たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

1月11日、陽だまり散歩・ウオーキング

2025年01月11日 17時24分51秒 | 散歩・ウオーキング

今冬最強寒波にみまわれ、ここ数日、全国各地で、降雪、積雪、
特に、青森県等では、記録的積雪による大きな被害が発生、
大雪の暮らしの大変さを知る北陸の山村育ち、心が痛む。
世の中は、今日から3連休、
おとなしく、冬将軍が撤退してくれることを願うばかりだ。
関東南西部山沿いの当地、
今日も「晴」、最低気温=-5℃、最高気温=11℃
朝の内は、この時期相応の厳しい冷え込みで、家籠もりを決め込んでいたが、
しばらく、散歩・ウオーキングを休んでおり(サボっており)
いかん、いかん、
そろそろ再始動?、しなくっちゃ、
午後になり、やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
風が弱まったせいで、陽だまり等では、体感的に温かくも有り、
スマホの歩数計で、約5,700歩。

 

 

イノシシ出没?の痕跡か?

モズ?・・・かな?

 

 

コガモ?

コメント

偉人賢人先人の名言あれこれ・その8

2025年01月11日 11時30分05秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

偉人賢人先人の名言あれこれ・その8
「百の頂に百の喜びあり」


「日本百名山」の著者、深田久弥氏の残した言葉の中で最も有名な言葉に、
「百の頂に百の喜びあり」が有る。
読んで字の如くの言葉であるが、登山愛好者なら知らない人はいないはずの名言である。
ゲーテの「すべての頂に憩あり」からの引用された言葉として知られているが、
単に登頂の喜びだけでなく、人生の喜びを含んだ、
深い意味を持つ言葉ではないかと思っている。
「日本百名山」は、日本全国の山々から、百座を選んで半世紀にわたる自らの登山歴を綴った深田久弥氏の名著。
氏は、「百名山」の選定基準として、「山の品格」、「山の歴史」、「個性のある山」を挙げている。人に「人格」があるように、山には「山格」があるとして、氏の主観で選んだ「百名山」には、様々な意見もあるが、登山愛好者にとっては、今やバイブル的な存在になっていることは明白である。
氏は、1971年(昭和46年)3月、山梨県の「茅ヶ岳」登頂を目前にして、突然の脳溢血で死去、
彼の終焉の地である「茅ヶ岳」の麓には、「深田久弥記念公園」が有り、
「百の頂に百の喜びあり」は、その園内に、氏の碑文として残されている。


深田久弥氏終焉の地「茅ヶ岳」には、もう、20年以上前頃の話、山の会の仲間と1回、妻と二人で1回、友人と二人で1回、3回訪れたことが有った。
いずれも日帰りの慌ただしい山歩きではあったが、2001年5月13日、妻と二人で訪れた時に、バカチョンカメラで撮っていた写真をスキャナーで取り込んだものが残っており、久し振りに引っ張り出してみた。


(ネットから拝借画像)
深田久弥著「日本百名山」
(新潮文庫)


 

 

 

 

コメント

読めない書けない難漢字 No.82

2025年01月10日 13時31分23秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ、新聞等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が、結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗・・・・、になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字であっても、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しである。


先日、読み終えた時代小説の途中で、ふっと目に止まった漢字が有った。
子供の頃からよく聞いたり、話したり、知っている慣用句、「しらみつぶし」だが、
どうも、これまで、しっかり漢字を覚えたり、自分で書いたこと、一度も無かったような気がする。
文章等では、その文脈から、なんとなく読めるが、いきなり、「漢字で書いて見ろ」と言われると、
「えーっと?、えーっと?」に、
なってしまう言葉だ。
別に、「しらみつぶし」という言葉を漢字を書けなくても、日常、困ること無しだが、ブログ・カテゴリー「つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ」に、書き留め置くことにする。

















(漢字)

虱潰し

(意味)

物事を、片っ端から、残らず、一つ一つ、処理していくこと    

虱(しらみ)とは、
体調1mm~3mm程の
微小な昆虫で、
人体や動物に寄生し吸血する昆虫。
頭部等に取り付かれると大変、
虱を取る場合、
髪の一本一本を調べて、
潰していかなくてはならず、
その様子を例えた慣用句。     

(用例)
警察官達が手分けして、その地域を
虱潰しに調べたが、何も見つからなかった。

(拡大してみると)

虱潰し


(蛇足)
平成、令和世代は、虱(しらみ)自体を、
知らないのではないかと思われる。


 

コメント

葉室麟著 「暁天の星」

2025年01月09日 20時20分52秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「暁天の星(ぎょうてんのほし)」(PHP)を読み終えた。
本書には、故・葉室麟氏が、最期に「これだけは書いておきたい」と願い、病と闘いながら書き続けたとされる長編の「暁天の星」と、特別収録として、短編の「乙女がゆく」が、収録されている。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。



