タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

無影樹

2020年01月16日 | 日々雑感
何となく肌寒いような曇り日です。しかし、雪は降りません。

今年は雪が降らなくて、列島各地でその影響が出ているようです。そこでチョッといたずらして、、、、

2013年12月20日の、拙宅の雪景色を使いながらブログの更新をします。

    

    

気になっていた広報紙の、ふるさと特集号はほぼ完成しました。あとは校正するだけです。

タカ長の仕事の目鼻はついた、と言うことになります。

    

その作業をしながらまたまた松原泰道師の本のことを思い出しました。

このように書くとタカ長はよほどの読書家、と思われるかも分かりませんが、それは違っています。

手元に置いていて、ときどきパラパラとページをめくるだけです。座右の書、と言うことばもありますが、、、、

本当のことを言うと、炬燵の番をしながらパソコン仕事をするそばに置いて、この本をマウスパッドがわりにしているのです。

この本んが大きさと言い、表紙の固さと言い、マウスパッドに丁度いいのです。そのようなことを知られたら、松原泰道師は何と言われるかなぁ???

    

鳥は無影の樹(むようのじゅ)に住む、と言う禅語についてでの解説です。(木扁に西と言う字が出せません。)

無影樹“というのは「暗夜の樹に影が無いと思うようなもの、形があって影がないわけはないので、目に見えないというだけのことである」との経典から出た言葉です。それは「自分」というものを全く忘れた、跡をとどめないおおらかな心を示されています。


善をしながら、それを忘れて心にとどめず、恩にもきせず、得意にもならない、ふかぶかとした行いを意味されます。それはちょうどくらやみの樹のように、少しも目だたないのです。しかし、目につかないといって消えてしまうわけではありません。目にはつかなくとも“鳥は住む“とあるではありませんか。


    

広報紙づくりのために、人知れずパソコンと格闘(?)しながらの、この作業もまた無影樹なのかなぁ、と思ったわけです。

タカ長のようなぼんくらは「それを忘れて心にとどめず」の心境にはなれませんが、タカ長のことは別にして、私たちの団地には「無影樹」の活動をされている人はたくさんいます。だから、私たちの団地活動は活発に、そしてスムーズに進んでいるのだと考えています。

もし、タカ長だけが頑張っているのならおおいに自慢、、、、、、

と言うような心がすぐに頭をもたげてくるので、無影樹の教えは、タカ長には「永遠の課題」になりそうです。

    

とか何とか言いながら、タカ長たちは日曜日の餅つき大会の準備を始めています。

もちろん、これも私たちだけではありません。多くの人が陰で頑張っています。

私たちの団地に限ったことではありませんが、世の中にはたくさんの無影樹があり、、、、

だから、日々の生活が出来ているのですね。

その心境には到達できないタカ長ですが、自分のまわりにもたくさんの無影樹があることを感じることのできる人にはなりたいと思っています。