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人類ユーラシア大陸へ(農耕)4

2022年09月18日 | 歴史

🌸農耕・牧畜はいかにして広がったのか1

ヨーロッパの農耕の開始とヒトの移動
 ☆旧石器時代の始まりと終わりごろ(4万~1万4千年前)
 *中東から狩猟採集民が進出

 *独自の遺伝的な構成を持つ集団として成立した
 ☆新石器時代ヨーロッパでは農耕が始まり、第二の移住の波が訪れる
  *ヒツジやヤギといった家畜は新石器時代ころに中東から持ち込まれた

 *農耕の普及で、レバントやイランの農耕民ヨーロッパ全域に拡散する
 ☆アナトリアから来た農耕民の持つゲノム

 *在来の狩猟採集民とは大きく異なっている
 *ヨーロッパの在来集団と中東の農耕民の遺伝的な違いは大きい
 *その背景は、中東集団の遺伝的な多様性が関係している

農耕民の移動
 ☆イラン周辺の農耕民とイスラエル・ヨルダンの農耕民(肥沃な三日月地帯)

 *地域の狩猟採集民の直系の子孫でありながら遺伝子は大きく異なっていた

 ☆農耕民の人口増加にともない、相互に人的な交流も生まれ

 *互いの遺伝的な差異は時代とともに小さなものになった

 *その集団がヨーロッパに進出する集団の源流になった
 ☆アナトリアの農耕民は、ヨーロッパに直接農耕を伝える
 *アナトリアの農耕民は約90%のゲノムを狩猟採集民から受け継いでいる

 *この地域の農耕は、肥沃な三日月地帯からの農耕民ではない

 *在来の集団によって受け継がれて始まった
 ☆アナトリアの狩猟採集民

 *レバント集団とイランやコーカサス地方の集団の混合で成立

 *南ヨーロッパや中東との遺伝的なつながりを持っていた集団

 *ヨーロッパにおける農耕民と狩猟採集民の混合である

 *開始期からおよそ4000年かけて混ざり合い

 *ヨーロッパ全域の集団は、農耕民と狩猟採集民のハイブリッド集団となった

 ☆農耕民由来のゲノムの割合が高くなるという現象

 *日本列島でも起きている

 ☆大陸から農耕を携えた渡来系弥生人が流入した状況と似ている

 *結果、現在の日本人のゲノム、縄文人のゲノム最大20%位

 ☆狩猟採集民と農耕民の接触

 *農耕民の社会の中に在来の狩猟採集民が飲み込まれる形で進行する

 *これは人類社会の普遍的な現象だ

ヨーロッパヘの農耕拡散のルート
 ☆ヨーロッパヘの農耕の拡散は二つのルートを取った

 *ドナウ川沿いに大陸中央部に向かうルート

 *地中海の沿岸を進むルート

 ☆農耕拡散の初期の人骨のゲノム、狩猟採集民の影響はほとんどない

 ☆西に向かうほど狩猟採集民の遺伝的な影響が大きくなる
 ☆ヨーロッパに農耕が到達する前

 *狩猟採集民のゲノムは大きく三つに分かれていた

 *農耕集団がどの狩猟採集民からゲノムを受け取っているのか

 *調べて農耕がどのように進んだのかを推定することも可能である

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『人類の起源』

農耕・牧畜はいかに広がったのか1

(『人類の起源』記事、ネットより画像引用)


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