歴歩

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バーミアン遺跡で、玄奘三蔵の「大唐西域記」に記載の王城跡発掘か

2008年06月27日 | Weblog
 アフガニスタンの世界遺産・バーミヤン遺跡で、中国僧・玄奘三蔵の見聞録「大唐西域記」に登場する「王城」に関連するとみられる8~9世紀の土塀跡が、奈良文化財研究所などの調査で見つかった。
 場所は、2001年に旧政権タリバンが破壊した西大仏立像から南西に約300mのガリーブ・アーバード地区内の地点。
土壁は幅約1m、高さ約0・5m分あった。壁の片側に石垣が並び、粘土を突き固めた土台の中にこぶし大の石を入れて補強していた。土壁は基部の幅から高さ5m以上だったとみられるという。 
 玄奘は629年にこの地を訪れた時のことを、大唐西域記に「王城の東北の山側に立仏の石像がある」(西大仏のこと)と記述。当時の王城と土塀跡は極めて近いとみられ、王城の関連遺構とすれば初の発見となる。同研究所は「西域の仏教文化に彩られた王城が、玄奘の時代から100年以上、存在した可能性を示す貴重な資料」と話している。
[共同通信、産経新聞、朝日新聞、読売新聞]

大唐西域記
國大都城據崖跨谷,長六七里,北背高巖,有宿麥,少花果,宜畜牧,多羊馬。氣序寒烈,風俗剛,多衣皮褐,亦其所宜。
文字、風教,貨幣之用,同都貨邏國。語言少異,儀貌大同。淳信之心,特甚鄰國。
上自三寶,下至百神,莫不輸誠,竭心宗敬。商估往來者,天神現徵祥,示祟變,求福。伽藍數十所,僧徒數千人,宗學小乘說出世部。
王城東北山阿有立佛石像,高百四五十尺,金色晃曜,寶飾煥爛。(注:西大仏のこと)
東有伽藍,此國先王之所建也。伽藍東有鋀石釋迦佛立像,高百餘尺,分身別鑄,總合成立。(注:東大仏のこと)
城東二三里伽藍中有佛入涅槃臥像,長千餘尺。(略)
(備考)
西大仏は高さ145尺、東大仏は100余尺とあり、中国尺1尺=0.333mで計算すると、それぞれ48mと33mとなる。実際の測定値は55mおよび38mと公表されている。また、中国の1里は500mである。
西大仏と東大仏との距離は約800m、すなわち2里である。
詳細な成果報告は「バーミアン遺跡保存事-8次ミッション-」東京文化財研究所プレスリリースで知ることができる。
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