たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

懐かしい映画と映画音楽・その73

2024年10月16日 15時49分49秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その73
映画「戦場にかける橋」と主題曲「クワイ河マーチ」

どうも、戦前生れの古い人間には、「マーチ(行進曲)」と聞くと、なんとなく戦争の映像が浮かんでしまうことが多い気がする。
戦後間もない頃、北陸の山村の小さな小学校中学校併設校に通っていたが、毎年、秋、狭い校庭で運動会が有り、当日の朝は、生徒、児童の士気?を鼓舞しようとするかのように、校外に向けた大きなスピーカーから、「軍艦マーチ」等を、大音響で流していたような記憶がある。
後に、甲子園の開会式や、東京オリンピック開会式等、様々な場面で、明るい「マーチ(行進曲)」を聴くに及び、「マーチ(行進曲)」も、本当に人間の気分を高揚させてくれる、平和な音楽の1ジャンルであると、認識を変えたはずではあるが・・・。
「マーチ(行進曲)」で、「ブログ内検索」してみると、「クワイ河マーチ」「地上最大の作戦テーマ曲」「子象の行進」「大脱走マーチ」等々が、出てくるが、6年前にブログに書き込んでいた、映画「戦場にかける橋」の主題曲「クワイ河マーチ」を、コピペ、リメイクすることにした。
映画「戦場にかける橋」を、実際、いつごろ、どこで 観たのかの記憶は無くなっているが、公開時より随分後年になってから、地方のリバイバル映画館に足を運んで観たような気がする。その後、テレビの映画番組でも、1~2回は観ていると思うが、脳裏に焼き付いている映画の一つだ。

今更になってネットで調べてみると、
映画「戦場にかける橋(The Bridge on The River Kuwai)」は、1957年(昭和32年)に、デヴィッド・リーン監督、ウイリアム・ホールデン、アレック・ギネス、ジャック・ホーキンス、早川雪洲、ジェームズ・ドナルド等出演で、製作され公開された、アメリカ・イギリス合作の戦争映画だった。
その主題曲「クワイ河マーチ」は、ケネス・ジョゼフ・アルフォード作曲の「ボギー大佐」を、音楽担当のマルコム・アーノルドが、「戦場にかける橋」の主題曲にするために編曲した行進曲なのだそうだが、「クワイ河マーチ」を聴くと、映画「戦場にかける橋」のいろいろなシーンが思い浮かんでくる。

(ネットから拝借画像)

「クワイ河マーチ」・ミッチ・ミラー合唱団  (YouTubeから共有)


(蛇足)

「クワイ河マーチ」は、6歳の頃から米軍キャンプで英語の歌を歌っていた伊東ゆかりが、1958年(昭和33年)、11歳の時にレコード・デビューした曲なのだそうだ。
当時、米兵からは、「ノースマイル」(笑わない少女)と言われていたという伊東ゆかり。
いまでも活躍されておられ、ご同慶の至りである。
知らないこと、忘れてしまったことの多しの爺さん、
「へー!、そうだったんだ」、
目から鱗・・・・である。


「クワイ河マーチ」・伊藤 ゆかり   (YouTubeから共有)


懐かしい映画と映画音楽・その72

2024年10月15日 19時44分19秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
今日のこと、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「五つの銅貨」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その72
映画「五つの銅貨」・主題曲「五つの銅貨」(再)

「五つの銅貨(The Five Pennies)」は、1959年(昭和34年)に、メルヴィル・シェイヴルソン 監督、ダニー・ケイ(Danny Kaye)バーバラ・ベル・ゲデスルイ・アームストロング(Louis Amstrong)等出演で製作され・公開された、アメリカ映画「五つの銅貨(The Five Pennies)」の主題曲だった。
今更になってネット等で調べてみると、映画「五つの銅貨」は、実在のコルネット奏者、レッド・ニコルズ(Red Nichols)の半生を描いた作品だった。
当然、公開当時に観ているはずはなく、実際に映画を観たのは、かなり後年になってから、多分、テレビの映画番組かなんかだったような気がするが、レッド・ニコルス役のダニー・ケイが熱演、本人役で出演のルイ・アームストロングと掛け合いで歌う場面等が強烈に脳裏に焼き付いてしまっている。
ダニー・ケイが歌った主題曲「五つの銅貨」の方は、若い頃、よくラジオ等から流れていて、なんとなく聴き覚えており、ほのぼのした温かい曲調で、映画音楽の中でも、好みの曲の一つになっている。
映画の中では、クリスマスの日、レッド・ニコルスが、娘のドロシーに五つの銅貨を、1枚、1枚、意味を言いながら手渡す場面の曲、「五つの銅貨(The Five Pennies)」。

