今日の画像はネットから借用した伯耆大山の雪山画像です。
この冬になって最大級の寒波がやって来て、広島県の北部にも雪崩注意報が出たようです。
積雪的にはやっと冬になったような気がしますが、わが裏山の積雪はほとんどゼロのはずです。
若いころは、雪が降ったら元気になったタカ長ですが、、、、、いまは「炬燵の番」を決めこんでいます。
そのような天気と関係あるのかないのか分かりませんが、久しぶりに串田孫一の本を取り出してみました。
青春のころよく読んだ本で、そのころ買った本は本箱の中で変色しています。
そのため、ヤマケイ文庫で出版されたものを買ったわけです。
串田孫一の本には大きな影響を受けていると自分でも感じていますが、この「若き日の山」にも、いまでも記憶に残っている一節があります。
当然のこととは言え、思うようには彩られなかった私の過去は既に重く、また重きが故に振り返る。遥かなる夕映えの中に、もう希望のみの踊る幻影は見つけにくく、ただそこには去って行ったものの空しさとそれを眺めようとする悲しい追憶があるばかりだ。
私はそれではいけないことを知っている。あの氷の山頂に立って、私はただ振り返ることを奪われた一つの動物のように、前に向かって力いっぱい踏張っていたい。よろめく私をささえるものは私以外にないことを知っている筈ではないか。
遠く続く、確かにこの足許から続く純白の山なみや雪原に、私の未来の起伏を感じよう。それは私にとって、今を遅らせればもう再び訪れることのない孤独な洗礼である。
神のない孤独な洗礼。鋭い針のように痛い風と雪との試練のあとに、自ら迎える、洗礼である。
引用が長くなって恐縮ですが、、、、「孤独な洗礼」と題されたこの一文を何度も何度も読みこんだものです。
タカ長の雪山経験は伯耆大山だけでした。そこには人さまに誇れるような登攀はありません。しかし、、、、
幸か不幸か、タカ長たちが伯耆大山の雪山に挑んだ日はいつも風雪でした。
この主稜を何度も縦走しましたが、いつも風雪、、、、残念ながらこのように晴れた日に大山の山頂部にいたことはありません。
ラジオの気象通報を聴きながら、自分なりの天気図を書き、、、、
その天気図から、明日の午前中はこのような太陽の下を登れるチャンスをゲットしたのですが、、、、、
雪山でのテント生活の技能未熟で、朝の出発に手間取り、、、、
6合目を過ぎるころから風が強くなり、8合目を登るころからガスがまいてきて、山頂に着いた頃は白一色の世界、、、、
自分の書いた天気図で絶好の登頂日和を予知しながら、そのチャンスをみすみす逃してしまった悔しさは今でも忘れられません。
その冬の大山に初めて登ったのは、、、、もちろん、ベテランの先輩に連れられてのことですが、、、、
その時の山頂もひどい状況で、無事に下山できたのが信じられないようでした。
やっとのことで下山して、大山寺から暮れゆく大山を見上げた時、無性に涙が流れ出たことも忘れていません。
タカ長はタカ長なりに、一歩間違えれば命を取られかねない雪山の厳しさを体験しているので、串田孫一の本が自分なりに理解できるのです。
若き日の山、、、、今となっては帰ることのできない世界ですが、そこで多くのことを学んできたことを実感しているのです。
この冬になって最大級の寒波がやって来て、広島県の北部にも雪崩注意報が出たようです。
積雪的にはやっと冬になったような気がしますが、わが裏山の積雪はほとんどゼロのはずです。
若いころは、雪が降ったら元気になったタカ長ですが、、、、、いまは「炬燵の番」を決めこんでいます。
そのような天気と関係あるのかないのか分かりませんが、久しぶりに串田孫一の本を取り出してみました。
青春のころよく読んだ本で、そのころ買った本は本箱の中で変色しています。
そのため、ヤマケイ文庫で出版されたものを買ったわけです。
串田孫一の本には大きな影響を受けていると自分でも感じていますが、この「若き日の山」にも、いまでも記憶に残っている一節があります。
当然のこととは言え、思うようには彩られなかった私の過去は既に重く、また重きが故に振り返る。遥かなる夕映えの中に、もう希望のみの踊る幻影は見つけにくく、ただそこには去って行ったものの空しさとそれを眺めようとする悲しい追憶があるばかりだ。
私はそれではいけないことを知っている。あの氷の山頂に立って、私はただ振り返ることを奪われた一つの動物のように、前に向かって力いっぱい踏張っていたい。よろめく私をささえるものは私以外にないことを知っている筈ではないか。
遠く続く、確かにこの足許から続く純白の山なみや雪原に、私の未来の起伏を感じよう。それは私にとって、今を遅らせればもう再び訪れることのない孤独な洗礼である。
神のない孤独な洗礼。鋭い針のように痛い風と雪との試練のあとに、自ら迎える、洗礼である。
引用が長くなって恐縮ですが、、、、「孤独な洗礼」と題されたこの一文を何度も何度も読みこんだものです。
タカ長の雪山経験は伯耆大山だけでした。そこには人さまに誇れるような登攀はありません。しかし、、、、
幸か不幸か、タカ長たちが伯耆大山の雪山に挑んだ日はいつも風雪でした。
この主稜を何度も縦走しましたが、いつも風雪、、、、残念ながらこのように晴れた日に大山の山頂部にいたことはありません。
ラジオの気象通報を聴きながら、自分なりの天気図を書き、、、、
その天気図から、明日の午前中はこのような太陽の下を登れるチャンスをゲットしたのですが、、、、、
雪山でのテント生活の技能未熟で、朝の出発に手間取り、、、、
6合目を過ぎるころから風が強くなり、8合目を登るころからガスがまいてきて、山頂に着いた頃は白一色の世界、、、、
自分の書いた天気図で絶好の登頂日和を予知しながら、そのチャンスをみすみす逃してしまった悔しさは今でも忘れられません。
その冬の大山に初めて登ったのは、、、、もちろん、ベテランの先輩に連れられてのことですが、、、、
その時の山頂もひどい状況で、無事に下山できたのが信じられないようでした。
やっとのことで下山して、大山寺から暮れゆく大山を見上げた時、無性に涙が流れ出たことも忘れていません。
タカ長はタカ長なりに、一歩間違えれば命を取られかねない雪山の厳しさを体験しているので、串田孫一の本が自分なりに理解できるのです。
若き日の山、、、、今となっては帰ることのできない世界ですが、そこで多くのことを学んできたことを実感しているのです。