タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

わが青春の伯耆大山~2

2019年04月11日 | 山歩きから
    

大山の観光名所ともなっている鍵掛峠からの風景です。
一番右に見えているのが槍尾根です。大山の主稜線にある天狗ヶ峰と烏ヶ山をむすんでいる尾根です。

青春のころその尾根を登ったことがあります。とても厳しい登山でした。
あの時の槍尾根がタカ長の登山人生の中で一番三途の川に近づいた時だった感じています。
不勉強だったと言われれば返す言葉もないのですが、後から考えれば登った時期が悪かったのです。

私たちが登ったのは4月下旬、ゴールデンウイークの前でした。
伯耆大山は風化がすすんでいる山だと紹介しましたが、この時期は冬の間に凍結と融解を繰り返した岩壁がボロボロになっている時期なのです。

ボロボロに風化した岩が落下してしまえば、ある程度かたい岩が現れるのでしょうが、タカ長たちが登ったのはその前、条件的には悪い時でした。そのため極度の緊張を強いられる登山になりました。

槍尾根の核心部、槍ヶ峰の近くを下りている登山者の動画を見つけました。
タカ長たちが難儀したのもこの場所だったと思います。しかし、半世紀以上前のことなので細かな地形は変わっているはずです。

ここをクリックしてご覧ください。この画像は9月に撮影されたものです。

この登山者は急斜面を下りたあと歩いて尾根に向かっています。しかし、その時は歩けるような足場はありませんでした。壁にへばりついてのトラバースでした。

壁にへばりついてトラバースするためのホールドを懸命に探しましたが、ほとんどが浮石でした。立っている足場も不安定で、足元から岩が崩れてゆく音が何回も聞こえてきました。もし落ちればタカ長の体は三ノ沢に放り出され、哀れ20代の生涯を閉じることなったかも分からない現場です。

その難所を何とか登りきり、天狗ヶ峰についた時、極度の緊張から解放されてそこにへたりこみました。たくさんのイワツバメが乱舞していました。そのイワツバメを見ていると、思わず歌が口から出てきました。しかし、その歌はいわゆる「山の歌」ではありませんでした。ド演歌です。何故かしら「芸者ワルツ」でした。

あなたのリードで島田も揺れる、、、、、、、ブンガチャッチャ、ブンガチャッチャ、、、、、。

そこでタカ長の記憶は見事に切れています。

    

三ノ沢の近くに張ったテントにどのようにして帰ったのか、その記憶がまったくないのです。

その時の相棒によると振子沢を下がって、駒鳥小屋、鳥越峠を経てテントに帰ったらしいのですが、その記憶がまったくないのです。軽い記憶喪失を起こしたのかも分かりません。

    

その次の記憶は、次の日、烏ヶ山に登る相棒を見送りテント番をしたことです。
寝袋など乾かしていたら、槍尾根のほうから顔にケガをした登山者が下りてきました。自分たちはその尾根を事故もなく登ったのだと、内心チョットだけ優越感を持ったことも記憶しています。

    
                 画像はネットより借用

ネットより借用した画像ですが、この登山者は槍尾根を下りています。背後のピークが槍ヶ峰で、その手前にあの難所があります。

大山登山の難しさは、そこが風化の進んでいる山であることにつきます。

タカ長はロッククライミングの経験はありませんが、北穂高に行ったとき滝谷第二尾根の上部で滝谷見物をしたことがあります。確かに緊張しましたが、記憶喪失になるような怖さは感じていません。

初めて穂高に行ったとき、涸沢岳の岩の上に這いつくばって滝谷を覗きこんだ記憶もあります。高さになれていなくて怖かったですが、その高度感にも少しは慣れるものです。

しかし、大山の恐怖感はそれとは別のモノでした。そのためでしょうか、恐怖感でいえば大山のほうが穂高より怖いような気がします。

今はその尾根を歩くことは禁止されています。それなのに大山を縦走している動画が何本も堂々と公開されているからくりがタカ長には分からないのですが、、、、

そのことは別に、大山の難しさは今も昔も変わらないと感じました。

若気の至りだったようですが、とにかく、そのような登山が出来たのですから、若いっていいなぁ、といまさらながら思っています。