1枚目、This little penny is to wish on and make your wishes come true
     この小ちゃな銅貨にはね、「願い」を叶えてくれる力があるんだよ。
     そしてね、「君の願い」も叶えてくれるよ。
2枚目、This little penny is to dream on and dream of all you can do
     この小ちゃな銅貨にはね、「夢」を叶える力が有るんだよ。
     そしてね、「君が見た夢」を、実現してくれるよ、
3枚目、This little penny is dancing penny  See how it glitters and
    it grows
     この小ちゃな銅貨にはね、「踊る」力が有るんだよ、
     見ててご覧、とっても輝いて、そしてもっと輝くから、
    As bright as whistle ,light as athistle, Quick quick as a wink up on
    it's twinklling toe
     眩しくなったら口笛の音が聞こえて来て、鮮やかなアザミの花みたいに
     見えちゃうんだ。遠い遠い動きは、瞬いた瞬間、目を開けたら、つま先の上に乗って
     光っているよ。
4枚目、Oh,This Little penny is laugh on To see that tears never fall
     おっと、この小ちゃな銅貨にはね、「笑顔」を絶やさぬ力が有るんだよ、
      君が見る世界を悲しみの無い世界にしてくれるんだ。
5枚目、This little penny is the last little penny and most important of all
    for this penny is to love on and where love is heaven is there
    So with just five pennies if they're these fi you'll be a millionnaire
     この小ちゃな銅貨が、最後の小ちゃな銅貨だよ、
     そして この世の中で最も大事な事が詰まっているんだ。
     そうさ、この銅貨にはね、「愛」を叶える力が詰まっているんだよ。
     そして「愛」する場所こそが天国であり、天国を愛する気持ちの中に有るんだよ
     そう、たかが五つの銅貨、けれど、持っていれば、
     五つの銅貨は 君を億万長者へと導いてくれるよ。

(ネットから拝借画像)

映画「五つの銅貨」・主題曲「五つの銅貨」・ダニー・ケイ (YouTubeから共有)
 

南里文雄とホット・ペッパーズ演奏の「五つの銅貨」(YouTubeから共有)
 

映画「五つの銅貨」の中で、ルイ・アームストロングとダニー・ケイが掛け合いで歌っていた「聖者の行進」 (YouTubeから共有)
 


懐かしい映画と映画音楽・その71

2024年10月13日 17時18分29秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
今日のこと、6年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「撃墜王アフリカの星」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その71
映画「撃墜王アフリカの星」・主題曲「アフリカの星のボレロ」(再)

3連休中日も、普段通りの暮らし、
足、腰、痛!、痛!、体調もイマイチ、
今日は、病院面会もパス、家籠もっている。
自炊夕食前の手持ち無沙汰な時間、
またまた、古いレコード盤、CD、カセットテープ等を引っ張り出して聴いているところだが、
その内の1曲、映画「撃墜王アフリカの星」の主題曲「アフリカの星のボレロ」は、
ドーナツ盤、「太陽がいっぱい」のB面に有る。
若い頃、よく聴いていたことも有って、かなり溝が磨り減って、音質極めて悪しだが、
それもアナログらしいと思えば・・・、

今更になってネット等で調べてみると
映画「撃墜王アフリカの星(Der Stern von Afrika)」は、1957年(昭和32年)に、アルフレート・ヴァイデンマン 監督、ヨアヒム・ハンセン、マリアンネ・コッホ等出演で、製作、公開されたドイツ映画だった。
映画の方は、もちろん、公開当時に観ているはずはなく、記憶曖昧だが、かなり後年になってから、地方のリバイバル映画館で観たような気がする。
第二次世界大戦下の北アフリカ戦線で、158機を撃墜したという戦果を挙げ、「アフリカの星」等という異名で呼ばれたドイツ空軍の英雄、ハンス・ヨアヒム・マルセイユの生涯を描いた映画であるが、
その主題曲「アフリカの星のボレロ」は、激しい戦争映画にもかかわらず、勇ましいマーチ風な曲ではなく、もの哀しい、ルンバ、ボレロ調の曲だったことで、脳裏に焼き付いたものだった。

