ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

老人よ、体を鍛えておけ!

2014-01-22 16:51:30 | トレーニング
 走ってるってことは書いた。泳いでるってことも書いた。目標がマラソン完走でトライアスロン(ハーフ)完走だってことも書いた。で、書かなかったこと。走って泳ぐその合間にマシーン使って筋トレもやってるってこと。もちろんジムに通っての話しだ。

 やってる、なんて大見得きれるほどのもんじゃないけど、ランニングマシーンで6~7km走った後に9種類ある筋トレマシーンで目一杯負荷を掛けてそれぞれ15回、歯を食いしばりうめき声を上げながら?頑張る。さらに、懸垂8~10回と、腹筋50回とダンベル。ほぼ30分ほど汗を流したら、最後はプールで500m、これがこのところのトレーニングメニューだ。年寄りの冷や水?まっ、そういうことだ。

 なんだってこんなに体を痛めつけるのか?最初始めた動機は高い血圧を下げるってことだった。発作でぽっくりならいいけど、半身不随の後遺症、なんての嫌だからね。薬使って体調保つ、なんて意識もここ50数年持ち合わせていない。やっぱり、運動でしょ、ってことで始めた。

 血圧降下、健康増進だけが目当てなら、ジョギングかあるいはウォーキングで十分だ。いや、もしかすると歳も歳なんだし、軽度のトレーニングの方が効果的なのかもしれない。だけど、始めてみると、ついついぎりぎりまで追い込んでしまうんだな、これが。

 走れば、マシーンのスピードを一目盛り、二目盛りと上げていくし、傾斜の負荷を掛けてみたり、ときにはインターバル走なんかまで試したりしてしまう。時間の制限が無ければ、1時間でも2時間でも走り続けるね、きっと。水泳も、500mを継続して泳げるようになってからは、これをノルマにするようになった。で、そこに筋トレマシーンがあるとなれば、当然!頑張ってしまうわけだ。

 目標は、筋骨隆々!筋肉マン!なわけないでしょ。腹筋の割れ目くらいは、なれればいいなぁとは思う。腹の皮をつまんで贅肉まるでなし、体脂肪率10以下も狙い目でないわけじゃない。横で若い奴が軽めの加重でやってるの見て、軟弱者めが!などと優越感に浸るなんてのも下衆な喜びとして悪くない。

 でもね、なんなんだろう、このひたむきさは。

 生命力の確認運動なんじゃないか、ってのが一つの答え。人は老いる。老いれば体力も筋力も衰える。老いさらばえていく肉体を日々感じながら、なんとかならんか?いま一度の春よ!とまでは高望みせぬものの、可能な限り柔軟で力強い体を保ちたいって思うんだ。これだけ動ける。こんなにやれる。これは何より自信につながる。まだまだ残っている旺盛な生命力に感謝するってことだ。無い物ねだりの悪あがき、って見なすこともできる。体で勝負しなくたって他にあるだろ老成の勝ち目は、って思いもないわけじゃない。が、そう思ったら、なんかもう負けなんだ。鍛錬するっとことは、気力の勝負でもあるから。

 可能性の追求って意味も大きい。人間おうおうにして、今の自分を動かし難く”当然”と思いがちだ。でも、それって全然違う。誰でもいつでも可能性は無限に広がっている。ただ、それを開こうとしていないだけのこと。高校生と芝居作りをして学んだ大切なことがこれだ。年齢だって同じこと。肉体だって同じこと。まだまだできる。まだまだ可能だ。75歳で昨年一年間にフルマラソンを50回走りきった人がいる。80歳を越えて100kmウルトラマラソンを目指す人もざらにいる。努力の果てに自分の限界を一つまた一つと押し広げていくことの喜び。自分の力を確信できた満足感。さらに大きく開かれた可能性に静かに奮い立つ意欲。死が間近に迫っていればこそ、肉体を磨き上げる喜びは大きなものとなるのだ。

 さらに、トレーニングの後は、頭脳も明晰になるし、よっしゃ!まだまだやれるって気も大きくなる。だから、老人よ、体を鍛えておけ!


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