タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

縁を大切にしたい

2020年01月03日 | 日々雑感
おだやかな三が日でした。今年一年、何ごともなく過ぎてほしいと思います。
毎日が日曜日のタカ長、正月だからと言って、気の利いたコメントは出来ません。

      
                  わが家の年賀状の上半分です。下半分はナ・イ・ショ。

来年から年賀状の交換を控えさせていただきます、というような賀状が今年も2通届きました。

タカ長も同じようなことを考えたことがあり、年賀状を書く人を絞ったこともあります。しかし、今年はその方針を改めました。
縁を大切にしなさい、という大愚和尚の講話を聴いたからです。

ご存知のように、仏教では縁を大切にしています。
大愚和尚も話していますが、この縁を抜きにして自分を語ることは出来ません。

広島のタカ長、というのは地縁
〇〇団地の編集長というのも地縁
△△小学校の先輩だぞ、と後輩の子どもたちに言うのは学縁
□□会社のOBです、というのは社縁
xx山岳会のタカ長です、というのは趣味を通じた縁
野鳥の会や、アジア猛禽類ネットワークの会員です、というのも趣味を通じた縁

         

その縁のことを語らないで自分を証明しようとしたら、原稿用紙100枚使っても不可能、縁を抜きに自分を語ることなど不可能です。

そもそも私たちの人生は、〇〇家に生まれたという血縁から始まっています。

    
                おだやかな瀬戸内海の風景です。

福厳寺の大愚和尚が語られているのは血縁のこと。タカ長のところにそのような年賀状が届くのは終活のため。

この二つのテーマを同一の話として論じるのは間違っているのかも分かりませんが、タカ長は大愚和尚の話を聞いて、どのような縁でも、自分の手で切ることは止めにしたのです。

お蔭さまで今朝も元気に目覚めることができました。
お蔭さまで今日の山を無事に終えることが出来ました。

日々感謝の気持ちを忘れないようにしているタカ長が、自分の手で何かの縁を切ることは何か間違っているような気がしたのです。

    

余談です。

昨日、山上の古刹を歩いているとき、同年配の人(本当はタカ長より少しだけ若い?)に追い越されました。

そのとき声をかけると、、、、、「孫が受験生で、、、、、」

一願和尚のところでその人とふたたび一緒になったので、、、、、

「私も協力させて頂きます」と申し出て、神戸にいるというそのお孫さんの志望校合格を祈願させて頂きました。

袖すりあうも他生の縁、といいますが、見ず知らずの人のお孫さんのために、ごく自然に合格祈願をした自分を嬉しく思いました。

これも何かの縁でしょうね。