麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

赤シャツ

2008年11月15日 | 鑑賞
 青年座が、紀伊國屋ホールで1ヶ月にわたって、マキノノゾミの3部作を上演するという“無鉄砲”な企画の2本目『赤シャツ』を観た。

 【文中敬称略】

 ご存知・夏目漱石の『坊っちゃん』に登場する「敵役」=教頭の赤シャツを主人公に据えた2001年初演の作品。
 だから舞台は、日清戦争に勝利した明治38年の、道後温泉で有名な松山だ。

 昨今、人気ドラマの脇役を主人公にした作品群が「スピンオフ」と言われて、なかなかの人気だけれど・・・この作品もそのカテゴリーの、しかも優れた「スピンオフ」の一編と言えるでしょう。

 さて。冒頭“無鉄砲”と書いたのは、少ないとは思いますが知らない方のためにあえて書けば、『坊っちゃん』の主人公の、一等最初に出てくる性格で。。。

 【親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る】

。。。という書き出しで小説は始まります。

 劇中、赤シャツ(横堀悦夫)も、舞台には登場しない彼のことを何度もそう評するのだけれど(ただし開演前の挨拶をはじめ劇中も声だけは登場します!)。
 つまり、決して青年座のこの企画が、本当に無鉄砲だと思っているわけではないのです

 ついついこんな余計をしでかし“角が立つ”ことを嫌う習性の僕は、坊っちゃんより、まさに赤シャツだ。

 と、僕同様に思う観客もまた多いことが、この作品の核であったりするのである。

 漱石の『坊っちゃん』が描くエピソードのことごとくを「赤シャツ目線」で捕らえ、しかもマキノ流のアレンジが見事に加わったストーリーに、観客は、時に少々の矛盾を感じつつも納得し、今の日本を見据えたメッセージを感じ取り、ラストの赤シャツと小鈴(野々村のん)の2人に絞り込まれる照明のように、心に染みさせてカーテンコールを迎えることになる。

                  
 いやぁ~この小鈴を演じた野々村のんが、も~サイコーに素晴らしく芝居を引き締めてくれている

 教師(しかも教頭)とは身分違いの芸者という役得もあるのだけけど、微妙な女心を、細かな演技で、しかもあざとくなく、可愛らしさとともに客席に届けるのは、ある意味で“円熟”とも言える「野々村節」の域だ。

 勿論、赤シャツの横堀、彼の家の下女・ウシの今井和子らも素敵だったけれど・・・元のお話に縛られて、現代の日本を照射するというコンセプトはいいのだけれど、一つひとつのエピソードに少々面白さが欠けた恨みのある『赤シャツ』での、野々村の存在感は圧巻だ

                  

 そうそう。
 11/5付けの弊ブログで、この三部作が、上演順でなく、時代順でもなく『フユヒコ』『赤シャツ』『MOTHER』と並べた“青年座の狙いやいかに?”と書いたが、今書いた若干の恨みを含めて、この作品の“柄”を考えると、渋い働きをする2番バッターという印象を受ける。
 それでこの位置に来たのかと勝手に思った。

 11/12(水)~18(火)紀伊國屋ホール
 演出は宮田慶子。
コメント
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