M男が オリンピックというものを初めて知ったのは まだ小学生の頃だったはずだ。
1952年(昭和27年)に フィンランドのヘルシンキで開催された ヘルシンキ オリンピックの話である。
当時 海外からのニュースを見聞きする手段としては ラジオ放送か新聞、はたまた かなり遅くなってから映画館で上映される 「ニュース映画」程度であったが M男が どんな形で ヘルシンキ オリンピックのことを 見聞きしたかのかは 記憶定かでない。
ヘルシンキが 北欧の国 フィンランドの都市であるくらいは 教えてもらったろうと思われるが 遠い世界のこと、どんな競技で どんな結果だったか等も、記憶出来る年齢ではなかった。
ヘルシンキ オリンピックについて 概略を知ることになったのは ずいぶん後年になってからのことである。
ヘルシンキ オリンピックは 本来 戦争激化で 開催中止となった 「1940年 東京オリンピック」の代替として 開催されることに決まっていたが 第2次世界大戦のため返上され 開催予定から12年後の1952年に 開催されたということだ。
日本としては 戦後初めてのオリンピック参加であり かなり 力が入っていたに違いないが 北陸の山村にあっては まだまだ スポーツで 盛り上がるような 余裕の有る時代ではなかったように思う。
日本からの選手団は 選手 72名、役員 31名、主将は 競泳の 古橋廣之進 だった。
メダル獲得数 6個は 国別順位で 17位。
金メダル、1個、石井庄一、(レスリング、フリースタイル、バンタム級)
銀メダル 6個 鈴木弘 (競泳 100m自由形)
橋爪四郎 (競泳 1500m自由形)
鈴木弘、浜口喜博、後藤暢、谷川禎次郎(競泳 800mリレー)
北野祐秀 (レスリング、フリースタイル、フライ級)
上迫忠夫 (体操競技、徒手)
竹本正男 (体操競技、跳馬)
銅メダル 2個 上迫忠夫 (体操競技 跳馬)
小野喬 (体操競技 跳馬)
戦後 1948年には 「ロンドン オリンピック」が開催されたが 敗戦国である日本は 参加が出来なかったため 競泳で 世界新記録を樹立し フジヤマのトビウオと称されていた 古橋廣之進も 「ヘルシンキ オリンピック」では すでに ピークを過ぎていて メダル獲得が叶わなかったと言われている。
リオデジャネイロ オリンピック 開催中であり 多くの競技で メダル獲得している日本、隔世の感有りである。