たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

民謡をたずねて・その35

2024年06月28日 16時07分31秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その35
「佐渡おけさ」
(新潟県)

「佐渡おけさ」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100選」等で、「江差追分」等と並び、常に、トップ、または、ベスト5にランクされるような民謡のひとつである。
子供の頃から、すんなりと脳裏に焼き付いている民謡のひとつでもあり、「日本の民謡」と言えば、第一に、「佐渡おけさ」・・・、と答えてしまう類である。
今更になってネット等で調べてみると
「佐渡おけさ」は、新潟県佐渡の民謡として、全国的に広く知られている民謡ではあるが、実は、北九州の「ハイヤ節」が元になっている民謡なのだと言う。「ハイヤ節」とは、江戸時代、日本海側の港港を結びながら蝦夷地(北海道)まで、物資を運んだ北前船の船頭達が酒盛りの席で歌った船頭唄だったが、北前船の寄港地のひとつ、佐渡金山で掘り出されて金の積み出し港だった小木港にも伝わり、小木では、「ハイヤ節」は、「小木おけさ」となり、座敷踊りとして振り付けされたのだと言われる。
さらに、相川金山の選鉱場の作業唄「選鉱節」として歌われるようになり、振り付けに工夫が凝らされ、「相川おけさ」となったが、1924年(大正13年)に、創設された相川町の民謡保存団体「立浪会」が、「佐渡おけさ」と命名し、演奏されるようになり、1926年(大正15年)には、地元の歌手村田文三によりレコード化されたり、山田耕筰により採譜されたりし、全国的に広がったのだそうだ。哀調を帯びた旋律、洗練された優雅な踊りは、人々を魅了し、次第に、日本の民謡の代表的存在になったようだ。
1931年(昭和6年)には、浪曲師寿々木米若が、民話「佐渡情話」をアレンジ、浪曲中に、「佐渡おけさ」を取り入れて大ヒット、「佐渡おけさ」が、さらに脚光を浴びたのだそうだ。
ところで、「佐渡おけさ」の「おけさ」とは?
その語源には、諸説や伝説が有るようで、例えば、桶屋佐助(おけやのさすけ)のふいご唄から始まったから、だとか、盆踊りの浮かれ坊主の袈裟(けさ)にちなんで生まれた言葉、だとか、相川に落ち延びた織田信長の娘とその腰元達が生活の糧に稼ぐために歌ったもの、だとか、古くから小木港で歌われていた「おきこ節」がなまって「おけさ節」になった、だとか、
いずれも、明確では無いようだ。
「へー!、そうだったのか」
目から鱗・・・、である。

「佐渡おけさ」  (YouTubeから共有)


振り返り記事・「佐渡情話・寿々木米若」
👇️
こちら


 

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土砂降りの雨の中を、Go To 畑!、

2024年06月28日 13時55分22秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日の天気予報は、「雨、時々止む」、
だったので、
止んだら、畑へ・・・、
と思っていたものだが、
朝から土砂降りで、一向にやむ気配無し、
  もう、3日間も行ってないし・・・・、
  明日、明後日は、予定有り、行けないし・・・、
  今日はどうしても、様子を見てこなくちゃ・・・、
ということで、
結局、土砂降りの中を、Go To 畑! と相成った。

(1)キュウリ、ナス、収穫、

(2)インゲンマメ、収穫、
   またまた、
   「トレスギチャッテ コマルノー ♫」
   どうする?、どうする?・・・・、

やれ、やれ・・、

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振り返り記事・「ノンノン旅立つ」

2024年06月28日 09時19分55秒 | 暮らしの記録

「十年一昔」という言葉が有る。
10年前、12年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、12年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真やブログ記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。
そこには、確実に今より10歳若い、12歳若い自分がいたのだと、感慨深くもなる。

12年前の今日、2012年6月28日
当時はまだ、「OCNブログ人」で、初めてブログを始めてから1年目位で、自営業を続けていた頃だったが、その日、我が家の飼い猫ノンノンが息を引き取ったことを、書き込んでいた。
「そうか、12年前だったか・・・」、
すっかり、脳裏から薄れていた記憶が、蘇ってきた。


