昨日の田原のサンプロ。
亀井、菅、加藤、山崎を呼んで、田原は盛んに、「皆、集まって新党を作ったらどうか」とけしかけていた。 加藤、山崎は二人とも老練の域に入ったが、既に終った政治家だ。かつての田中派支配に対抗したYKKは、今になって考えてみれば自民党内の野党であったと言える。その中で、プリンスと言われた加藤は失脚し政界の隅に落ち込んでしまったが、一人寝の用心棒であった小泉さんが一転、自民党のカリスマ総理にまで登りつめたのは何と言う賽の目だったろうか。小泉後の政局にあって、安倍、福田、麻生という本来総理になるべからずの人たちが次々に一国の宰相になっていったのは小泉さんの遺産であり、我が国の不幸であったと言えようか。
さて、加藤、山崎が麻生タイタニック号の沈没寸前だからといって、船底の3等船室から首を出したところで、誰もついていくまい。この二人の長年の政治実績を見ると、何もしていないのだ。それどころか、加藤などは90年代の長きに渡る幹事長時代、「北朝鮮に米をやらなければ駄目だ」と幹事長権限でホイホイと50万トンもの米を無償で北朝鮮へくれてやり独裁政権の延命に力を貸した。 そして拉致被害者が帰国した折、北朝鮮へ再度戻さなかったのは約束違反であり、北朝鮮へ戻すべきであったと主張した時点で、政治生命を失った。拓さんも幹事長や国交大臣を歴任したが、何の政治的慧眼を示したことはない。
戦後最長の好景気が続く中、世界は平均5%の金利をつけても、我が国はゼロから0.5%という国民をバカにした金利を維持し、戦後最大の経常利益を上げた三井住友、三菱、みずほの大銀行は今もって1銭の税金も払っていないのだ。「俺にまかせろ、悪いようにはしない」という、亀井と同じ古いタイプの政治家に何が期待できようか。一度自民党はぬるま湯から出て、顔を洗って出直した方がいい。政治とは私利私欲ではなく、国家国民の為にあるということだ。
☆
さて、野球で言えば満塁逆転の場面、リリーフでマウンドに上った麻生は、4番バッターの小沢が恐くなって、ボールをいつまでたっても投げようとしないピッチャーだ。捕手の細田、1塁の大島を呼んで話し込んでいるが、ベンチの森監督、町村、古賀コーチは、味方の野次に顔を険しくしている。
決め球とスピードがない麻生は、給付金フォークが決まらず、サインが読めず、失投、デッドの連続で既に絶体絶命のピンチだが、最後のボールは消える魔球になるか、それとも小沢の顔目がけてピンボールを投げつけるか、大観衆はそろそろブーイングを鳴らし始めた。
★
世田谷一家惨殺事件。
微力ながら、本ページで書くことが、事件を風化させないように、せめてできることだと思っている。
2000年12月30日(土) 午後11頃から翌朝10時40分頃の間に発生した東京世田谷の宮沢みきおさん一家4人惨殺事件。
有力な情報提供者には警察庁から300万円の褒賞金が出る。
一見幸せそうな父母と女の子1人が(関孫六の刺身包丁)で刺殺され、男の子1人が鼻から血を大量に出すほど圧迫絞殺された。母親は死んだ後も何回も刺されている。犯人はハンカチの真ん中に穴を開け、その部分で包丁の柄を包んでいた。滑り止めの工夫とみられるが、それは殺しのプロの手口だ。ハンカチの色は黒。そして、襲撃時には、同じ黒の布で顔を覆っていたと思われる。
惨殺後に、犯人は、パソコンでネットをやり、書類を荒らし、現金を取り、冷蔵庫のアイスクリームを食べお茶を飲み、翌朝の午前10時40頃までその家に身をひそめ、隣に住む母親が不審に思い訪ねてきたのに気付き、その家の裏手の窓から外に出て姿をくらましたと見られている。
第一発見者の母親が最初に目にしたのは、ぶちまけられた書類と文房具の山。
そして、その山の中から異様に白い、息子みきおさんの素足が突き出ていた。
