タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

わが青春の伯耆大山

2019年03月25日 | 山歩きから
先日独りで歩いた裏山、久しぶりにごろごろ尾根を下りました。このところこのコースを歩く人が少ないのか落ち葉が厚く積もっていました。

その落ち葉の下に何があるか分からないので、落ち葉の積もった急斜面の道を下りるのは思いのほか骨がおれます。それは超マイナーな山を歩く難しさかも分かりません。

単独行だったのでいつも以上に足もとに注意して下りながら、唐突に伯耆大山のやせ尾根を思い出しました。青春のころ何度も歩いた尾根道です。

    
                   画像はネットより借用

ネットから借用した大山の画像です。ご覧のように両側が切れ落ちています。

初めてこの尾根を歩いたときは、ふすまの上を歩いているような気がしました。両側は切れ落ちていて、歩けるのはその上の幅30センチメートルくらい、まさにふすまの上です。

この画像の右側が南壁です。左側が北壁です。
右に落ちたら間違いなく何百メートルか落ちてゆくことになります。そのためでしょうか、そのころ「落ちるのなら北側に落ちろ」と先輩から言われていました。

北側も絶壁ですが、運が良ければ何かに引っかかるかも分からない、だから、落ちるのなら北側、というわけです。

    

ネットで紹介されている動画動画を見るかぎり、大山の縦走路はタカ長が青春のころ歩いたときより風化が進んでいます。そのため今は縦走路への進入は禁止されています。

タカ長たちが歩いていたころもこのような難所はありました。そこで動けなくなった登山者がいたと聞いた記憶もあります。そのような縦走路を何度も歩いたのだから、若いって素晴らしいことだとあらためて思います。

画像でも想像して頂けると思いますが、大山の「怖さ」というか「難しさ」は、風化が進んだ山であることにつきます。極論すれば岩でできている山ではなくて、砂でできているような山なので、いつ足をとられるかわからない怖さがあるのです。

    

上の画像を投稿されているブロガーさんは「その怖さは西穂、奥穂高岳の縦走の比ではない」と書かれています。その気持ちはよく分かります。

    

もうあの尾根を歩くことはありませんが、、、、、
今となってはその尾根を夏も冬も歩いていたのがウソのように思われます。

そして、あの頃が自分の青春だったのだとある種の郷愁を感じるのです。