外は雨なのでしょうか、暗くなって雨音がしているようです。
今日のタカ長は「内勤」ということにしてあれこれするつもりですが、頭痛の種だった広報紙づくりの仕事が一段落しているので気分は楽です。
先日来話題にしている高松山は標高339メートルの低山です。
しかし、低山らしからぬ面白い山であることは紹介しました。
山頂近くの高松神社です。これも史跡と言ってよいのかも?
この高松山は城址です。城主であった熊谷氏は承久の変(1221年)の戦功によりこの地に入り、のちに高松城に入城し、毛利氏の家臣として活躍しました。
その城址、本丸跡が山頂になっていて、三の丸を下がったところに高松神社がありました。
その高松神社を通って下山開始。
山頂部分はなだらかですが、下山ルートに入ると様相が一変します。
下山ルートの写真は順不同ですが、このような写真を撮れるところは足場の良いところ、、、
足場の悪いところを下りる時は写真どころではありません。
この下山ルートはもともとこの谷すじにあったのでしょうが、2014年の豪雨でこの谷もあれたようです。
右岸から左岸に移るところは、いったん沢床に下りるようになっていました。
それから左岸の道を下りるのですが、その道も荒れていました。
その荒れた道に落ち葉が積もったところもあり難儀したわけです。
このようなルートを下る雰囲気はとても300メートル級の低山とは思えません。
後日、また紹介するつもりですが、昨年9月に登った有田の黒髪山を思い出しました。
この山の標高は516メートルで、数字的には間違いなく低山です。
しかし、山の雰囲気といい、足腰への負担といい、タカ長にとっては「高山」でした。
この高松山の下りは、正味300メートルありません。
地図を見ても難所がひそんでいるようには見えないのですが、実際に歩いてみると楽な下りではありませんでした。
そのため私たちの山グループで高松山に登っても、下りはこのコースをとらないことにしよう、と相棒と話しながら下りて行きました。
ルートは難しくても、小さな山ですから時間をかけてゆっくり下山できます。
その意味では、少し大きな山を登るためのトレーニング場としては最適な山かも分かりません。
最初に書きましたように、青春のころから内心バカにしていた高松山ですが、実際に登ったらいい山でした。
山は数字だけで判断してはいけない、ということを教えられた山でもありました。
今日のタカ長は「内勤」ということにしてあれこれするつもりですが、頭痛の種だった広報紙づくりの仕事が一段落しているので気分は楽です。
先日来話題にしている高松山は標高339メートルの低山です。
しかし、低山らしからぬ面白い山であることは紹介しました。
山頂近くの高松神社です。これも史跡と言ってよいのかも?
この高松山は城址です。城主であった熊谷氏は承久の変(1221年)の戦功によりこの地に入り、のちに高松城に入城し、毛利氏の家臣として活躍しました。
その城址、本丸跡が山頂になっていて、三の丸を下がったところに高松神社がありました。
その高松神社を通って下山開始。
山頂部分はなだらかですが、下山ルートに入ると様相が一変します。
下山ルートの写真は順不同ですが、このような写真を撮れるところは足場の良いところ、、、
足場の悪いところを下りる時は写真どころではありません。
この下山ルートはもともとこの谷すじにあったのでしょうが、2014年の豪雨でこの谷もあれたようです。
右岸から左岸に移るところは、いったん沢床に下りるようになっていました。
それから左岸の道を下りるのですが、その道も荒れていました。
その荒れた道に落ち葉が積もったところもあり難儀したわけです。
このようなルートを下る雰囲気はとても300メートル級の低山とは思えません。
後日、また紹介するつもりですが、昨年9月に登った有田の黒髪山を思い出しました。
この山の標高は516メートルで、数字的には間違いなく低山です。
しかし、山の雰囲気といい、足腰への負担といい、タカ長にとっては「高山」でした。
この高松山の下りは、正味300メートルありません。
地図を見ても難所がひそんでいるようには見えないのですが、実際に歩いてみると楽な下りではありませんでした。
そのため私たちの山グループで高松山に登っても、下りはこのコースをとらないことにしよう、と相棒と話しながら下りて行きました。
ルートは難しくても、小さな山ですから時間をかけてゆっくり下山できます。
その意味では、少し大きな山を登るためのトレーニング場としては最適な山かも分かりません。
最初に書きましたように、青春のころから内心バカにしていた高松山ですが、実際に登ったらいい山でした。
山は数字だけで判断してはいけない、ということを教えられた山でもありました。