昭和20年代~30年代前半、北陸の山村で 幼年期、少年期を過ごしたが 毎年 正月になると 父親が読み手となり、負けず嫌いの母親も加わり、冷たい座敷の畳で 百人一首かるた取りをする習慣が しばらく続いていた。歌意も何も分からずだったが 繰り返し繰り返し、見たり聞いたりしている内に 子供的に覚えやすい歌だったのかどうか、なんとなくうろ覚えした歌がいくつか有ったような気がする。「田子の浦に ・・・・」、「天津風 ・・・」、「淡路島 ・・・」、「大江山 ・・・」、等であり、目につけている字札が取られてしまうと がっかりしたものだが、上記「いにしへの・・・」もその一つだった。「けふ、けふ、けふ・・・」とつぶやきながら 字札を探したものだ。
小倉百人一首で春を詠んだ歌 その3
いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな
出典
詞花集(巻一)
歌番号
61
作者
伊勢大輔(いせのたいふ)
歌意
昔の奈良の都で咲いていた八重桜が
今日、この平安の都の、この宮中で
一段と美しく咲き誇っていることでございます。
「いにしへ」・・「今日」と対照表現、
「八重」・・「九重(宮中)」と対照表現、
「今日」・・京(平安京)の意を響かせている。
「にほひ(匂い)」・・香りではなく 美しく咲いている意。
家集「伊勢大輔集」の詞書(ことばがき)に
この歌が詠まれた状況等が記されているそうである。
↓
新参者である作者伊勢大輔が
古都奈良から奉られた(たてまつられた)桜を取り入れる役目を
紫式部から譲られ、藤原道長から歌を詠むように言われ、
中宮彰子(しょうし)の御前で
緊張して詠んだ即吟の歌であり、
伊勢大輔が 万葉集の
「青丹によし、奈良の都は、咲く花の
にほふがごとく、今さかりなり」(小野老朝臣)を
知っていたのではないかと推測される歌だという。
伊勢大輔
伊勢の祭主大中臣輔親(おおなかとみすけちか)の娘。
筑前守高階成順(たかしななりのぶ)の妻。
一条天皇の中宮彰子(しょうし)に仕え、
紫式部、和泉式部、相模等とも親交があり、
宮中の歌合わせ等で活躍、
歌才をたたえられていた女性。
参照・引用
「小倉百人一首」解説本(文英堂)
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