(ネットから拝借画像)

映画「撃墜王アフリカの星」・主題曲「アフリカの星のボレロ」 (YouTubeから共有)

オーケストラ演奏の「アフリカの星のボレロ」 (YouYubeから共有)
 

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懐かしい映画と映画音楽・その70

2024年10月12日 17時08分56秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「ハロー・ドーリー」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その70
映画「ハロー・ドーリー!」・主題曲「ハロー・ドーリー!」(再)

世の中、三連休初日・・・、
全国的に好天に恵まれたようで、行楽地等への人出も多かったのではないかと思われる。
妻が入院している関係で、独り身暮らし、
今日も、なんやかんやで忙しかった。
三食作り、掃除、ゴミ出し、点検業者来訪、病院面会、買い物・・・、
妻の手術後の回復は順調良好のようで、予定より早く退院出来そうだが、
もうしばらくは、主夫?業専念になりそうだ。
自炊夕食の準備前の手持ち無沙汰な時間、
数年前に書き込んでいた「ハロー・ドーリー」にアクセスがあったことに気が付き、早速、「懐かしい映画と映画音楽」の一つに加えるべく、コピペ、リメイクすることにした。

今更になってネットで調べてみると、
「ハロー・ドーリー!(Hello Dolly !)」は、数多のミュージシャンに演奏されたり歌われており、ポピュラー・ミュージックとして、若い頃から良く聴いていた曲ではあるが、実は、1964年(昭和39年)のアメリカのミュージカル「ハロー・ドーリー!」からの生まれた曲で、同年に、ルイ・アームストロングのアルバム「Hello Dolly!」が、全米No.1を記録し、それまで独占していたビートルズの連続1位の記録をストップさせた曲だったようだ。
さらに、1969年(昭和44年)には、ジーン・ケリー 監督で、製作、公開された、アメリカのミュージカル映画「ハロー・ドーリー!(Hello Dolly !)」の主題曲になり、バーブラ・ストライザンド(Barbra Streisand)と、客演したルイ・アームストロング(Louis Armstrong)が歌っていたのだそうだ。
映画「ハロー・ドーリー」の方は、実際に観た記憶が全く無いが、サッチモ(Satchmo)という愛称で親しまれた20世紀を代表するジャズ・ミュージッシャン、ルイ・アームストロングが歌っていた「ハロー・ドーリー」の方は、若い頃、ギター伴奏で歌ったりし、脳裏に焼き付いたものだった。
高い音楽性の有るトランペッターでありながら、サービス精神旺盛、明朗な性格、しゃがれた歌声、カリスマ性を持ったルイ・アームストロング、
音楽全般に関しても、ジャズに関しても、まるで詳しく無い類ではあるが、若い頃から惚れ込んでいるミュージシャンの一人である。

(ネットから拝借画像)

映画「ハロー・ドーリー!」・サウンドトラック  (YouTubeから共有)

ルイ・アームストロングの「ハロー・ドーリー!」 (YouTubeから共有)

Dixieland Blues Band 演奏の「ハロー・ドーリー!」 (YouTubeから共有)

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懐かしい映画と映画音楽・その69

2024年10月10日 09時36分17秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その69
映画「大脱走」と主題曲「大脱走マーチ」

どうも、戦前生れの古い人間には、「マーチ(行進曲)」と聞くと、なんとなく戦争の映像が浮かんでしまうことが多い気がする。
戦後間もない頃、北陸の山村の小さな小学校中学校併設校に通っていたが、毎年、秋、狭い校庭で運動会が有り、当日の朝は、生徒、児童の士気?を鼓舞しようとするかのように、校外に向けた大きなスピーカーから、「軍艦マーチ」等を、大音響で流していたような記憶がある。
後に、甲子園の開会式や、東京オリンピック開会式等、様々な場面で、明るい「マーチ(行進曲)」を聴くに及び、「マーチ(行進曲)」も、本当に人間の気分を高揚させてくれる、平和な音楽の1ジャンルであると、認識を変えたはずではあるが・・・。
「マーチ(行進曲)」で、「ブログ内検索」してみると、「クワイ河マーチ」「地上最大の作戦テーマ曲」「子象の行進」「大脱走マーチ」等々が、出てくるが、6年前にブログに書き込んでいた、映画「大脱走」の主題曲「大脱走マーチ」を、コピペ、リメイクすることにした。

