たけじいの気まぐれブログ

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わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし

2023年10月15日 09時10分13秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その30

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし

出典
千載集(巻十二)

歌番号
92

作者
二条院讃岐

歌意
私の着物の袖は、潮の引く時にも、
水面に現れない沖の(海中の)石のように
人は(あなたは)知らないでしょうが、
(あなたを恋い慕って、涙で)
乾く暇もありませんよ。

注釈
「潮干(しおひ)に」は、「潮が引く時に」の意。
「見えぬ沖の石の」は、「潮が引いても見えない沖の石(海中の石)の」の意。
「人こそ知らね」の「人」は、世間一般の人とも、恋する相手ともとれるが
恋する相手と解釈したい。
「ね」は、打ち消しの助動詞、「けれども」の意。
「かわく間もなし」は、「いつも濡れ通しで、乾く暇が無い」の意。

「千載集」の「詞書(ことばがき)に、
「寄石恋」(石に恋寄する)と有り、
「沖の石(海中の石)」に、自分自身の姿を感じるという
独創的な発想で生まれた歌であることが分かる。
この歌により、作者は、後世の人に
「沖の石の讃岐」等とも呼ばれ、讃えられたと言われている。


二条院讃岐(にじょういんさぬき)

源三位頼政(げんざんみよりまさ)の娘。
第78代天皇、二条天皇に仕え、女房名を「讃岐」と呼ばれていた。
その後、第82代天皇、後鳥羽天皇の中宮宣秋(ぎしゅう)
門院任子(にんし)に仕えたとも言わている。
「千五百番歌合」にも加えられ、
式子内親王と並ぶ、当代一流の女流家人だった。
家集に「二条院讃岐集」が有る。


(蛇足)
二条院讃岐の「わが袖は・・・」を捩った川柳

人こそ知らねかわく間も嫁はなし

お姑さんにいじめられでもしたのか、
嫁が物陰に隠れて人知れず泣いている
の意の句


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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