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「山県有朋」「徴兵制」「教育勅語」「派閥」

2024年03月05日 | 歴史

🌸派閥で政治を支配した山県有朋

 

山県有朋は、軍国主義の基礎を築いた

 ☆明治政府の近代化を推し進めていくなかで

 *スローガンに掲げたのが「富国強兵」だ
 *強兵の部分に力を入れた中心人物が山県有朋

 *彼は二度の首相経験を持ち

 *政界で大きな力を有した長州出身の政治家だ
 ☆奇兵隊にも参加していた山県

 *武芸で身を立てようと考えていたようだ
 *政治に身を投じてからもその体質は変わらず

 *軍備の強化に心血を注いでいる

 ☆四国艦隊に占拠された長州軍の下関砲台事件

 *山県は必要以上に軍部の力を増大させ支配した

 

山県は軍部を意のままにした

 ☆山県が強力に推し進め、実現させたのが徴兵令
 *彼は満20歳以上の男子全員に徴兵の義務を課した
 *新たな負担を強いられる国民や

 *仕事を失う士族から反発の声が上がった

 *山県は反抗する者を弾圧して新しい日本の軍隊を作った
 ☆山県は、明治15年には「軍人勅諭」を発布させる
 *軍隊を天皇の直属とし、政府を介さずに

 *天皇から直接軍人に命令を下すことができる内容

 *天皇から参謀本部へと指令が出されるシステムが完成した
 ☆軍人勅諭は天皇の名で出されていたが

 *草案は山県の指示で彼のブレーンである西周らが作成した
 ☆勅諭では、名目上は天皇が軍隊の最高司令官

 *実際は山県が権威をかさに着て

 *軍部を自分の意のままに牛耳ろうとした

 ☆天皇は軍部の人事でさえ口をはさめなかった

 

山県は、派閥をつくり自分の勢力を伸ばす

 ☆山県は容易に人を信用しない性格だった

 ☆政党政治を嫌っていた彼は、官僚制度の拡充を図る

 *門閥や私的なつながりに左右されずに

 *試験で、官僚に取り立てるシステムを構築した
 ☆山県は、育成した官僚で周りを固め

 *自分の思い通りに政治を動かしていく

 

⛳山県は、武力と政治力の両方を手に入れる

 ☆山県は軍人政治家としては初めて首相の座についた
 *軍隊と政治の両方を掌中に収めた

 ☆伊藤博文と山県同じ長州出身で年齢も近かった
 *伊藤に比べると山県の評判は良くない

 *現代に至るまで山県の人気は低い
 ☆山県は、国葬になったにもかかわらず

 *彼の葬儀に訪れた一般人はほとんどいなかった
 ☆山県は、官僚や軍人を中心にして

 *自分の息がかかった者を重用し

 *「山県閥」ともいわれる一大派閥をつくり上げた

 *政界に対し大きな影響力を持ち続けた
 *表面的には大きな求心力を持った偉大な政治家だった

                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』
 
 
 
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