今更になってネットで調べてみると
映画「大脱走(The Great Escape)」は、1963年(昭和38年)に、ジョン・スタージェス 監督スティーブ・マックイーンジェームス・ガーナーチャールズ・ブロンソン、ジェームス・コバーン、ジェームス・ドナルド、等々出演で、製作公開された、アメリカ映画で、「OK牧場の決闘」「老人と海」「荒野の七人」等でも知られる、ジョン・スタージェス監督の代表作のひとつだった。
日本でも、同年に公開されたようだが、いつごろ、どこで観たのかの記憶が全く無くなっており、多分 後年になって、洋画3本立て映画館?等で、リバイバル映画として上映されたものを観たのだと思われる。
戦争映画の部類には入るのだと思われるが、戦闘シーンが無く、第二次世界大戦下、ドイツ軍の捕虜となった連合軍の捕虜達の集団脱走を描いた異色な作品だった。
この映画では、随所に、音楽担当のエルマー・バーンスタイン作曲の主題曲「大脱走マーチ(The Great Escape March)」が流れて、印象的だったが、ミッチ・ミラー合唱団が歌って、大ヒット、映画と映画音楽が重なって、脳裏に焼きついている気がする。
何よりも、この映画の主人公的存在の、アメリカ航空兵バージル・ヒルツ役のスティーブ・マックイーンの魅力が、いかんなく発揮された映画であったような気がしている。

(ネットから拝借画像)


映画「大脱走マーチ」・主題曲「大脱走マーチ」・サウンドトラック (YouTubeから共有)

ミッチ・ミラー合唱団の「大脱走マーチ」 (YouTubeから共有)


懐かしい映画と映画音楽・その68

2024年10月07日 20時16分25秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その68
映画「二人でお茶を」と主題曲「二人でお茶を」

往年の大スターや有名人の訃報を耳にする度、時代が変わっていく寂しさを感ずるものだ。さらに、前を歩いていた人、横を歩いていた人、周りの知り合いも、ある日突然居なくなり、次第に自分だけが取り残されていくような、一抹の孤独感を覚える今日この頃である。
若い頃、よく観た映画の中に、指折り数える程ではあるが、ドリス・デイ(Doris Day)出演の映画もある。彼女の訃報を知ったのは、今から5年前、2019年5月のことだった。その直後に、「ドリス・デイを偲んで」等と、ブログに書き込んでいたことを思い出し、その記事をクリックしてみると、ドリス・デイは、2019年5月13日、肺炎のため、アメリカ カリフォルニア州の自宅で息を引き取ったそうである。享年97歳だったという。
ドリス・デイと言えば、女優としてよりも歌手としての記憶が強い。彼女が歌い、大ヒットした曲は数多有り、それぞれが懐かしい。
その中の1曲、「二人でお茶を」が、ふっと思い浮かび、「懐かしい映画と映画音楽」のひとつに加えるべく、書き留め置くことにした。

今更になってネットで調べてみると
「二人でお茶を(Tea For Two)」は、1950年(昭和25年)に、デヴィット・バトラー 監督、ドリス・デイ、ゴードン・マクレイ等出演で、製作、公開された、アメリカのミュージカル映画「二人でお茶を(Tea For Two)」の主題曲だった。
元々は、1924年(大正13年)に、ミュージカル「ノー・ノー・ナネット」のために、アーヴィング・シーザーが作詞、ヴィンセント・ユーマンスが作曲した楽曲だったのだそうだが、映画「二人でお茶を」では、ドリス・デイ、ゴードン・マクレーがデュエット、その後、数多の歌手や楽団にもカバーされ、大ヒット、ジャズのスタンダードナンバーにもなっている。

(ネットから拝借画像)


映画「二人でお茶を」 (YouTubeから共有)

鈴木章治とリズムエース演奏の「二人でお茶を」 (YouTubeから共有)

ラテン風にアレンジされた「二人でお茶を」 (YouTubeから共有)


