🌸ロシア皇太子に斬りかっかた津田三蔵
⛳津田三蔵、海外の要人めがけて斬りかかる
☆来日中のロシア皇太子ニコライが襲われて負傷する事件
*「大津事件」で犯人は津田三蔵
*ニコライ一行が通過する沿道を警備していた巡査の一人
☆津田の胸中にはロシアへのどす黒い思いが渦巻いていた
*ロシアの皇太子、天皇に謁見する前に各地を見物したり
*誇りある西南戦争の記念碑に目もくれないなど
*皇太子らは礼儀を欠いていると思っていた
*ロシア、日本侵略をもくろんでいるのではとの
*彼が疑心暗鬼に陥っていた
☆西南戦争に官軍側で参加した津田は勲七等を受けていた
*西郷の帰還で勲章を取り上げられることに脅えていた
*不安や恐怖が津田を突き動かし、テロ行為に走らせた
☆ニコライに斬りかかった津田はその場で取り押さえられた
*事件の首謀者が逮捕されたことで一件落着でなかった
☆ここから大津事件のクライマックスが始まる
*彼の量刑をめぐって政府と司法界が
*全面対決をするという、事態に発展していった
⛳「大津事件」は、外交問題と司法の問題を起こす
☆国賓に深手を負わせたことで政府内は騒然とした
*ロシアは世界最強と謳われる陸軍を有する大国だ
*怒りに任せて攻め込まれたら日本は太刀打ちできない
☆政府は津田に、皇族に危害を加えた場合に適用される
*皇室罪を用いることを決定する
*未遂であっても極刑を宣告できるので
*猛反発したのが大審院院長の児島惟謙
(皇室罪の場合大審院でしか裁くことができない)
*児島は「普通の殺人未遂罪として扱うべきだ」と主張
☆政府は「国家と法律のどちらが大事か」と児島に強く迫った
*彼は「司法は独立した存在であり」と突っぱねた
☆実際に判決を下すのは裁判官だ
*政府と児島はそれぞれ彼らの説得に奔走した
*結局、津田は司法で、謀殺未遂の罪で無期懲役の判決
⛳「政府VS司法」は、法治国家の基礎をつくる
☆大津事件の裁判は日本の裁判史上で大きな意味を持つ
*日本は列強諸国から未熟な存在だと見なされ
*政治的圧力に屈しない判決を出したことで
*れきっとした法治国家だと証明することができた
☆懸念していたロシアの反応も
*日本の法律に則って裁かれたので満足とのこと
*事件から3年後に不平等条約の改正にも成功している
☆かたくなに政治の介入を拒んだ児島
*のちに″護法の神″と呼ばれるようになった
☆事件を起こした津田は北海道の釧路に収監された
*判決から約4ヵ月後に肺炎で死亡した
☆彼が起こした事件は許されるものではないが
*津田は法治国家の礎を築く影の立役者になった
「津田三蔵」「大津事件」「政府VS司法」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)
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