歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

下関・仁馬山古墳 割竹形木棺を確認 近畿系の埋葬形態

2008年06月14日 | Weblog
昨年度の盗掘坑の調査では、「主体部は排水溝を有する粘土槨であり、内部には木棺があった」と推定されましたが、「近畿地方の前方後円墳でよく見られる割竹型木棺を安置した粘土槨に比べると、長さ4m程度で小型である」と推定されていました。ところが、今回の現地説明会のお知らせでは、「主体部である粘土槨は幅約1.8m、長さ約7.5mで、巨大な丸木をくり抜いた割竹形木棺を納めています。」と記し、「山口県や九州地方ではあまり見ることができない地域の首長クラスの古墳に採用された近畿系の埋葬形態」としています。
棺の規模は、長さ約6.3m、外径が96cm。棺の内面に赤色顔料が塗布されていたことが確認された。
主体部の方向と古墳の主軸はややずれており、粘土槨の中心部から斜め方向に石材を組んだ排水溝が続いている。
また、昨年出土の土器片が、4世紀後半に朝鮮半島南西部で製作されたと考えられる韓式土器の破片であったことが発見されており、粘土槨の採用とこの韓式土器の出土は、朝鮮半島に近い響灘沿岸という地理的環境の中で、仁馬山古墳の被葬者が大和政権の対外交渉に何らかの役割を果たしたこと示す証拠と言えるのではないかとしています。

<備考>
仁馬山古墳は、山口県内の前方後円墳としては3番目の大きさですが、長門地域では最大規模の前方後円墳です。
下関市大字延行字神間、綾羅木川河口付近に広がる綾羅木平野北側の段丘上に立地しています。
 古墳の大きさ: 全長74.7m、前方部幅28m、後円部直径約47.7m、高さ8m
 古墳の形と特徴: 立面が三段築成(階段状に3段)、平面が柄鏡型の墳丘(前方部短く直線的)
 古墳ができた時期 → 古墳時代中期((4世紀後半)
 葬られた人: 北浦地域最大級の首長(穴門国造の系譜に連なる首長?)
4世紀後半の朝鮮半島は、高句麗・新羅・百済の三国時代で、この中でも百済は大和政権に使者を送って外交関係を樹立したとされています。
平成20年6月28日(土曜日)10時から現地説明会が実施されます。
[参考:仁馬山古墳現地説明会のお知らせ(下関市)より]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする