🌸キリスト教の東方展開(ビザンツ帝国)2
⛳キリスト教、ビザンツを基点にユーラシアに浸透した
☆ローマ教会、西ローマ帝国減亡後も
*ローマ教皇(キリスト教指導の首位権主張)
*「教皇至上主義」に立つ
☆ビザンツ教会は地域教会(総主教の合議制を重視した)
☆両協会、相互に破門状を投げつけ合う事態を迎えた
*900年以上お互いに断絶を続けた
⛳ビザンツを千年王国とした理由
☆ビザンツ史(教会)で印象深い言葉
*問うべきは、なぜ減びたかではなく、なぜ存続できたのかだ
☆ビザンツ帝国
*偏狭な軍国主義国家にならず存続した
☆ビザンツ帝国、最大の遺産
*他者をなじませて統合する魅力が、ビザンツを存続させた
*外交、キリスト教文化、芸術を通じた征服
⛳景教という視角からのキリスト教裏面史
☆エルサレムのゴルゴダの丘に立つ聖墳墓教会
☆エルサレムのゴルゴダの丘に立つ聖墳墓教会
*教会の中、カトリック系のキリスト教分派で分割管理
*ローマ・カトリツク、ギリシャ正教、
*エチオビア正教、アルメニア正教
*コプト正教、シリア正教
☆各々が「イエスの石棺」「イエスの十字架」など
*イエスに関わる聖遺物を保有
☆権威には、必ず分派が生じる
*分派の対立で、異端排除され、各々が正統性を掲げ自己主張をする
*他者の苦しみへの共感を語るキリスト教
*民族を超えて浸透するにつれて分派活動に至る
*これが人間社会の現実である
☆ローマから異端とされたネストリウス派キリスト教
☆ローマから異端とされたネストリウス派キリスト教
*ユーラシア史に異彩を放っている
*イエスの「人性」を主張、聖母マリアを「神の母」呼ぶことに反対
*コンスタンティノポリス総主教のネストリウス
(陰謀により、異端として追放された)
☆ネスリウス派
☆ネスリウス派
*小アジア、シリア、エジプト、ベルシャ、中国にまで教勢を広げた
*唐の長安に「景教」という名の景教寺院まで設立された
(敬称略)
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⛳出典、『人間と宗教』
キリスト教の東方展開(ビザンツ帝国)2
(ネットより画像引用)
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