4月15日に登った古処山の記録です。
この記録が正確とは思えませんが、それにしてもすごい数字が記録されています。
山と渓谷社の「九州百名山」によると、この古処山は「初級者」むきになっており、「家族連れのハイキングに好適」と書かれています。
英彦山に登ったあとタカカノに「明日の古処山は楽勝コース」と話したのはこのような本を読んだからですが、実際に歩いてみると厳しい山でした。そのため、、、、
楽勝コースと聞いていたので心の準備ができていなかった、と何度も嫌味を言われました。
そのような登山の話は後日として、今日は別の話題です。
英彦山と古処山で足を使ったので、林道終点の駐車場からは転倒の心配のない車道を下りることにしました。
渓流沿いのコースは前日の雨でぬれており、登りでも足をとられることがあったからです。
古処山山系の山を見ながら歩いていると、いつの間にか心は20代になっていました。
私たちは独身時代から一緒に登山をしているので、新緑の山肌を見ながら歩く登山は何回も経験しています。それも容赦のない登山で、彼氏が点数かせぎをするための、チャラチャラした登山ではありませんでした。
そのような登山をしていたので、結婚してからの意識は「女房殿」ではなく「山仲間」というものでした。その感覚は何十年か続いていたように思います。
20年くらい前から仲間たちと山を歩くことが多くなったためか、それとも「本気の登山」をすることが無くなったためか、最近は女房殿を「山仲間」として意識することを忘れていました。
今回の英彦山と古処山は、少なくとも私たちには思いのほかきつく、嫌でも「本気の登山」を強いられることになりました。
そのためでしょうか、久しぶりに女房殿を「山仲間」として意識しながら歩くことになりました。
心が20代になった、というのはそのような意味です。
そのことを本気で意識したのは林道を歩きながらですが、今回の英彦山や古処山は本気の登山になったので、英彦山を歩いている時からお互いを「山仲間」としていたようです。
タカカノをトップで望雲台に登らせたのはその適性があるからですし、英彦山や古処山を歩くときに、「そこは左側を登れ」とか「もう2メートル行って右におりかえすほうが良い」というような、細かな指示を出したのは、その面ではタカ長のほうがタカカノより一日の長があるからです。
平素は亭主からあれこれ指示されることを嫌うタカカノが素直にタカ長に従ったのは、その時タカカノもまたタカ長を「山仲間」としていたからだと思います。
登山をされている人には普通に登れる英彦山と古処山でしょうが、タカ長たちには「本気の登山」を強いられる山でした。そのため永らく忘れていた青春のころの感覚を思い出すことになりました。
下山のときに利用した紅葉谷コースの森です。雰囲気の良い森でした。
このコースを下るほうが良いと教えられたのは山頂で一緒になった地元の登山者からです。
この古処山登山のことは後日話題にするつもりです。