空襲警報の下で
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戦争へと向かう不穏な時勢に、翻訳家・村岡花子は、
カナダ人宣教師から友情の証として一冊の本を贈られる。
後年『赤毛のアン』のタイトルで世代を超えて愛されることになる名作と
花子の運命的な出会いであった。
多くの人に明日への希望がわく物語を届けたい――。
その想いを胸に、空襲のときは風呂敷に原書と原稿を包んで逃げた。
情熱に満ちた生涯を孫娘が描く、心温まる評伝。
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「赤毛のアン」を翻訳したことで知られる村岡花子さんの孫娘が描いた、村岡花子の生涯を描く評伝。
その物語は、2014年にHNKの朝ドラとなり、好評を得ました。
そのころの私はまだ仕事をしていたので、ドラマは毎日は見ておらず、
土曜日だけ見て他の部分を想像で補っていました。
当時は、土曜でも一週間のまとめではなかったのです。
と言うことで、この度村岡花子さんについて、もう少しきちんと知っておきたいと思い、
本巻を手に取りました。
貧しい家ながら、父親の一念というか執念とでも言いましょうか、
娘を東京のミッションスクールに送り込む。
もちろん娘の向学心と才能を見込んでのことではあり、
給費生という扱いでもありましたが。
しかしそのため、この家に他にも兄弟姉妹が多くいたのですが、
まともな教育を受けたのは彼女だけ。
明治時代としては極めて貴重な経験だったことは間違いありません。
花子はそこで、カナダ人宣教師から英語を学びます。
この学校で得た親友が、後に世を騒がせた白蓮であることとか、
妻帯者との恋とか、まさにドラマ向き、波瀾万丈の人生です。
彼女の最も大きな業績とも言うべき「赤毛のアン」の翻訳は、
なんと太平洋戦争下のなかで行われていた、と言うのにも驚いてしまいます。
当時のことですから、英語は敵性語。
その翻訳を行っているなどと外に知れたら、どんなことになるやら。
それで花子は密かによその人には誰にも告げずに翻訳を行っていたのです。
いつかこういうものも当たり前に出版できる日が来るだろう、その日を夢見て。
時には空襲警報の鳴り響く中での執筆。
すごいですねえ・・・。
この時代にある程度名を上げた女性達が
当然のごとく取り組むのは、婦人参政権運動。
花子も例外ではありませんでした。
けれど散々苦労した活動も戦争に阻まれ、
やがて敗戦後にごくあっさりと民主化が進められて、男女同権を得る。
世の中は、なかなか皮肉に満ちています。
明治、大正、昭和を生き抜く女性達の、たくましくまっすぐな息吹が感じられます。
しかし昭和・平成・令和を生き抜く私は何もできていないなあ・・・。
改めて、村岡花子さんファンになりました。
テレビドラマももう一度ちゃんと見たい・・・。
「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」村岡里恵
満足度★★★★☆