★洪水のタイ。
日本から見ていると、1週間、2週間前から洪水が発生したというのに、収束するどころか拡大し、警戒していたバンコクの中心部まで、ついに浸水した。
チャオプラヤ川の堤防が決壊したというのだが。
タイは微笑の国と言われる。
ある種の人間にとって、国籍に関係なく、はまってしまうところがある。
はまった人間は何年も住みつくことになり、やがては転がるようにして自分の国へ帰る。何故そうなるのか、その理由は、自らタイを訪れタイの匂いを嗅ぎ、そこで食べて、アルーン(お寺)に行ってみることだ。今日もブーゲンビリアや真っ赤な花が咲いている魅惑的な国へ。
バンコックの刺すような熱い陽射しを逃れ、濃い影ができた木々の葉っぱの隙間から大河を眺めることによって、生きる強さと、弱さを感じ取ることができるかも知れない。
タイの人々にとって、川は生活そのものだ。いつもひどく濁った川は透き通ることはない。毎日の夕立が赤い土を川に溶かす。川は水洗トイレであり、洗濯場であり、そして子供達の遊び場でもある。
夕陽が沈む頃には、路地に野菜炒めの匂いが立ち込める。屋台のお店には手際よく料理を作る、人なつこい真っ黒に日焼けしたおばちゃん達が腕を競う。味はどれも絶品だ。腹を満たす幸せとはこのようなことだろうか。一品の野菜炒めとタイ米のご飯が素晴らしく合う。スプーンを使う。粗末な屋台テーブルに座りながら、行き交う人たちを眺める。シンガビールを飲み干すころ、いつの間にかタイの風景に溶け込んでいく。やがて夜の帳を降ろす涼しい風がそよぎ始め、闇の中で眠りにつく。
早朝、ワットアルーン(暁の寺)から王宮を見つめる。
濃厚な空気。三島由紀夫が信じた輪廻転生の「豊穣の海」の舞台になった暁の寺。 急な階段を昇る。少し油断をすると転げ落ち、大怪我をするような階段が四方についている。注意しながら、よじ登るように階段を上がる、そして狭い回廊に立つ。
色ガラスのモザイクで装飾した石の列塔から下界を見下ろすと、黄金色に映える王宮や緑の木々が目に入り、そして大河が悠然と流れる。
目を閉じて瞑想する。時間は悠久に流れているかのように思えてくる。
そして耳を澄ませば、長い余韻を放つタイ風鈴が聞こえて来る、どこまでも優しく、どこまでも懐かしく。
(タイ・バンコックにて)