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中世に神道が形成された1(神道の本質)

2022年03月16日 | 宗教
🌸中世に神道が形成された(神道の本質)

 ☆三層構造での日本精神史における神道の位置付け
 ☆第一層とし「民族的風習としての宗教」
 *自然への崇敬を込め一木一草に至るまで神意が宿る思想
 *それが八百万の神々が鎮座する神社への信仰をもたらた
 *日本人の多くが故郷の神社(氏神様)への想いを抱いて生きてきた
 ☆第二層とし天皇制との関連で形成された「神祗神道」
 *天武・持統期に律令体制の確立を目指す中で
 *「太政官」と並ぶ「神祗官」が設置され
 *「日本」という国号、「天皇」という呼称が誕生した
 *古事記、日本書紀などの「国史」の編纂が開始された
 *天皇制を権威付ける神道の萌芽である
 *神祗神道には、藤原不比等の役割が特筆される
 *不比等は国史編纂に当たり神話を創作した人物
 *「アマテラスを祖として神武を初代天皇とする天皇制の神話」
 ☆第三層(明治以後)の濃淡をどう意識するかで神道の捉え方は異なる

戦後日本の「宗教なき状況」を生きた日本人
 ☆至近にある神社神道
 *初詣、お祭りの氏神信仰と戦前期の国家神道を護持する神道
 *その違い意識することなく生きてきいる
 ☆「国家神道」が国家権力のイデオロギーとして
 *強制力を持って迫る悲劇を忘却している

神仏習合の中世(平安期の宗教史的意味)
 ☆日本の文献に「神道」の言葉が登場したのは『日本書紀』から
 *中世天皇制を支える「神明擁護」「神孫降臨」等より
 *「神国思想(神祗観)」が形成されてた
 *次第に仏教の影響が浸透し、「神仏習合」が主潮となっていった
 ☆「神仏習合」は日本だけの事象ではない
 *仏教が中央アジア、中国、朝鮮半島を経て伝来するプロセスでも
 *地域古来の神を仏菩薩の化身とすることで地域に浸透していった
 ☆日本では、空海の仏教における宇宙観(曼茶羅思想)を基点に
 *大日如来を本地とし、天照大神が観音と相対化する
 *仏教優位の神仏習合思想が定着していった

武家の体制宗教としての八幡信仰
 ☆鎌倉幕府の体制宗教の象徴は鶴岡八幡宮
 ☆源頼朝の宗教観を投影したのが鶴岡八幡宮
   *頼朝は鎌倉の地に「源氏の氏神」「幕府の守護社」八幡宮を奉じた
 ☆祭神は応神天皇、比売神、神功皇后の三座、神仏習合の典型
 *別当職などは東寺など真言密教による独占的運営がなされた
 *朝廷を中心とする体制宗教と一線を画した
 ☆八幡信仰の祭神が神武ではなく応神天皇の理由
 *八幡信仰の源流を辿るならば、大分の宇佐八幡宮に至る
 *神功皇后の新羅出兵の物語が背景となっている
 ☆宇佐八幡
 *「鎮護国家神」神功皇后と息子応神天皇を祭祀とする
 *東大寺大仏の建立において呆たした宇佐八幡の霊験
 *朝廷、仏教の篤い支持を受ける「神仏習合」の象徴的存在となる
 *称徳天皇期の「道教事件」も宇佐八幡の御託宣が重きをなした
 ☆八幡信仰こそ
 *朝廷から仏教、武士を貫く中世の「神仏習合」の中核的存在
                   (敬称略)                                     
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⛳出典、『人間と宗教』





中世に神道が形成された1(神道の本質)
(ネットより画像引用)

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