▢目次
  「暁天の星」 (一)~(十八)
  特別収録 「乙女がゆく」
  解説 細谷正充
  刊行によせて 葉室涼子


「暁天の星」

▢主な登場人物
 陸奥宗光(むつむねみつ、伊達小次郎)・亮子(りょうこ)・清子、
 伊藤博文・梅子、勝海舟、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、西郷隆盛、
 岩倉具視、大隈重信、
伊藤馨・武子、大山巌・捨松、板垣退助、福沢諭吉、
 伊藤祐享、
戸田極子(きわこ)、
 馬場辰猪(ばばたつい)、川上操六、
 坂本龍馬、中岡慎太郎
▢あらすじ等
 本書の主人公は、陸奥宗光。幕末に、徳川御三家の紀州藩の藩士伊達宗広の第6子として
 生まれたが脱藩、
 坂本龍馬に愛され、海援隊で頭角を現し、明治新政府では県知事などを務めたが、政府転覆を
 企てたとして投獄されてしまい、不遇の時代を経て、明治新政府で外交官として、その才能を
 花開かせた人物。
 第二次伊藤博文内閣では、外務大臣として欧米列強と対峙し、不平等条約の改正に尽力した。
 日本の尊厳を賭けて強国に挑んだ陸奥の気概が描かれている。
 不平等条約改正、鹿鳴館、外交、赤煉瓦造り、銀座、自由民権運動、駐米公使、独立戦争、
 日英通商航海条約、日清戦争、
   「目指す頂はひとつでも、登る道はいくつも有るぜよ」
   「おまん、ちいとやりすぎちょる」、
   龍馬なら、痛快だと思ってくれるだろうか。叱るだろうか。

   博文が言う。
   「わしらはこれから国民の大きな欲望を抱えて奔ることになるぞ」
   もし、そうだとすると、そうならないために、
   自分は暁に輝く明けの明星として、国家の行く末を照らさねばならない。
   陸奥はそう思った。
   明治28年3月下旬、下関で講和会議が始まった。陸奥は講和交渉に臨んだ。
   新たな闘いの始まりだった。
で終わっており、「未完」となっている。
本書は、歴史的事実記載多く、他の葉室麟著の時代小説とは、やや作風が異なっているが、
著者が、最後に本当に伝えたかったこと、「日本の近代化とは何か」を、溢れる想いで描いている作品だ。

著者のご令嬢葉室亮子氏は「刊行によせて」の中で、
  陸奥宗光の半生を描こうとした「暁天の星」は、明治維新を問う、父にとって欠かすことの
  出来ない小説でした。条約改定に取り組む陸奥と、その心に寄り添い支え続けた妻亮子を
  通して、
幕末から明治時代にかけて日本の歴史がどのように動いたのかが描かれています。
  読むだけで心が暗くなってしまうような戦争の悲惨な事実に目を背けず、日本の歴史と
  正面から向き合い、その意味を考えること、それが父の望んだことなのかもしれません。

と、記述されている。


「乙女がゆく」

▢主な登場人物
 坂本竜馬・お龍(おりょう)、
 乙女・岡上樹庵、
 お登勢(寺田屋女将)、
 平井かほ、千葉さな子、
 木戸孝允(木戸貫治、桂小五郎)、西郷隆盛(吉之助)、
▢あらすじ等
 薩長同盟工作中の坂本竜馬が投宿していた京の寺田屋に、突然、竜馬の姉乙女が、土佐から
 訪ねてきて、お龍、お登勢と対面、乙女の一面を描いている短編作品。

   「ほなら、寺田屋はその門出どすな」
   お登勢はうなずいた。なぜか目に涙がたまっていた。
   乙女も涙ぐみそうになったが、ひとに泣き顔を見られるのは嫌だった。
   立ち上がると笠を手に土間を降りた。


 

コメント

百人一首で「春」を詠んだ歌(まとめ)(再)

2025年01月07日 17時36分02秒 | 懐かしい小倉百人一首

「小倉百人一首」で、「春」を詠んだ歌と言われているものは、一般的に、9首とされている。
これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきた記事を振り返り、
改めて、まとめてみた。


百人一首で「春」を詠んだ歌

歌番号                                   作者
15 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ    光孝天皇
   ⇨ こちら

35 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける     紀貫之
   ⇨ こちら

61 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな     伊勢大輔
   ⇨ こちら

33 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ       紀友則
   ⇨ こちら

09 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に 小野小町
   ⇨ こちら

67 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ   周防内侍
   ⇨ こちら

73 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ     前中納言匡房
   ⇨ こちら

96 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり    入道前太政大臣
   ⇨ こちら

66 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし     前大僧正行尊
   ⇨ こちら


 

コメント