数年前までは、まるで「読書の習慣」等は無く、「図書館通いする暮らし」になるなんて、全く想像もしていなかった爺さんである。ブログを始めてまもなくの頃、ちょうど、続けていた自営業を完全に辞めた頃だったが、相互フォロワー登録しているある方から、「藤沢周平の時代小説」をすすめられたことが有り、それまで、一切、読んだことも無かった藤沢周平作品を、そっと読んだことが有った。そのことがきっかけで、少-しずつ読書の習慣が身に付いてきたような気がしている。これも、やっぱり、ブログをやっていたからこそ起こった「自分の変化」だと思っている。
ただ、読書に慣れていない読書初心者であり、視力、記憶力減退、根気力無しの爺さん、主に、軽く、読破し易い「短編」の「時代小説」を中心に読んできた気がする。はなから、長編小説は敬遠し、藤沢周平作品についても、次々と読んではきたが、ほとんど短編物だった。まだ読んで無い作品一覧を見ると長編物が多く、最近になってやっと長編物にも手を伸ばす気になっているところだ。
今回は、藤沢周平著、回天の門」(文藝春秋)を、図書館から借りてきて、読み終えた。予想通り、なかなか読み応え有りの長編で、読んでも直ぐ忘れてしまう爺さん、行きつ戻りつ、かなり日数が掛かってしまったが、なんとか読み切り、「やれやれ」の気分になっている。
「回天の門」は、羽州庄内領清川村で酒造業を営んでいた素封家斎藤家の長男に生まれた斎藤元司(後の清河八郎)が、その「ど不敵」な性格から、家を無視し江戸に出て、学問と剣術に励み、文武両道の塾を目指したが、時勢が急変、やがて交際する友人達の影響も有って、同士と共に「虎尾の会」を結成、国事に奔走、しゃにむに倒幕活動に突き進み、覚悟の上で討たれるまでを描いた時代小説である。歴史上の人物、清河八郎について、その存在すらも認識が無かった爺さん、「へー!、そうだったの・・」、「目から鱗・・」で、大いに勉強になった作品でも有る。
「あとがき」で、著者は、
「清河八郎は、かなり誤解されているひとだと思う。山師、策士あるいは出世主義者といった呼び方まであるが、この呼称には誇張と曲解があると考える。おそらく幕臣の山岡鉄斎や高橋泥舟などと親しく交際しながら、一方で幕府に徴募させた浪士組を、一転して攘夷の党に染め変えて手中に握ったりしたことが、こうした誤解のもとになっていると思われる。・・・(中略)・・・八郎は、草東奔の志士だった。草奔なるがゆえに、その行動は屈折し、多くの誤解を残しながら、維新前期を流星のように走り抜けて去ったように思われる。・・・(後略)・・」
著者が「回天の門」を執筆する経緯は、山形県庄内町に有る「清河八郎記念館」の初代館長が藤沢周平の恩師にあたり、小説化を依頼されたためと言われているが、郷土出身の異端児・風雲児清河八郎を、実に人間臭く、郷土の風土、風景をいかんなく描いた、藤沢周平ならでは作品だと思う。
目次
「遊蕩児」「旅絵師」「色町の秋」「出奔」「定めなく」「北辰一刀流」「江戸清河塾」「めぐり逢い」「遠い嵐」「淡路坂」「大転回」「土蔵の中」「男の首」「逃避行」「妻恋い」「星ノ湯宿」「風雲の時」「伏見寺田屋」「東方の策」「浪士組西へ」「勅諚一件」「麻布一ノ橋」
「あとがき」
主な登場人物
清河八郎(斎藤元司)・お蓮(高代)、
斎藤家・斎藤治兵衛昌義、豪寿・亀代・辰代、熊次郎、熊三郎、
藤本津之助、畑田安左ェ門、
東条塾・東条一堂、安積五郎
千葉道場・千葉周作、千葉栄次郎
幕臣・山岡鉄太郎、松岡万、
薩摩藩士・樋渡八兵衛、伊牟田尚平、神田橋直助、
北有馬(中村貞太郎)、
田中河内介(諸大夫)
肥後藩士・村松大成、平野次郎国臣、宮部鼎蔵、河上彦斎、
真木和泉守、
浪士組・芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、
小説の中で著者が記述している「ど不敵」とは、「自我を押し立て、貫き通すためには、何者も恐れない性格」「その性格は、どのような権威も、平然と黙殺して、自分の主張を曲げないことでは、一種の勇気とみなされるものである。しかし、反面自己をたのむ気持ちが強過ぎて、周囲の思惑をかえりみない点で、人には傲慢と受け取られがちな欠点を持つ。孤独な性格だった・・」とある。
長編小説って私もやっぱり手が出し辛く、躊躇しますね。と言うより、文庫本でも「小説」の類いは、20代になってからは読んだ記憶がないです。最後に読んだものはイプセンの『人形の家』だったと記憶しています。殆どが専門書でしたから。最近は眼も悪くなり、益々遠ざかっています。
読まれた本の内容も然ることながら、ご自身の感想なりを書いて頂けたら…と、思います。
私等は、若い頃から、小説等をちゃんと最後まで読んだためしが無くて、「読書」とは、縁遠い人間でした。小説等を読んで見ようと思ったのは、つい最近のことで、やはり視力、根気力が気になり、最初「大活字本」から始めた位なんです。次第に慣れてきて、文庫本もなんとか読めるようになっていますが、八十路過ぎ、かなり疲れます。
ブログで「読書記」となれば、よそ様に本の紹介、おすすめということになるんでしょうが、私の場合は、読んでも読んでもそのそばから忘れてしまう老脳に代わる、「自分のための記憶補助ツール、備忘録」と決め込んでいまして、①読んだことの有る本を、またうっかり図書館から借りてくるなんていう失態を繰り返さないため、②「ブログ内検索」等して、読んだことのある本が、だいたいどんな内容だったかを思い出せるため・・に書き込んでいる次第なんです。感想文まで書き込みたいですが、そんな力量も無しで、結局、単なる記録になっていると思っています。
「読書」の入り口付近でうろうろしている爺さん、作家、ジャンル等、未知の世界多しで、無理せず、マイペースで、続けていきたいと思っています。
コメントいただき有難うございます。