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いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

2020年03月01日 09時22分43秒 | 懐かしい小倉百人一首

昭和20年代~30年代前半、北陸の山村で 幼年期、少年期を過ごしたが 毎年 正月になると 父親が読み手となり、負けず嫌いの母親も加わり、冷たい座敷の畳で 百人一首かるた取りをする習慣が しばらく続いていた。歌意も何も分からずだったが 繰り返し繰り返し、見たり聞いたりしている内に 子供的に覚えやすい歌だったのかどうか、なんとなくうろ覚えした歌がいくつか有ったような気がする。「田子の浦に ・・・・」、「天津風 ・・・」、「淡路島 ・・・」、「大江山 ・・・」、等であり、目につけている字札が取られてしまうと がっかりしたものだが、上記「いにしへの・・・」もその一つだった。「けふ、けふ、けふ・・・」とつぶやきながら 字札を探したものだ。


小倉百人一首で春を詠んだ歌 その3

いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな

出典 
詞花集(巻一)

歌番号
61

作者
伊勢大輔(いせのたいふ)

歌意
昔の奈良の都で咲いていた八重桜が 
今日、この平安の都の、この宮中で 
一段と美しく咲き誇っていることでございます。

「いにしへ」・・「今日」と対照表現、
「八重」・・「九重(宮中)」と対照表現、
「今日」・・京(平安京)の意を響かせている。
「にほひ(匂い)」・・香りではなく 美しく咲いている意。

家集「伊勢大輔集」の詞書(ことばがき)に 
この歌が詠まれた状況等が記されているそうである。

新参者である作者伊勢大輔が 
古都奈良から奉られた(たてまつられた)桜を取り入れる役目を
紫式部から譲られ、藤原道長から歌を詠むように言われ、
中宮彰子(しょうし)の御前で 
緊張して詠んだ即吟の歌であり、
伊勢大輔が 万葉集の
「青丹によし、奈良の都は、咲く花の 
にほふがごとく、今さかりなり」(小野老朝臣)を
知っていたのではないかと推測される歌だという。

伊勢大輔
伊勢の祭主大中臣輔親(おおなかとみすけちか)の娘。
筑前守高階成順(たかしななりのぶ)の妻。
一条天皇の中宮彰子(しょうし)に仕え、
紫式部、和泉式部、相模等とも親交があり、
宮中の歌合わせ等で活躍、
歌才をたたえられていた女性。


参照・引用
「小倉百人一首」解説本(文英堂)


 


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