プロの殺し屋を思わせる手口。もっと正確に言えば、ゲリラの軍事訓練を受けたレンジャーの手口だ。
多くの遺留品、犯人の血痕、指紋、排泄物、を隠すこと無く残しているのは、自身が捕捉されない自信があるからだろう。そういう犯人の心理は、組織の命令に従い、組織の歯車として行動する場合、無機質なロボットとして行動するから、恐怖とか悔恨というネガティブな感情は一切生じないだろう。
邪悪な蛇のような冷酷さと大胆さを持つ犯人。
当時、韓国でしか売られていない韓国製スラセンジャー・シューズ(27.5cm)を履き、フランス製の男性用香水ドラッカーノアール(ツンとくる匂い)をつけていた。
犯人像は、男、血液A型、事件当時20~30代、小鳥を飼育(小鳥用のエサが犯人の遺留物に付着していた)、アメリカ渡航有り(アメリカ西海岸の砂が付着していた)。そして、現場に残された迷彩色のヒップバッグの中から化学物質が検出されたが、それはスケボーの滑り止めに使われる成分と一致。スケートボード愛好家。さらに現場に残された犯人の血液のDNAから人種分析も行われた。その結果、母系はロシア系、父親は朝鮮系と分析された。
☆
先週の12月13日、故・宮沢みきおさんの自宅近くの公民館で、みきおさんの父良行さん(80)と母節子さん(77)の2人が出席して、良行さんが「情報を集めるためには、恥ずかしいなどとは言っていられない」と、節子さんを説得して会見に臨んだ。
「息子夫婦と孫達は良い家庭だった。これが一瞬にして壊されてしまい、うまく言葉にできないほど悔しいし、悲しい」。
そして、「人を殺した事件に時効なんかない」 と訴えた。
(ムラマサ、鈴のように鳴る)
亀井、菅、加藤、山崎を呼んで、田原は盛んに、「皆、集まって新党を作ったらどうか」とけしかけていた。 加藤、山崎は二人とも老練の域に入ったが、既に終った政治家だ。かつての田中派支配に対抗したYKKは、今になって考えてみれば自民党内の野党であったと言える。その中で、プリンスと言われた加藤は失脚し政界の隅に落ち込んでしまったが、一人寝の用心棒であった小泉さんが一転、自民党のカリスマ総理にまで登りつめたのは何と言う賽の目だったろうか。小泉後の政局にあって、安倍、福田、麻生という本来総理になるべからずの人たちが次々に一国の宰相になっていったのは小泉さんの遺産であり、我が国の不幸であったと言えようか。
さて、加藤、山崎が麻生タイタニック号の沈没寸前だからといって、船底の3等船室から首を出したところで、誰もついていくまい。この二人の長年の政治実績を見ると、何もしていないのだ。それどころか、加藤などは90年代の長きに渡る幹事長時代、「北朝鮮に米をやらなければ駄目だ」と幹事長権限でホイホイと50万トンもの米を無償で北朝鮮へくれてやり独裁政権の延命に力を貸した。 そして拉致被害者が帰国した折、北朝鮮へ再度戻さなかったのは約束違反であり、北朝鮮へ戻すべきであったと主張した時点で、政治生命を失った。拓さんも幹事長や国交大臣を歴任したが、何の政治的慧眼を示したことはない。
戦後最長の好景気が続く中、世界は平均5%の金利をつけても、我が国はゼロから0.5%という国民をバカにした金利を維持し、戦後最大の経常利益を上げた三井住友、三菱、みずほの大銀行は今もって1銭の税金も払っていないのだ。「俺にまかせろ、悪いようにはしない」という、亀井と同じ古いタイプの政治家に何が期待できようか。一度自民党はぬるま湯から出て、顔を洗って出直した方がいい。政治とは私利私欲ではなく、国家国民の為にあるということだ。