振り返り記事・「ノンノン旅立つ」
👇️
こちら


2019年1月4日のノンノン

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民謡をたずねて・その34

2024年06月27日 11時36分47秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり記憶が無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

                  

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
ブログ・カテゴリ-「懐かしいあの曲」に、書き留め置こう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その34
「田原坂(たばるざか)」
(熊本県)

「田原坂」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等で、常にランクインされる民謡のひとつであり、子供の頃から、ラジオ等から流れてくるのを聞いていて、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡である。ただ、子供の頃は、「田原」を、なんで「たばる」と読むのか、違和感を感じていたような気がする。後年になって、九州地方には、「原」を「ばる」と読む地名が、沢山有ることを知り、納得したものだったが・・・・。

今更になってネット等で調べてみると、
「田原坂」は、熊本市北区にある坂で、明治時代までは、昼なお暗いほど立ち木に覆われていた地で、1877年(明治10年)の西南戦争の激戦地になってから有名になったのだそうだ。
西郷隆盛率いる薩摩軍が、近代的装備をもつ官軍に決戦を挑んだものの、3月20日には、敗戦が確定的になり、その戦況を、薩摩軍の本陣が有った人吉まで伝える役目を命じられたのが20歳の美少年三宅伝八郎で、「右手(めて)に血刀、左手(ゆんで)に手綱(たづな)、馬上ゆたかに美少年」と、歌詞によみこまれている。実際に、この曲が出来たのは、明治37年頃、日露戦争の頃なのだそうで、かっての田原坂の激戦を歌って、日本軍の士気を鼓舞しようとしたものだとも言われているようだ。
「へー!、そういう民謡だったのか・・・」
目から鱗・・・、である。

「田原坂」  (YouTubeから共有)
 

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脳トレのつもりで捻る五七五 2024年6月

2024年06月26日 11時00分57秒 | 川柳・俳句・五七五

「OCNブログ人」で初めてブログを始めた2011年頃までは、「川柳」にも、まるで興味も関心も知識も無かった気がする。どちらかというと、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、まるで面白みの無い人間、それまでイメージしていた「川柳」は、程遠い存在だと思っていた。それが、ブログを開設して数年後のある時、新聞を読んでいて、「川柳人気急上昇」「初めての川柳」等という記事が、何故かふと目に止まり、「なんだか、簡単そう?、面白そう?・・・・」、「もしかしたら、頭の体操に、いいかも?」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、とりあえず、「五七五言葉並べ遊び」を始めたのだった。当然、「川柳」等と言えるものでなく、自己満足だけのものだったが、今から5年前頃のこと、相互ブログフォロワー登録している方から、お声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、そんな拙句、駄句を、投句してしまうことにもなってしまった。結果、何も分からなかった「川柳」の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしているが、所詮 「川柳」の才能等、まるで無しの爺さん。スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に紡ぐという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少は役立つかも知れない等と、勝手に思い込んで続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ「川柳」(川柳もどき)、忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・五七五」に、書き留め置くことにしている。


脳トレのつもりで捻る五七五 2024年6月

団栗

お題「しずく」
  手水鉢(ちょうずばち)雨垂れ受けてショパン弾き
  顔覆う(おおう)腕に滴る(したたる)汗涙
  蹲(つくばい)が雨垂れ受けて子守唄
  目薬の一滴いくら弾く(はじく)妻

お題「箱」
  下駄箱で待ちかねているハイヒール
  欲の皮粗品も大の箱選ぶ
  下駄箱で待ち草臥れた登山靴
  今の世に娘を入れる箱は無い

お題「雨」
  粋な雨バラにも真珠プレゼント
  雨かいな祝辞変えるに大慌て    (ちかよし選・ここせん「入選」)
  雨垂れに合わせてうつら老夫婦

お題「折る」
  折れぬ妻最後にゃ俺折れ平和維持
  腰折られ何話してた人に訊き
  五七五指折るクセがついちゃった

折句「く・す・り」
  草臥れて少し早いがリタイアしょ
  悔しくて直ぐ立ち直りリベンジを

折句「き・れ・た」
  記憶無くレシート出して確かめる
  きっとまた列が出来てる宝くじ
  緊張の連続だった谷渡り


 

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