慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『歎異抄』がいま熟読される理由

2021年08月22日 | 宗教
🌸『歎異抄』がいま熟読される理由

 ☆司馬遼太郎や五木寛之も心酔
 ☆親鸞は「自力」で頑張らずに「他力本願」を説いた
 ☆その「他力」とは、阿弥陀如来の本願力

戦地へも無人島へも持参するならこの一冊『歎異抄』
 ☆『歎異抄』が静かなブームになっている
 ☆司馬遼太郎は
 *召集されて戦地に赴いたときも『歎異抄』を肌身離さず持ち歩き
 *後に「もし無人島に1冊の本を持参するなら『歎異抄』」と答えている
 ☆五木寛之は
 *小説『親鸞』で親鸞の生涯と教えに追った
 *主観的解釈だがと断ったうえで、魅了された理由を赤裸に語る

『歎異抄』とは
 ☆「歎異」とは「異を歎く」という意味
 *親鸞なきあと親鸞の教えが広まったが
 *異端を説くものが多く現れて混乱を招く
 ☆弟子の唯円が親鸞の正しい教えを広めるために書いたもの
 ☆『歎異抄』の危うさに気付いた蓮如上人
 *浄土真宗の大切な教本と尊重したが
 *「仏法の理解の浅い人に読ませてはならぬ」と禁書扱いにした
 *近代まで危険な書として封印されていた
 *一般に知られるようになったのは、明治維新から

⛳親鸞の他力と法然の「他力」
 ☆『教行信証』の中で親鸞は「他力本願」を説いている
 ☆一般的に「他力本願」は、人任せの意味で使われている
 ☆仏教でいう「他力」は安易な他人依存とは違う
 *「他力」というは阿弥陀如来の本願力
 ☆阿弥陀如来(弥陀)は全ての人を救うという誓いを立て
 *厳しい修行の下に悟りを得た仏
 *この誓いを弥陀の本願
 ☆仏教の「他力」とは弥陀の本願力で弥陀の力

⛳親鸞は、人間は悪人だという
 ☆弥陀はその悪人を救済すると誓われている
 ☆「悪人正機(人間が悟りを得る)」とは
 *悪人こそが弥陀の救いの対象なのだ
 ☆悪人ではない善人とは
 *自力におぼれている人で弥陀に全てを任すことができず
 *自分の力で幸せになろうとする人
 *自らの善を誇って自分の欺瞞や邪見に気づかず
 *「他力をたのむ」心が欠けている善人のこと
 *親鸞は「自力作善」の人といって戒めている

⛳親鸞が説く「悪人正機」の神髄
 ☆「悪人正機」の真の意味を理解しようとするときに
 *親鸞が暴いた人間の本質と、社会の本質に向き合う
 ☆自分の「善」を他人に押し付けてはいけない
 ☆善人は自らの善を誇り、他力にたのむ心が欠けている
 *善人が自力で生きているうちは、弥陀に救済されない
 *他力を拠りどころにして生きる悪人こそ救済される

『歎異抄』の最大の誤解
 ☆「南無阿弥陀仏」と唱えていれば救われるという解釈
 ☆『歎異抄』の念仏の意味
 *人間に生まれて良かったと喜べる幸せに救われた人
 *感謝の心から唱えずにいられなくなるもの
 ☆悪いことをしても、ただ念仏さえ唱えていたら極楽に行ける
 *都合の良い教えだと誤解している人が多い
 ☆法然も弟子の親鸞も他力を説いた
 *親鸞の他力は絶対他力
 *法然の説いた「他力」は念仏を唱える専修念仏
 *親鸞は念仏さえも、他力本願がそうさせるのだと説いた

「自力」に拘らず「他力」を信じて生きる意義を説く
 ☆私たちは様々な願いを持ち、その願いに従って生きている
 *各自の立場を中心にした願いである
 *互いの立場がぶつかると衝突する
 *親鸞が「他力」を拠りどころで生きるということではない
 ☆自分の願いから最も遠いものが弥陀の本願である
 *自力を捨て、自分の立場を捨てる
 *親鸞の「自力」
 (捨てよというのは「自分の力」ではない「自力の心」)
 ☆自分の勝手な主張や自尊心を捨て、「他力」に感謝して生きること
                    (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS8月』ネット他




『歎異抄』がいま熟読される理由
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 行列に割り込む2(ダフ屋・... | トップ | アフリカで日本企業は市場を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教」カテゴリの最新記事