振り返り記事

         「センチメンタル・ジャーニー」 ⇨ こちら
         「ケ・セラ・セラ」       ⇨ こちら
         「恋の気分で」         ⇨ こちら
         「先生にお気に入り」      ⇨ こちら


 

 


懐かしい映画と映画音楽・その67

2024年10月06日 17時44分10秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「いつか王子様が」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その67
映画「白雪姫」と挿入曲「いつか王子様が」(再)

当地、今日は、朝方から午前中、結構まとまった雨が降っていたが、
午後には上がり、曇天ながら、時々薄日が射したりして、まずまずの天気になった。
妻が入院している病院の面会時間は、13時~16時30分、
しかも滞在時間は、20分と定められていて、
今日午後一に、面会してきたが、なんとも慌ただしい。
病院側では、現在また増え始めているコロナ院内感染に神経を尖らせており、
病室に入れるのは、家族のみ、
お見舞い等一切お断り、としている。
先日受けた手術自体は、全て順調、良好で、安堵していたものだが、
慣れない病院生活に、やや情緒不安定になっており、不安材料になってきた。
時間が解決してくれる・・・と信じて過ごすしかない。
帰宅しても、何もやる気起こらず、グテグテ、
自炊夕食の準備前の手持ち無沙汰な時間、
相互フォロワー登録している方々のブログ拝見していて、
ふっと、数年前に書き込んでいた「いつか王子様が」にアクセスがあったことに気が付き。
早速、「懐かしい映画と映画音楽」の一つに加えるべく、コピペ、リメイクすることにした。

今更になってネット等で調べてみると、
「いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)」は、1937年(昭和12年)に、アメリカで製作、公開された、ウオルト・ディズニーの世界初の長編アニメーション映画「白雪姫」の挿入曲の一つだった。
この映画の挿入曲には、「私の願い」、「ワン・ソング」、「歌とほほえみと」、「口笛ふいて働こう」、「ハイ・ホー」、「ブラドル・アドル・アム・ダム」、「小人達のヨーデル」、「いつか王子様が」等が有り、なんとなく聞いたことの有る曲が多い。
邦題は、「白雪姫」だが、原題は、「Snow White and the Seven Dwarfs」で、直訳すると、「白雪姫と七人の小人たち」、日本で公開されたのは、戦後、1950年(昭和25年)になってからだったようだ。当然、映画をリアルタイムでは観ているはずはなく、随分後年になって、テレビの映画番組かなにかで観たような気がしているが、「いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)」の方は、若い頃から、ポップミュージックとして、ダンス・ミュージックとして、ジャズのスタンダードとして、ずっと、聴いてきた気がしている。

(ネットから拝借画像)

映画「いつか王子様が」 (Youtubeから共有)

ビル・エヴァンス演奏の「いつか王子様が」 (YouTubeから共有)

「Some Day My Prince Will Come」  (YouTubeから共有)

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懐かしい映画と映画音楽・その66

2024年10月05日 10時57分28秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「唯一度だけ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その66
映画「会議は踊る」と主題曲「唯一度だけ」(再)

幼少時、北陸の山村で育ち、昭和30年代に、日本海に面した町の県立高校に通っていた頃の話、
1学年だったか、2学年だったか、記憶曖昧だが、授業の際には、必ず、その日の授業の復習問題、練習問題、応用問題等を、謄写版で刷ったわら半紙2~3枚を用意してきて、生徒全員に配布してくれるという一生懸命な、数学の男性教師、S先生がいた。
今で言うB4大のわら半紙にびっちり、その問題の量は半端ではなく、だいたいが、宿題用、自習用であったが、その中から、同種の問題が、中間テスト、期末テストに、必ず出題されるということもあって 結構、真面目に解いていたような気がする。
解いた後も、硬表紙をつけて、綴じ紐で整理すると、1年間でかなり分厚くなり、下手な、市販の問題集等より、中身が濃く、参考書代わりにもしていた程だった。
毎度の授業に合わせて、ガリ版で手書き作成し、何十枚も謄写版で刷る作業、今では、コピー機等で、数分間で仕上がってしまう作業であるが、当時は、時間的、肉体的に、大変な作業であったはずで、後年になってから、頭が下がる思いをしたものだ。
長身で、頬がこけて、やせ型、髪は、ボサボサ、いかにも教育者という風貌をしておられ、説明が丁寧で、大好きな教師であったが、どちらかと言うと、あまり無駄な話をせず、くそ真面目な教師だったため、授業中に、居眠りする生徒がいっぱいいたような気がする。

