たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

百人一首で「春」を詠んだ歌(まとめ)(再)

2025年01月07日 17時36分02秒 | 懐かしい小倉百人一首

「小倉百人一首」で、「春」を詠んだ歌と言われているものは、一般的に、9首とされている。
これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきた記事を振り返り、
改めて、まとめてみた。


百人一首で「春」を詠んだ歌

歌番号                                   作者
15 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ    光孝天皇
   ⇨ こちら

35 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける     紀貫之
   ⇨ こちら

61 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな     伊勢大輔
   ⇨ こちら

33 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ       紀友則
   ⇨ こちら

09 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に 小野小町
   ⇨ こちら

67 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ   周防内侍
   ⇨ こちら

73 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ     前中納言匡房
   ⇨ こちら

96 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり    入道前太政大臣
   ⇨ こちら

66 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし     前大僧正行尊
   ⇨ こちら


 


偉人賢人先人の名言あれこれ・その7

2025年01月07日 15時45分58秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

偉人賢人先人の名言あれこれ・その7
「つもりちがい十ヶ条」(再)


gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。
「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ
古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、
「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしている。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に
決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、
大いに活用しているという次第。
数年前に書き留めていた記事、「つもりちがい十ヶ条」に、アクセスが有ったことに、先日、気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


相互フォロワー登録している数多の方々のブログを拝読するようになって久しいが、何年か前のある日、ある方のブログ記事で、「元善光寺」に目に止まったことが有った。
それまで、すっかり脳裏から消え去っていた「元善光寺」だったが、「もしかしたら、あの元善光寺?」・・・・、記憶が炙り出てきたのだった。
40年数年前のこと、所属団体の親睦旅行で、1度訪ねたことのある、長野県飯田市にある、天台宗の寺院「元善光寺」だ。

今更になってネットで調べてみると、
「元善光寺」は、推古天皇の時代に創建された寺院。地元の住人、本多善光が、難波の堀江(現在の大阪)で、「善光寺如来の本尊」を見つけて持ち帰り、自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことから、「座光寺」としたことが始まりとされている。その後、勅命によって、「善光寺如来の本尊」は、現在の長野市へ還座され、本多善光の名前を取って、「善光寺」と名付けられたため、もともとの「座光寺」は、「元善光寺」と呼ばれるようになったということである。

「一度詣れよ 元善光寺 善光寺だけでは 片詣り」

実は、ある方のブログで目に止まったのは、「元善光寺」の沿革等ではなく、元善光寺の住職が作られたという、「つもりちがい十ヶ条」の方なのだ。
40数年前に訪れた際には、全く気がつかなかったのか、全く関心が無かったのか、いただいた記憶がまるで無いのだが、いろいろなところで広く紹介されていることを、初めて知り、目から鱗・・となったのだった。

「つもりちがい十ヶ条」は、二行で一連、五連の語句になっており、一連毎、なかなか含蓄のある 人生訓のようで、ある種、ユーモアも有り、思わず頷いてしまう。
ついつい偏見と傲慢になりがちな我々に対する警句とも言える。なるほどと感じ入りながら、肝に銘じて暮らして行きたいものだと思ったものだ。

信州 元善光寺の「つもりちがい十ヶ条」

高いつもりで 低いのが 教養
低いつもりで 高いのが 気位

 深いつもりで 浅いのが 知識 
浅いつもりで 深いのが 欲望

 厚いつもりで 薄いのが 人情 
  薄いつもりで 厚いのが 面の皮 

 強いつもりで 弱いのが 根性 
 弱いつもりで 強いのが 自我 

 多いつもりで 少いのが 分別 
 少いつもりで 多いのが 無駄 

以後、上記をプリントし、壁に貼り付けて、座右の銘?となっている。

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「マイ・ホーム・タウン(My Home Town)」(再)

2025年01月07日 08時36分43秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。
「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、
「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしている。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
6年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「マイ・ホーム・タウン」にアクセスが有ったことに、先日気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「マイ・ホーム・タウン(My Home Town)」(再)


生まれ育った地や幼少時期を過した地は、良かれ悪かれ、心に刻まれて、決して忘れることの出来ないものだと思う。
「ふるさとはとおきにありておもうもの、そしてかなしくうたうもの・・・・・」、
どんなに時代が変わろうと、数十年前に、小さな目で見た情景は、セピア色化した映像となって脳裏に焼き付いているものだ。
連続テレビドラマで映画化された「おしん」は、記憶曖昧だが、確か、高齢になったおしんが、自分が育った故郷を訪ね、回想する場面から始まっていたような気がする。
人は、年老いてから故郷の地を踏んだ時、これまで歩んできた全てが、走馬灯の如く、思い浮かんでくるのかも知れない。
相互フォロワー登録している数多のブログでも、故郷を思う記事が散見出来るが、共感すること多しで、郷愁にかられてしまう。
現実的には、親の高齢化介護問題、空き家問題、過疎限界集落問題、お墓問題等々、多様な問題を抱える故郷ではあるが、隣人には分らない 自分だけの心の故郷が有ることは、有難いことだとも思っている。


昭和20年代、30年代の、北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。


「故郷」「ふるさと」は、英語で、「Home Town」。
「Home Town」から、ふっと思い浮かんできた曲が有る。
「マイ・ホーム・タウン」だ。
今更になってネットで調べてみると
「マイ・ホーム・タウン(My Home Town)」は、1960年(昭和35年)に、作詞、作曲、唄 ポール・アンカで発表された楽曲だった。
日本では、ザ・ピーナッツ、ダニー飯田とパラダイス・キング等にカヴァーされ、当時、よくラジオ等から流れてきて、耳に馴染んだ曲だった。

ポール・アンカ の 「マイ・ホーム・タウン」 (YouTubeから共有)

ザ • ピーナッツ の 「 マイ・ホーム・タウン」  (YouTubeから共有)