ヤギの肉を食べてはいけない」等のタブー
(たいていは科学的根拠がない)
*食い合わせや食べてはならぬ時を定める
*食い合わせや食べてはならぬ時を定める
(食中毒や寄生虫感染を防いでいた)
*戦国武将は鷹狩りで野鳥を捕えて食べるから寄生虫でよく死んだ
*戦国武将は鷹狩りで野鳥を捕えて食べるから寄生虫でよく死んだ
☆「食物善悪書」(迷信にも幾分かの理があった)
*二日酔いには「しじみ汁、葛根湯など」効きそうなことも書いてある
*桃を食べて人浴すると淋病になる
(桃の季節は、不潔で淋菌に感染しやすいからきたもの)
(敬称略)
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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⛳出典、「歴史の愉しみ方」
先人に驚く(1)(天皇の埋葬他)
(ネットより画像引用)