そのS先生が、ある日、数学の授業にも拘わらず、唐突に、ドイツ語の歌を謄写版で刷ったわら半紙を、生徒全員に配布したことが有った。
当時の田舎の高校生のこと、学校でも、暮らしの中でも、ドイツ語等、目にすることも、耳にすることも、皆無であって、当然、珍紛漢紛。
その歌が、戦前のドイツ映画「会議は踊る」の挿入歌「唯一度だけ」で有ること等について、多分、S先生は説明されたものと思うが、無知、無関心の生徒達には、何のことだかもさっぱり理解が出来なかったに違いない。生徒達が、ぽかーんとしているのを尻目に、それまでの、謹厳実直のS先生から想像も出来なかったことだったか、「こういう歌だ!」等と言って、自ら歌い出したのである。数学の時間中に・・・・・だ。
「ヴァイン イヒ ラッハイッヒ♪、トロイム イッヒ ヴァッハ イッヒ ♪・・・・」
「ダスカンダス レーベン、ヌアアインマル ゲーベン ♪・・・・・」
そして、ドイツ語の発音等、まるで出来ない生徒達に対して、驚いたことに、S先生は、そのドイツ語の歌詞の上に、カタカナを振らせ始めたのである。
どうしても、覚えて欲しい、歌って欲しいと言わんばかりに・・・・。
何回か復唱し、全員で声を出して歌った気がする。
当時は、気付くこともなかったが、もしかしたら、映画「会議は踊る」は、S先生にとって、青春時代の特別な思い入れの有る映画だったのかも知れない。
そして、自分の数学の授業が、生徒に嫌気がさされていることを知っていて、気分転換、息抜きの意味のサービスだったのかも知れないと等と、後年になってから、つくづく思ったものだった。

高校生時代にそんなことが有ったこともすっかり忘れていたが、ブログを始めて間もない頃に、たまたま、ネット上で、映画「会議は踊る」を知り、挿入曲「唯一度だけ」についても知り、さらに その「唯一度だけ」のドイツ語の歌詞に「カタカナ振り」がされている記事を見つけてしまい、「ああー、これと同じだ!」と 目から鱗・・・・、感慨無量となったものだ。
そのことは、これまで何度もブログにも書き込んできたが、またふっと思い出して リメイク、書き込みすることにした。

(ネットから拝借した、カタカナ振りされて「唯一度だけ」)

(ネットから拝借画像)

映画「会議は踊る」・挿入曲「唯一度だけ」    (YouTubeから共有)


今更になってネットで調べてみると
映画「会議は踊る(Der Kongreb tanzt)」は、1931年(昭和6年)に、エリック・シャレル監督、リリアン・ハーヴェイ、ヴィリー・フレッチ出演で制作、公開された、ドイツのコメディ映画だった。日本では、1934年(昭和9年)に公開され、ヴェルナー・リヒャルト・ハイマン、ロバルト・ギルバート 作詞・作曲の挿入歌の「唯一度だけ(Das gibt's nur Einmal)」も、ヒットしたのだそうだ。
映画「会議は踊る」の舞台は、ナポレオン・ボナバル失脚後のオーストリア。ウイーンに各国首脳が集まりウイーン会議が開催されたが、会議が長引き、その隙間を縫った、ロシア皇帝アレクサンドル一世とウイーンの街娘の夢のような逢瀬を描いた作品。トーキー初期を代表する名作と言われている。題名は オーストリアのある侯爵が言ったと言われる「会議は踊る、されど進まず」から借りたのだそうだ。
当然、映画の方は、これまで、一度も観たことはなく、内容については語れないが、挿入曲「唯一度だけ」の方は、記憶力衰退した後期高齢者になった今でも尚、そのメロディー、歌詞が脳裏に焼き付いていて、口ずさめるから不思議なことだと思っている。

 

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懐かしい映画と映画音楽・その65

2024年10月04日 08時29分52秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「河は呼んでいる」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その65
映画「河は呼んでいる」と主題曲「河は呼んでいる」(再)