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さて、野球で言えば満塁逆転の場面、リリーフでマウンドに上った麻生は、4番バッターの小沢が恐くなって、ボールをいつまでたっても投げようとしないピッチャーだ。捕手の細田、1塁の大島を呼んで話し込んでいるが、ベンチの森監督、町村、古賀コーチは、味方の野次に顔を険しくしている。
決め球とスピードがない麻生は、給付金フォークが決まらず、サインが読めず、失投、デッドの連続で既に絶体絶命のピンチだが、最後のボールは消える魔球になるか、それとも小沢の顔目がけてピンボールを投げつけるか、大観衆はそろそろブーイングを鳴らし始めた。
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世田谷一家惨殺事件。
微力ながら、本ページで書くことが、事件を風化させないように、せめてできることだと思っている。
2000年12月30日(土) 午後11頃から翌朝10時40分頃の間に発生した東京世田谷の宮沢みきおさん一家4人惨殺事件。
有力な情報提供者には警察庁から300万円の褒賞金が出る。
一見幸せそうな父母と女の子1人が(関孫六の刺身包丁)で刺殺され、男の子1人が鼻から血を大量に出すほど圧迫絞殺された。母親は死んだ後も何回も刺されている。犯人はハンカチの真ん中に穴を開け、その部分で包丁の柄を包んでいた。滑り止めの工夫とみられるが、それは殺しのプロの手口だ。ハンカチの色は黒。そして、襲撃時には、同じ黒の布で顔を覆っていたと思われる。
惨殺後に、犯人は、パソコンでネットをやり、書類を荒らし、現金を取り、冷蔵庫のアイスクリームを食べお茶を飲み、翌朝の午前10時40頃までその家に身をひそめ、隣に住む母親が不審に思い訪ねてきたのに気付き、その家の裏手の窓から外に出て姿をくらましたと見られている。
第一発見者の母親が最初に目にしたのは、ぶちまけられた書類と文房具の山。
そして、その山の中から異様に白い、息子みきおさんの素足が突き出ていた。
プロの殺し屋を思わせる手口。もっと正確に言えば、ゲリラの軍事訓練を受けたレンジャーの手口だ。
多くの遺留品、犯人の血痕、指紋、排泄物、を隠すこと無く残しているのは、自身が捕捉されない自信があるからだろう。そういう犯人の心理は、組織の命令に従い、組織の歯車として行動する場合、無機質なロボットとして行動するから、恐怖とか悔恨というネガティブな感情は一切生じないだろう。
邪悪な蛇のような冷酷さと大胆さを持つ犯人。
当時、韓国でしか売られていない韓国製スラセンジャー・シューズ(27.5cm)を履き、フランス製の男性用香水ドラッカーノアール(ツンとくる匂い)をつけていた。
犯人像は、男、血液A型、事件当時20~30代、小鳥を飼育(小鳥用のエサが犯人の遺留物に付着していた)、アメリカ渡航有り(アメリカ西海岸の砂が付着していた)。そして、現場に残された迷彩色のヒップバッグの中から化学物質が検出されたが、それはスケボーの滑り止めに使われる成分と一致。スケートボード愛好家。さらに現場に残された犯人の血液のDNAから人種分析も行われた。その結果、母系はロシア系、父親は朝鮮系と分析された。
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先週の12月13日、故・宮沢みきおさんの自宅近くの公民館で、みきおさんの父良行さん(80)と母節子さん(77)の2人が出席して、良行さんが「情報を集めるためには、恥ずかしいなどとは言っていられない」と、節子さんを説得して会見に臨んだ。
「息子夫婦と孫達は良い家庭だった。これが一瞬にして壊されてしまい、うまく言葉にできないほど悔しいし、悲しい」。
そして、「人を殺した事件に時効なんかない」 と訴えた。
(ムラマサ、鈴のように鳴る)