ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

地震カミナリ火事オヤジ

2009-05-30 21:38:02 | 地域文化

 そうそう、ふるさときゃらばん『地震カミナリ火事オヤジ』のことだった。昨年長井市、今回は川西、ということで、2度目だ、この芝居見るの。

 ふるさときゃらばん、川西での公演って、25年ぶりなんだって。そうか、そうなんだ、この劇団は、こんな感じの舞台を延々四半世紀も作り続けてきたんだ。これはやっぱり、凄い!ことだ。マンネリとか、相も変わらずとか、馬鹿にするのは簡単だ。たしかに、ほとんど観客語りかけの演技とか、学芸会か?って疑われそうな装置とか、うーん、ちょっと、見てるの恥ずかしいかも!って所もないわけじゃない。前回はそのことが強く印象に残ったんだ。でも、今回は、そこから先を考えることができた。

 そう、この旧態然たる芝居が、今でもこれだけの観客(600人弱ってところかな)を集めてるって事実をどう見るかってことだ。さらに、観客の乗りもよく、大いに笑い、真剣に共感し、熱心にカーテンコールの拍手をしていたってことだ。

 消防団を題材として取り上げるってうまさ、これは去年書いた。今回も消防団丸抱えの動員体制がこの大量動員に力を発揮したようだ。消防団は、今地域に残る数少ない団結力抜群組織だからね。実に上手い方法だ。でも、そうやって戦略の巧みさを云々するてのは、間違いなんじゃないかってことに気づいたんだ。

 消防団の面々が何故、この芝居を応援しようって気になったか。それは、報われない中で多大の犠牲を払いつつ活動している消防団てものに、光を当ててくれたからなんだと思う。何の見返りも無しで火事や災害の窮地に飛びこんでいく男たち、そんな存在、都会じゃ想像すらできないだろう。いや、地方でだって、活動の中身なんて、どこまでわかってもらえてるものなのか?て言う僕自身がわかっちゃいないんだけど。

 だから、きっと、消防団員たちは、深い悩みと疑念に苛まれつつじぐじぐしてたんだと思う。こんなに、犠牲払ってんのに、ちっとも理解してくれない。やんなきゃならないことはわかるけど、なぜ、俺?そんな悩み、恨み、つらみを目一杯明るく晴らしてくれたのが、この『地震カミナリ火事オヤジ』だったんだ。そう、光を当ててくれたんだ。そう、よくぞ言ってくれた!よくぞ、描いてくれたってことなんだ。

 で、こういう表現て、今時、ほんと少ないんだよ。みーんな東京向いちゃってるから。テレビなんてその典型。たまに、地方が話題になったとしても、都会からの視線だもの。今やもう都市と田舎は、別世界になってしまったのに、田舎には田舎の現実がこってり広がってるって言うのに、そんな濃厚田舎味には誰も見向きもしない。

 そんな田舎の今を語っていく、表現していく。これがふるさときゃらばんを長持ちさせてる秘訣なんだよ。貴重な役割果たしてるんだよ、この劇団は。で、ますます、その価値は高まっていくに違いないね。さらに、彼らの、良く言えばわかりやすい、くさして言えば月並みな表現方法てのが、結構効いてるってことなんだ。紋切り型の強さだよ。誰でもすんなり共感できる演歌の世界。だから、爆笑、感動、拍手、喝采なんだよ。

 そう納得しつつも、僕としては、ちょっと、入り込めない感じもあるわけなんで、もう一歩、田舎風の洗練ってものがあってもいいんじゃないか、なんて考んがえたりしたわけなんだ。田舎の今をしっかり見つめつつ、どこか洒落た表現。田舎のペーソスみたいな、そんな世界を描ききれれば、最高なんだけどなぁ・・・・

 で、これが、僕の課題!

 

コメント
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