タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

重い課題

2011年12月14日 | 日々雑感
 トリカノのママが脳梗塞で倒れて1ヶ月が過ぎました。容態は低いレベルで安定しているようです。

 このままの状態が続けばいまの病院にはいられないとか。だからと言って家庭で看護することは不可能です。残された手段はどこかの施設に入ることですが、その場合は今の状態では受け入れてもらえないのです。

 受け入れてもらえる条件は「胃ろう」の手術を済ませておくこと、と言うことのようです。

          画像はネットより借用

 「胃ろう」とはご存知の人も多いでしょうが、画像のように内視鏡を使っておなかのなかに小さな口をつくり、直接胃に栄養を入れる栄養投与の方法です。トリカノのママのように口から栄養が取れない人や、取れても誤飲することが多い人に対して行われる手術、と言うことです。

 その「胃ろう」の手術をトリカノのママがきょう受けます。当初の予定は昨日でしたが、病院側の都合で急遽きょうに変更になりました。そのため私たちは対応できなくなって手術には立ち会うことは出来ません。

       

 よく耳にすることですが「胃ろう」の手術をすると入院生活が長期化することがあるようです。そのためタカカノの弟もその手術には否定的な考えを持っていました。

 しかし、当初予想していなかったことで「胃ろう」の手術と向き合うことになりました。

 今の状態では病人でありながら病院にいることが出来ない。どこかの施設に移ろうとすれば「胃ろう」の手術を受けていないと受け入れてもらえない。

 タカ長がもしこのような状態になっていたら「胃ろう」の手術など行わないで、衰弱して死を待てばよいと思っていました。しかし、詳しい事情は分かりませんが、いまの医療制度ではそのような選択は許されないのでは、とタカカノのママのことを見ながら感じています。

 望みもしないチューブにつながれて、回復して社会復帰できる望みも無く、ただ死なないで息だけしている状態が患者にとって、そしてその家族にとって幸せなことなのでしょうか?

 病気を治すことは出来なくても生きさせておくことは出来る。そのために使われる膨大な医療費。その国民医療費の総額は天文学的な数字になり、いまでは40兆円レベルになっているはずです。その何割かは患者を死なさないでおくための医療費なのです。タカ長にはそれ以上のコメントは出来ませんが、、、、、、。

 回復させることは出来なくてもただ生かせておくだけの医療。

 何も出来なくなって、家族との意思疎通さえ出来ないでただ寝ているだけの命。

 医療とは、命とはいったい何なのでしょうか?

 高齢化社会を生きる私たち一人ひとりに問いかけられている重い課題です。