あの日僕は友人の出演する舞台を
妻と一緒に観るため下北沢にいた。
向かう電車では知人と会った。
「夜、東演観るんだけど、せっかくだから
シモキタで買物したり食事も楽しんで」と。
彼女たちは北九州からはるばる。
バッチョの出る芝居は開演間際に揺れ、
一度劇場から待避、暫くして再入場。
しかし、また大きく軋んで中止になった。
その駅前劇場をあとにして
歩いて数分の本多劇場に移動した。
『ハムレット』のキャスト・スタッフが
呆然と非常口やロビーにいた。
特に、演出のベリャコーヴッチはじめ
地震に慣れていないロシア人達は蒼白。
そんな中。
制作部長は「誰も来なくても幕は開ける」と。
夜に初日を迎える舞台の、
事務所番のバイトを約束していたので、
駅から15分ほどある劇団事務所まで歩いた。
途中。
ゲームセンターとクレープ屋のあるビルの
モニターに信じられない光景を見た。
冒頭の知人を含め、昼には下北沢にいた者等、
二十人ほどの観客で『ハムレット』は上演。
事務所の電話は基本鳴らなかったが、
時折繋がったりして、都度対応。
「電車停まったのでキャンセル」
「明日は公演ありますか」
思えばまだ震災の全貌を皆が知らなかった。
2011年3月11日。
「重」い時間が流れている。
いまだ仮設「住」宅で暮らす人々。
苦「渋」の選択で故郷を離れた人々。
遅々たる政策に「従」わずをえない、
まるで「充」たされない「十」年。
事務所番を終えて、妻と徒歩で
数時間かけて帰宅した。
東北はもちろん多くの街が大変だった
あの日・・・
2021年3月11日。
祈りの一日、忘れない一日、考える一日。