メロディーや歌詞の一部が脳裏に焼き付いていて、口ずさむことさえ出来る曲なのに、その曲名や歌っていた歌手名が、全く思い浮かばないまま、何年も、モヤモヤしてしている曲って、結構有るものだ。
それがひょんなところから、まず歌手名に気付いたり、その歌手名から検索して、曲名が分かったりし、カチカチでなかなか出なかったものが やっと出たような、スッキリ爽快な気分になることがよく有る。
「河は呼んでいる」も、その一つだった。
ある時、ふっと、歌手名、中原美紗緒を思い出し、その曲名「河は呼んでいる」に気がついたのだった。
さらに、「河は呼んでいる」は、映画「河は呼んでいる」の主題曲だったことも分かり、
「へー!、そうだったのか」、
目から鱗・・・、になったものだ。

今更になってネットで調べてみると
「河は呼んでいる(L'eau Vive)」は、作詞・作曲 ギイ・ベアール(Guy Beart)のシャンソン曲で、1958年(昭和33年)に、フランソワ・ヴィリエ 監督、パスカル・オードレ、シャルル・ブラヴェット等出演で製作、公開されたフランス映画「河は呼んでいる(L'eau Vive)」の主題曲だった。
当時から現在まで、映画の方は、全く観た記憶が無いが、主題曲の方は、そのメロディ、日本語歌詞まで、妙に脳裏に焼き付いているのだ。
それは、日本では、映画公開当時 シャンソン歌手として人気が高かった中原美沙緒が、音羽たかし 訳詞の「河は呼んでいる」を歌い、大ヒット。同年のNHK紅白歌合戦でも歌っていた位だったからなのだと思う。

作詞・作曲 ギイ・ベアール(Guy Beart)
日本語訳詞 音羽たかし 
唄 中原美沙緒
「河は呼んでいる(L'eau Vive)

デュランス河の 流れのように
子鹿のような その足で
駆けろよ 駆けろ
かわいいオルタンスよ
小鳥のように いつも自由に

岸辺の葦に 陽はふりそそぎ
緑なす野に オリーブ実る
駆けろよ 駆けろ
かわいいオルタンスよ
心ゆくまで 子羊たちと

やがてすべてが 流れの底に
埋もれる朝が おとずれようと
ごらんよ ごらん
かわいいオルタンスよ
新しい天地に あふれる水を

(ネットから拝借画像)

映画「河は呼んでいる」・ツィター演奏・アントン・カラス(Anton Karas)
(YouTubeから共有)
 

中原美沙緒の「河は呼んでいる(L'eau Vive)」 (YouTubeから共有)


懐かしい映画と映画音楽・その64

2024年10月02日 20時11分55秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
昨日のこと、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「シェルブールの雨傘」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その63
映画「シャルブールの雨傘」と主題曲(再)

昭和30年代、40年代には、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、ほとんど、映画館に足を運ぶことも無くなってしまったが、映画「シェルブールの雨傘」は、かなり後年になってからのこと、夫婦で映画館に足を運び観たような気がする。その後にも、テレビに映画番組で、1~2回は観ていると思うが、ストーリーの方は、ほとんど記憶曖昧で、主題曲の方だけが、印象強く、脳裏に焼き付いている映画である。

今更になってネット等で確認してみると、
映画「シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)」は、1964年(昭和39年)に、ジャック・ドウミ監督、カトリーヌ・ドヌーヴ、ニーノ・カステルヌオーヴォ等主演で製作、公開された、全編が、音楽のみ、台詞が一切無しの、画期的な形式の、フランスのミュージカル映画だった。
ミッシェル・ルグランによる、甘美なメロディの主題曲「シェルブールの雨傘」は、映画の中では、ダニエル・カーリが歌い(吹替)、同年、ナナ・ムスクーリが、フランス語と日本語で歌ったが、日本でも、様々な日本語訳で、木之内みどり、麻丘めぐみ、ザ・ピーナッツ、岩崎宏美、河合奈保子、美川憲一、いしだあゆみ、小野リサ、白鳥英美子等 多くの歌手が歌っていたようだ。

(ネットから拝借画像)


映画「シェルブールの雨傘」・サウンドトラック (YouTubeから共有)

ミシェル・ルグラン&羽田健太郎演奏の「シェルブールの雨傘」 (YouTubeから共有)

ザ・ピーナッツの「シェルブールの雨傘」 (YouTubeから共有)