ものすごく期待してたんだ、島村抱月訳の『人形の家』が届くって。今日届いたら、さっそく、引用部分を島村訳に書き換えて完成、これでばっちり明治の芝居になるって、喜び勇んで、職場の歓迎会でも酒を飲まずそそくさと帰って来たって言うのに。届いたのはなんと、昭和27年初版の山室静の訳本だった!なんてこと!!
先週、アマゾンのマーケットプレースで島村抱月訳ってのを見つけた時は、ほんと、狂喜したんだ。それも300円以下という破格の安さで手に入る。さすがは、アマゾン!さすがはマーケットプレース!!と、絶賛、感嘆、再度、驚嘆だったのに。どうなんての?
さっそくアマゾンのサイトで『人形の家』を探してみたら、ない!ない!どこにもない!島村抱月訳がきれいに消えているじゃないか!いや、あるにはある。でもそいつは、名著復刻版でなんと一冊65,000円也というとんでもない稀覯本、僕らの世界のものじゃない。三四日前に確かにあった、あの島村抱月訳はどこに行ったんだ。
マーケットプレースの本屋さんもいい加減だ。送られてきた本は山室静訳なのに、送り状にはBY島村抱月とあるんだ。で、念のため、その本の隅から隅まで探してみたけど、島村抱月がその本に関わったなんて記述は一切なし!!何だよ?BY島村抱月って。これって詐欺?まあ、下手なこと言うと名誉毀損なんてことで訴えられないとも限らないから、これ以上ぐだぐだ言わないけど、納得出来ないよなあ。
商品に不満があったら返品すれば、って言うかもしれないげと、そんな、金銭の問題じゃないんだ。要は、信頼性の問題。裏切られたこの失望感をどうしてくれる?ってことなの。果たして、どこに責任があったのか?この本がアマゾンから消えたってことは、アマゾンも本屋も誤りに気づいたってことだろう。だったら、一言、なんとか言ってほしよ。
結局、山室静の訳だったら、何もわざわざ原さんのものと差し替える意味はない。だって、どっちも昭和のものだもの。明治の香りを感じさせてはいないもの。もういいよ。すでに仕上げた原稿で印刷する。65,000円はどうしたって高値の花だから。ということで、『雲雀 はばたきて』の劇中劇『人形の家』は原千代海さんの訳で上演することにする。原さんには早速、上演の許可をお願いしよう。それにしても、残念!無念!!